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短編集117(過去作品)

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 ヒールの乾いた音が響いている。坂上も自分の革靴の音が響いているのを感じた。尾行など、まるで犯罪めいたことをしているのだから、本当は相手に気配を知られないようにしなければならないのに、その時の坂上は意識して、気配を消すようなマネはしていなかった。
――きっと、彼女は気付いているんだろうな――
 すべて承知の上だった。
 次第に歩く人が増えてきた。向っている先はネオンサインも煌びやかな夜の繁華街である。
 飲み屋が乱立する角を抜け、少し裏に入っていった。そこは風俗街であるが、さらにそこを抜ける。
――この先はもう何もないんじゃないか――
 古いタイプの雑居ビルが立ち並んでいるが、そこは昔の繁華街の跡でもあった。古い看板が捨てられずに残っていたり、埋め込まれた跡が残っていたりしていた。
 その先に紫色の怪しげな看板が見えた。
 そこに彼女は入っていく。入っていく瞬間もう一度こちらを見たかと思うと、再度微笑んでいる。坂上がつけてきているのは、完全にバレてしまっていた。
 店の名前は「ボンテージ」、アイマスクやムチが描かれた蛍光看板である。
 一見してそこがSMクラブであることは分かった。
 坂上は、SMクラブはおろか、風俗店に立ち寄ったことなどない。
 しかもSMの何たるかなど、まったく興味のない世界だった。男女の仲にもいろいろあるのは分かっても、相手をいたぶってみたり、詰ったりするSM行為自体、信じられないものだった。
 しかし、看板に描かれている紫のアイマスクにムチを見ていると、そのまま立ち去ることができなかった。思わず、その場に立ち竦んでいると、中から一人の女性が現れた。
 アイマスクをして、ボンテージを身につけている。ニッコリと笑った唇は光っていて、明らかにリップクリームである。しかも、見覚えのあるリップクリームで、アイマスクをしていても、その人がさっきの女性であることはすぐに分かった。
「いらっしゃい。どうぞ」
 ニコリと微笑んで、迎え入れる。アイマスクをしていると視線がハッキリと分からないものだと思っていたが、実際にはそんなことはなかった。彼女の視線に睨まれた坂上は、「ヘビに睨まれたカエル」だった。
 ヘビというと、彼女を見ていると肌の白さが目立っている。まさしく白ヘビの化身ではないかと思えるほどで、これほど白い肌の女性は見たことがない。白さの秘訣は、肌のきめ細かさにあるのだろう。
 少し冷たい彼女の手に引っ張られるように店内に入ると、そこは効き過ぎるほどの暖房効果で、汗が吹き出してくるのを感じた。
「どうぞ」
 その気持ちを察してか、彼女は後ろに立って、コートを脱がせてくれる。店の中は最初に感じていた薄暗さはなく、普通のスナックの雰囲気だった。
 奥にはステージが作られているが、手前は普通のスナックと変わりない。カウンター席があって、その横にはテーブル席が二つ用意されている。全部で十数人の客が来ても大丈夫だった。
 客は誰もいなかった。カウンターではスキンヘッドの男性が洗い物をしている。彼がマスターではないだろうか。普通のカッターに少し派手ではあるが、普通にネクタイ。スナックやバーのマスターとは少し違った赴きだった。きっと女性を目立たせるための演出なのかも知れない。
「お客さんは、初めてですね?」
「ええ、興味はあるんですが、なかなかですね」
 本当は興味があったわけではない。彼女を追いかけてここまで来たなんて、バツが悪く
て言えるはずもなかった。
――彼女は分かっているのだろうか――
 クラブに入り、カウンターの中で仕事をしている彼女の目は優しそうな目をしている。喫茶店での相手を見つめる鋭い目は完全に鳴りを潜めて、今はボーっとしていると言っても過言ではないくらいである。
 少しふっくらして見える。年齢も最初に感じたのに比べれば幾分か年を取っているかのようである。それだけ落ち着いて見えるのだが、最初に感じた雰囲気との違いにギャップを感じながら、どちらが魅力的かと聞かれると、答えに困ってしまいそうだ。
 SMクラブでの落ち着いた雰囲気というのは、却ってそのギャップにどこか魅力を感じさせられる。棘があるからバラが美しいという人もいるが、棘のある彼女を見てみたくもなっていた。
「このお店はたまにハプニングもありますが、基本的にはマニアが集まって談笑する場所なんですよ。初めての方にはお勧めかも知れませんね」
 あくまでもおだやかな表情を浮かべるマスターの言葉にウソはないだろう。
「何かお飲みになられますか?」
「じゃあ、水割りを薄めでお願いします」
 普段あまり呑まないが、こういう雰囲気では呑んでいた方が大胆な気分になれるだろう。水割りくらいがちょうどいい。
 カウンターで両肘を突きながら水割りを呑んでいると、普通のスナックにいるのと変わらない。ちょっと高級感のあるスナックである。スナックには今までに会社の同僚と付き合いで出かけたことがあるが、積極的に話し掛けてくる女の子に相槌を打つのは苦手だった。
 相手が商売だと思ってしまうからかも知れない。店によっても違うのだろうが、話題性はそれほど豊富ではなかった。誰が相手であっても同じような話題から入ってくるようで、坂上にとっては物足りなさすら感じられた。
 それなら話しかけられない方がいいかも知れない。同僚はスナックでの女の子との会話は、普段のストレス発散にはもってこいだと思っているようだが、坂上にとっては時と場合である。下手をすればストレスを余計に溜めてしまうことになりそうだ。
 彼女は店に入ってから一言も話さない。しかも誰とも視線を会わせようとしない。ある意味、ここでは場違いにも見えてくるほど、清楚な雰囲気を感じさせる。
 それだけに、寂しそうな表情にも見えた。そんな彼女をじっと見つめてしまっていることにいつ気付いたのだろうか。ハッと気付くと、顔が赤くなるほどの気分になっていた。
 彼女は気付いているはずなのに、表情を変えることなく黙々と仕事をしている。ここまで視線を無視できるものなのか、坂上には不思議だった。
「こんばんは」
 しばらくすると、もう一人、客がやってきた。
「いらっしゃいませ」
 一言声を掛けただけで、彼女はさらに黙々と仕事をしている。
 マスターが新しくやってきた客の相手をしている。客は常連なのか、気さくな会話に花を咲かせているが、SMに関してはまったく無知の坂上にとっては、興味深い話ではあるが、心の底では、
「俺には関係のない話だな」
 と思いながら、隣で飲んでいる男性とも、今日限りの付き合いだとしか思えなかった。
 しかし、マスターを見ていると、初めて会ったのではないような気がしてくる。気さくな雰囲気は営業でも十分に通用しそうである。ひょっとして、店を始める前は、どこかの営業マンだったのかも知れない。いきなり店を持てるわけもないので、そう考えるのも自然だろう。それでもどこで会ったのか具体的に分からない以上、やはり初対面であることに間違いなさそうだ。
作品名:短編集117(過去作品) 作家名:森本晃次