短編集117(過去作品)
他の人に誇張したい部分であるが、あまりおおっぴらに誇張すれば嫌われることは必至である。
実際に坂上の考えに共鳴できる人は少ない。大半は、
「変なやつだ」
と思っているだろう。
大学時代もそうだった。だが、それでも坂上の考え方に共鳴してくれる人も少ないがいたのだ。彼らも自分の考えに疑問を持っていて、誰にも相談できずに大学生になっていた。大学というところは思ったよりもいろいろな考えの連中が集まってくるもので、不思議なことに最初に友達になるのは、そんなたくさんの考えを持った中でも酷似の思いを抱いた連中だったりする。
そんな彼らとの話は実に楽しい。
若者が将来についていろいろ話をするというのは、今も昔も変わりない。大学時代の思い出は、はるか昔のような気がしているが、思い出そうとすればすぐに思い出せる。そんな記憶の片隅もあるのであった。
大学時代から感じていたことで、坂上は人のことは無関心だったのだが、嫌でも見えてくるものがあった。
大学生に限らないのだろうが、特に大学のように精神的に余裕のある世代では、得てして自分の主義主張や嗜好があう人間としか馴染もうとしない。
限られた四年間という時間。それを過ぎれば嫌でも社会の荒波に出て行かなければならない。大切な四年間を無駄に過ごしたくないという気持ちの現われだということは分からなくもない。
だが、坂上は大学時代、自分の主義主張、嗜好がどんなものか分かりかねていた。いくつのことにも興味はあったのだが、なかなか一つに纏まらない。焦ってみても仕方がないので、いろいろな集団に、浅く広く参加することが多かった。
彼らは自分たちと違う考えを持った連中を、うわべでは認めながらも、心の底では軽蔑していたりして、認めようとしない。分かろうとしていないのだ。
無理をしているようにも見える。
その頃の坂が身には自分で特技のように感じていたのが、それぞれ考え方が違う連中はすべてが平行線で、どこにも接点がないように思えるが、実際にはその接点、さらには関係が見えていたのだ。
彼らはそれぞれ、
「そんな関係など、絶対にありえない」
と否定するに違いない。
そのことは分かっているので、決して話をすることはないが、予知能力者であるかのように見えてくる。
夢で見ることもあった。しかも夢で見たことが現実になったりもするのだ。
例えば、まったくの平行線を描いているグループのそれぞれ男と女が、いつの間にか仲良くなっていて、二人だけで脱退してしまうなどということは、早い段階から坂上には見えていた。
気になってみていると、もう疑いようのない関係に見えてくる。まわりの誰も気付いていないが、分かっているのは、当事者である二人と坂上だけである。
これは実に快感である。誰もが分かっていないことを分かることは特技でもあり才能だとも思っていた。
今の例だとまだ当事者が分かっているだけ、分かりやすいが、当事者すら分からないことを予知することもできた。それこそ夢の世界である。
そんな人間関係が手に取るように分かる自分に自惚れてしまった時期があった。
だが、そんな時期はそれほど長くは続かない。
誰にも見えない部分が自分にだけ見えてしまうというのは、自分の中に持っているプライドが意識させているに違いない。プライドを誇らしげに思っていたりしたものだったが、見えすぎるというのも、決していいことばかりとは限らない。
「見たくないものまで見えてくる」
そんな感覚に陥ってしまうこともあった。
人の幸福ばかりが見えるわけではない。
破局を迎えるであろう連中の愛憎絵図が見えてきたり、極端な心境の変化が見えてきたりする。
見るに耐えないこともあった。
それでもこれが自分の才能だと思うことで何とか乗り切ってきたが、今度は、またしても快感に感じられるようになっていた。
だが、この快感は最初に感じていた快感とは若干違うものだった。
誰も知らないことを自分だけが知っているという気持ちは、最初は新鮮である。
しかし、いつまでも続かないのが新鮮な気持ちで、新鮮さがなくなれば、気持ちが萎えてくるものである。
萎えてくると、嫌な部分が見え始め、それまでとは極端に違って、自分の気持ちが分からなくなってくる。
そんな時に陥るのが自己嫌悪である。人と話をしたくなくなって、一人でいないと我慢できなくなる。まるで腫れ物に触るような気持ちを自分に抱くのだが、孤独がさらに自分を狭い範囲に追い込んでしまう。
どうにもならないほど狭い範囲に追い込まれると、恐怖が宿る。それは閉所恐怖症に似たものではないだろうか。案外、閉所恐怖症とは、自己嫌悪に陥る一歩手前にあるものなのかも知れない。そのことを誰も知らないだろうが、またしても知っているのは坂上だけである。
人間、いろいろなことを考え、しかも自己嫌悪に陥ると、自己嫌悪も一過性のものであることに気付く。いつかは抜けるであろうトンネルの存在に気付くと、次第に感覚が麻痺してくる。
感覚が麻痺してくることを自覚することができれば、自己嫌悪からの突破口が見えてくるのだ。それを知ったのも大学時代であった。
感覚が麻痺してきて、自己嫌悪からも逃れられると、そこに待っているのは、快感だった。
「麻痺した感覚の中で得られる快感などあるのか?」
そんな声も聞こえてきそうだが、ハッキリと坂上には分かっていた。
それは麻薬の感覚に似ているのかも知れない。最初はなくても問題ないのだが、一旦覚えてしまうと抜けることができない。だが、自分にも他人にも有害でないという気持ちがあるので、甘んじて快感に身を委ねることにしていた。
そんな時、SMの世界の話を聞いたことがあった。毛嫌いしている中でも、ちょうど麻痺した感覚の中だったので、聞いていても嫌なイメージはなかった。だが、興味の持てるものではなく、受け流すつもりで聞いていたのに、頭の中にはしっかりとインプットされていたのだろう。
坂上は作曲家に憧れたことがあった。そこそこ音楽も勉強したが、音楽学校に進学できるほどではなく、さすがに途中で挫折したが、考え方は作曲家のようなところがある。
「俺は、作曲家というよりも、コンダクターかも知れないな」
まわりが気付かない人間関係に気付いていることで、そのように感じるようになっていた。
だが、本当はものを作り出すことに充実感を感じ、あまり前に出ることをしない坂上にとって、まわりのことを知りすぎるのは自分の意図したことではない。それゆえにジレンマに陥ることもある。
自分の中で矛盾が顔を出す。
知らないでいいことを知りたいとも思わないのに、勝手に見えてくるのだ。
他の人が見れば羨ましく思うことだろう。
「俺にもそんな才能があればな」
そう思われても、望んでいるわけではないので、
「無責任なことをいうなよ」
と言い返すしかない。
そんな会話を勝手に想像し、自分の中にあるジレンマをストレスに変えないようにしている。果たしてどこまでストレスを溜めずに済むか、自分でも分からない。何しろまわりの人の関係は判っても、自分のことが一番分からない。これが一番辛いところだ。
作品名:短編集117(過去作品) 作家名:森本晃次