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短編集117(過去作品)

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 トラウマという言葉があるが、過去にあった何かを必死に隠そうとするあまり、まわりにはしっかりしている自分を見せようとする人がいる。佳代子にも言えるのではないだろうか。
 子供のことにしてもそうなのだが、時々、夜道を歩いていて、急に後ろを怖がることがあった。
「影が」
 薄暗い道であれば、壁に大きく自分の影が写ることもある。今までに一緒に歩いていて、同じような影を見たこともあったはずなのに、たまに、影に怯えることがある。それは敦也の影に対してではなく、必ず佳代子自身の影に対してだった。
 薄暗い道を歩いていて、一定区間に設けられている街灯の影響で、足元から放射状に広がっている細長いいくつかの影を見ることができる。歩きながら、足を中心にグルグルと回っているのが見えるが、それを気持ち悪いと思うことはあった。だが、壁に写った大きな影にはそれほどの不気味さは感じない。佳代子にとって、大きな影は何か忌まわしい思い出でもあるのだろうか。
 それを序実に感じるようになったのは、同窓会があってからのことだった。
 同窓会は、小学校の頃のもので、六年生の時の仲間が集まろうと企画されたものだった。主催者は当時の担任で、田島先生。敦也は、それまでなかなか顔も出せなかった同窓会だったが、今では何のわだかまりもなく出席できる。しかも妻になった佳代子と一緒に参加できることを嬉しく思っていた。
 招待状は、敦也のところと、佳代子のところにそれぞれやってきた。二人が結婚をしたことは一部の友達しか知らなかったので、佳代子の招待状は実家の方に来ていた。
「一緒に行こうよ」
 敦也は佳代子にそういって声を掛けた。彼女は必ず、
「ええ、いいわ」
 と言うと信じて疑わなかったが、返事は曖昧だった。
「え、ええ」
「乗り気じゃないのかい?」
 普段ならこんなことは聞かないはずなのだが、それだけ佳代子の返事を意外に感じたのだ。
「そうじゃないんだけど、あなたは大丈夫なの?」
 かつて敦也がわだかまりを持っていたことに気付いていたのだろうか。
――いや、そんなはずはない――
 誰にも気付かれることはないと思っていたはずだった。それ以上話すことは敦也にとっても決していいことではない。黙っていることにした。
 それでも、同窓会へは渋々参加することを決めてくれたのは、敦也への心遣いだったのかも知れない。
「嫌ならいいんだよ。俺も行かないから」
 というと、急に、
「大丈夫よ。それなら私も行くわ」
 と二つ返事だった。まるで、敦也が二人とも同窓会に参加しないことが困るかのようだった。
「皆、元気かしら」
 と、佳代子が静かに言い放ったのが、敦也には忘れられなかった。
 同窓会の幹事は、敦也にとって親友だった。名前を桜井といい、彼はなかなか人と話すことが苦手だった敦也にいつも話し掛けてくれていたのだ。
 桜井は、誰とも話がうまかった。友達も多かったはずだ。勝手に親友だと敦也が思っているだけで、桜井にとっては、
――たくさんいる友達の中の一人――
 ということだけだったのかも知れない。
「やあ、よく来てくれたね。ずっと連絡がなかったので、心配していたんだよ」
 宴もたけなわになってくると、桜井が隣に寄ってきた。
「ご無沙汰ばかりしていたので、一度顔を出しておかないといけないと思ってね」
 あくまでも建前である。本当は結婚したことを知らせたいという意識があり、しかも相手が同窓生であれば、それだけ話題に上って、小学生の頃目立たない少年がここに来て目立てることの快感を知りたかったのだ。
 仕事の上では発言も多く、決して目立たないわけではない。結婚前くらいから仕事に生きがいを見出すようになり、その途端、仕事上の頭角を現すようになった。上司からも、
「君に任せておけば安心だ」
 とばかりに肩を叩かれることが多くなり、やる気が出てくると自然と口数が多くなることに、今さらながら気付いていた。
 今では仕事の話にしても、プライベートな話にしても饒舌で、考えながら話すことが昔からの癖になっているので、勢い余って余計なことを話してしまわないかどうかという心配をすることもない。
 人と話ができるということほど楽しいことはない。同じ時間を過ごすのでも、二倍、いや三倍もの有意義な時間を感じることができる。
 充実感というのであろうか、気がつけば時間があっという間に過ぎていたなんていうこともあったりする。
 人と話をするということは思った以上に疲れるものだ。ただ、心地よい疲れであり、汗を掻いても気持ち悪いものではない。
――会話とは闘争ではないか――
 と思っていた時期があった。
 なぜか敦也のまわりで話をしている人を見ていると、最初は楽しそうに話をしていても、次第に声が荒げてきて、最後には大きな声で詰りあい、喧嘩になっていることも少なくなかった。
 だが、そんな会話を見ていると、自分も同じではないかと思うようになっていた。会社で同僚と仕事の話をしていると、ついつい大きな声になっていることが多い。
「静かにしてくれないか」
 と言われて、謝ったことなど何度もあるし、話している相手から、
「朝霧、そんなに怒らなくてもいいじゃないか」
 と言われて、恐縮してしまうこともあった。
 大声になるのは、元々の地声が低いからであろう。話に夢中になると我を忘れてしまうのは、小学生の頃に会話ができなかった自分を心の中で映し出しているからなのかも知れない。心のどこかで、
――ざまあみろ、今の俺はこれだけ話ができるんだ――
 と、誰に対してなのかハッキリとしない意地のようなものが渦巻いているからだ。
 必死になって話をしていると、それでも自然と人が話の輪に入ってくることもあるものだ。
――目立っている――
 と自覚すると、さらに口も滑らかになるもので、話をしているうちに次の言葉が自然と湧いてくるのだ。それが楽しくて話を続ける。
 そのことを妻の佳代子は知らない。同じように目立たない性格で、会社では、コツコツと仕事をこなす方だと思っていることだろう。
 どちらの敦也が好きなのか分からない。ただ、時々輪の中心になって話をしている人を羨ましそうに見ていることがあるので、一度佳代子にも、饒舌になっている自分の姿を見せておきたいという願望に駆られたのだ。
 見せ付けたいと思うのも男のわがままに違いない。だが、わがままが通用するのも自分の妻に対してだけだろう。
――妻なら分かってくれるはずだ――
 だからこそ、結婚したのではなかったのかと、自分に対して言い聞かせている敦也であった。
 人から褒められると、ついついその気になってしまう人がいる。実は敦也もその一人なのだが、別にそれでもいいと思っている。
 小学生時代には、人から褒められることなどなく、ただ何となく生きていた。だが、今から思い返すとそうではなかったのだ。
 自分で理解したことでなければ信用しないタイプの敦也は、先生や親から言われてきたことにことごとく反発してきた。
「勉強しなさい」
「いい子でいなさい」
作品名:短編集117(過去作品) 作家名:森本晃次