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ファイブオクロック

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 わざとではない作品には、完成度があり、聴いていると、思わず低い音に集中してしまっている自分を感じ、人間というものが、どちらかを選ぶわけではなく、なるべくならどちらも得ようとするのが本性であるということを示しているかのようだった。
 そのくせに危ないと思うと滑り止めという救済措置も忘れない。どちらも人間らしいと言えるのだろうが、
「二兎を追う者は一兎をも得ず」
 という言葉もある通り、どちらも得ようとすると、普通は、欲張りとしてあまりいい意味には使われない。
 つまり、このことわざは、そのことに対しての戒めであり、欲というものが、世間体ではあまりよくは思われていないということであろう。
 しかし、子供心に三郎少年は、その言葉を何か理不尽に考えていた。
「欲張りがあまりよくないと言われるが、人間欲があるから、前に進めるんじゃないか?」
 と考えていた、
 食欲があるから、食費を稼ぐのに一生懸命に仕事をするのだし。目標があるから、目標に向かって頑張れるのだ。
 それと同じような意味で、自己顕示欲の強い人も同じである。
「自分で自信をもって人に勧めることでなければ、人も信用してくれないのではないか」
 と感じるのであった。
 最近、この坂を通って帰ることが多くなった三郎少年は、この人の存在を気にはしていたが、この人のことを気にしているのは自分だけではないかと思っていた。しかし、実際には大人の間でもウワサになっているようで、大人のウワサは子供の三郎には回ってこない。
 しかも、三郎のように親に対して嫌悪を感じていると、親の話を訊いたとしても、その信憑性には疑問を感じることだろう。
――どうせ、あの親がいうことなんだから――
 と感じるに違いない。
 親が臆病な性格だとは、その頃の三郎には分からなかった。子供に対しての姿勢と、世間体に対しても違いを、小学生の三郎に分かるわけもなかった。
 そもそも、
「相手によって態度を変える」
 などというのは、少なくとも自分の知り合いの中にはいないという思いがあったからだ。
 その思いがあるからこそ、逆に親に対して、
「何かおかしい」
 という気持ちになれたのではないだろうか。
 そう思うと、親に対しての憤りがどこから来るのか、分からなくなってしまうのであった。
 親を無視しているくせに、気になる時には気になってしまう。無視しても、出来ない部分があるのは、やはり親子だという証拠であろうか。
 日暮坂という名前の由来をある時聞いたことがあった。
「あの坂には、昔から逢魔が時に妖怪が出るという話があったんだよ」
 と襲えてくれたのは、小学校の先生であった。
 担任の先生ではなかったのだが、その先生は美術の先生で、趣味ではあるが、このあたりの地元の歴史を研究しているという。
「このあたりには昔からいろいろな言い伝えであったり、伝説が多いんだよ。中には都市伝説と言われるものものも多いんだけど、研究してみると結構楽しいよ」
 と言っていた。
「帰り道の近くに、日暮坂というところがあるんだけど、あそこって名前も意味深な気がして、何か言い伝えでもあるんじゃないかって思うんだけど、どうなんでしょうね?」
 と話した。
「うん、なかなか目の付け所がいいね。確かにあの場所は昔からいろいろな言い伝えがあるようなんだよ。今はもうないんだけど、あの坂の途中に四つ角が三か所あるでしょう? そのうちに一番上のある四つ角には、昔地蔵があったんだよ。今は住宅街を整備した時に、別の場所に移転したんだけど、以前は、家も何もない道の間に地蔵がポツリとあったんだよ。もちろん、昭和の頃の昔のことなんだけどね。道だけはあったんだよ。ただ、その四つ角の左に曲がってちょっと行ったところに、昔の財閥の別荘があったようで、今でこそまったくその残像は残っていないんだけど、その財閥の屋敷というのは、和風、洋風と入り混じったようなお屋敷で、そこではたくさんの人が住んでいたということなんだ。でも、かつての戦争で空襲で屋敷の半分がなくなってしまったということなんだけど、残ったのは洋館のようなんだ。庭も大きかったようで、日本家屋、洋館ともに、かなり広大な庭があったらしいんだ。その日本家屋のところに井戸があったようで、その井戸が曰くのある井戸として戦前からいろいろ言われていたんだ。だけど空襲で焼けてしまったおかげで、その井戸もどこに行ってしまったか分からなくなってしまったことで、戦後、焼け野原になった土地は国に接収されて、国のものになったんだけど、井戸があったことで、お祓いなんかも行われたらしい。しかも、戦後になると、財閥というものが解体されたことで、特権階級ではなくなってしまったため、洋館の方の維持もできなくなり、広大な屋敷全部が国に接収されることになったんだ。そのため。洋館も立て壊されてしまい、区画整理の時点では、どこに昔の別荘があったのかすら分からなかったくらいなんだよね」
「そんなことがあったんですね?」
「ああ、でも、洋館の方では、建物が壊された後、空き地のようになったんだけど、その空き地から区画整理が行われると決まってから、戦時中の防空壕が見つかったらしいんだ。しかも、何とその防空壕から、白骨死体が何体か見つかったことで、当時は大きな問題になったくらいなんだ」
「防空壕から見つかったということは、戦時中に白骨になったということなんでしょうかね?」
 と聞くと、
「そうとも言えないよ。防空壕は戦後しばらくは残っていただろうから、その人たちの死体を隠すという理由で、防空壕跡が使われたのかも知れない。そうなると、あの死体は他殺だったということが濃厚になってくるけどね」
 と先生は言った。
「それが、いわゆる都市伝説のようなものなんでしょうかね?」
 というと、
「そうかも知れないね」
「でも、死体が誰だか分から中ttんですか?」
「まあ、白骨死体が発見されたのは、昭和五十年代だったということなんだよ。もしそれが殺人事件だったとしても、白骨死体の鑑定から、殺人の時効十五年は過ぎていたので、それ以上の捜査はしなかったんじゃないかな? もし捜査をしたとしいぇも、当時はDNA鑑定なるものも発達していなかったので。身元を特定することは難しかったんじゃないかな?」
 と先生は言った。
「ただね、その話だけではなく、よく言われている都市伝説としては、さっきも話をしたんだけど日本家屋の方の庭にあった井戸、そこは、元々、『首洗いの井戸』と言われていて、処刑が行われた時に、首を洗ったり、かつては、首実検にも使われたりとかしていたようなんだ。首実験というのは、戦国時代に報酬を得るために、相手の武士の位の高い人であれば、報酬も高額になるだろう。そのためには必要うなことなんだ」
 と、先生は話を続けた。
「ところで、逢魔が時というのは、どういうことなんですか?」
作品名:ファイブオクロック 作家名:森本晃次