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ファイブオクロック

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 坂の名前に、このような名前を付けるのはいかがなものかとまではその時には思っていなかったが。大人になるにつれていろいろな場所を見る機会が増え、替わった名称の土地も知ってきたことで、改めて、日暮坂というのが、替わった名前であると思うようになった。
「黄昏峠や夕凪海岸」
 などと言った、夕方に関する地名もあるが、夕方の地名はどこかもの悲しさを感じさせる。
 そういう意味では日暮坂ももの悲しさという意味では負けていない名前のような気がしてきて、大人になってからも時々思い出す場所となった。
 だが、その時はそこまでになろうとは思わなかったが、そう思うきっかけになったことが、そのすぐ後に待っているのだが、その思いを影を見ることで、予感めいたものとして、後になると混同してしまいそうになっていた。
 だが、影をその時に、異様なものとして感じたのは、何かの虫の知らせのようなものだったのではないかと思うのは、無理もないことだったように思う。
 この坂道を歩いて帰るようになってから、半年くらい経っていただろうか。この公園で遊ぶようになってから久しいのに、坂道を通るのは、そんなに頻繁ではないと思われたのは、どこに原因があったのだろうか。
 秋から冬という季節が何かの暗示を示していたのか、それとも夕暮れに差し掛かる時間帯が問題だったのか、その時は分かっていなかった。
 影を意識するあまり、時間の感覚が自分の中でマヒしているように感じていたが、急に影が気にならなくなった。そのかわり、自分の影に何か別の影がさしかかったような気がして、自分の前を誰かが歩いているのを感じたのだ。
 その瞬間、影が急に明るくなって、今まで暗かったのが夢だったかのように、さっきの夕暮れに自分か戻ってしまったかのような印象を受けた。
 一瞬、パッと目の前に光がさして、閃光を感じたからなのだろうが、その閃光の放ったように見えるのが、前を歩いている人だった。
 その人は夕日を背中に浴びているにも関わらず、その人の向こうにも別の明るさが見えるのだ。
 太陽の光のように後光がさしているのだが、あくまでもさしているのはその人の姿だけで、まわりに一切影響を与えない光だったのは、夕暮れがまだ残った光景だったからに違いない。
「こんなことってあるんだろうか?」
 と、恐怖のようなものを感じた。
 大人になれば、きっと夕焼けや夜になるという理屈も、学校で習ったりするだろうから、理屈が分かっているのだろうが、今は理屈が分からないだけに、おかしいという感覚を持ちながら、実際にはさほどの恐怖を抱かない。恐怖というよりも、あっけにとられた記憶を持ったまま、いずれまた似たような光景を見ることで、理屈を分かっている自分がたぶん、その理屈を知っていることで感じる恐怖を和らヘリために思い出すことになるのではないかと思っている。
 そういう意味では、これ以上のことが起こっても、最初に恐怖を感じなかったことで、意識の中では夢で片づけてしまったりできるような気がしたのだ。
 目の前を確かに誰かが歩いている。後光がさしているように見えるので、体格も上背も分からずに、向こうを向いていることで、男か女かということも分からないだろう。
 その人を意識しながら歩いていると、近づいているように思っているのに、それほど距離が縮まった気がしなかった。歩くスピードは明らかにこちらの方が早いし、まるで停まっているかのように見えるその人は、歩いているというよりも、佇んでいるという方が正解に感じられたのだ。
 そのうちに、光が暗くなってくるのを感じた。後光が次第に見えなくなり、西日に照らされているだけの明るさでしかなくなった時、実際の西日もビルの影に隠れてしまい、それを合図のように、夕暮れが襲ってくると、後は街灯がついて、夜のとばりが降りるまで、時間はかからなかった。
 いや、時間なんてなかったのだ。気が付けば日が暮れていて、その人の姿を確認することができなくなったかと思うと、その人の姿をその日は二度と確認することができなくなっていたのだ。
「夢だったんだ」
 と我に返って考えると、夢以外の何者でもないような気がした。
 いや、夢なら夢でもいいと思った。
 三郎少年が感じたのは、夢を見たことではない。なぜ自分がそんな夢を見ることになったのかが分からないことであった。
 その頃の三郎少年は。
「夢を見るには何らかの理由があって、その理由が分からないということは、自分にとって怖いことなんだ」
 という感覚を持っていた。
 だから、怖い夢であっても、そんな夢を見るだけの何らかの原因を分かっていれば、それは怖いとは思わない。しかし、怖いとは言えない夢であっても、その夢の根拠を自分で分からないと、気持ち悪さが残ってくる。
「これって正夢かも知れない」
 と感じるからで、嬉しいと感じる夢であればそれもいいのだが、嬉しいと感じるような夢を、理屈も感じることなく見ることはなかった。
 嬉しい夢には嬉しいだけのれっきとした理屈が存在しているのであった。
 それが、三郎の中に感じている、
「夢の構造」
 であり、近い将来、
「何事も理詰めで考える」
 という性格を裏付ける一つの理屈になったのであった。
 ただ、この時の坂道にいたその人物のことは、翌日になると、記憶の奥に封印されそうになっていた。その感覚というのは、
「何かのきっかけがあれば思い出す」
 という、記憶の断崖のようなものではないかと感じるのだった。

                曖昧な都市伝説

「夕方になると、いつも夕暮れ坂を一人の人が佇んでいる」
 というウワサが流れ始めたのはいつからだっただろう?
 それは三郎がその人を見てからしばらくしてから流れ始めたウワサであり、ただ、その人を見たと言っても、どんな人だったのかということになると、皆記憶が定かではなかったりしていた。
 記憶が定かではないというよりも、以前に見たという人と話をしても、自分の記憶している印象と違って感じられるからであり、それはその人を見た時に、後光がさしていたということをその人が忘れてしまっていて、なぜ一致しないかということを自分で理解できないことで、その記憶が正しくないと思うからだった。
 普通なら自分を疑うなどということは誰でもしたくはないはずなのに、それでもしてしまうというのは、自分の意識を認めることは、自分がその人の存在を怖がっているということを認めるようで、認めてしまうと、その人に呪われるのではないかという根拠はないが、言い知れぬ恐怖が根拠よりも恐ろしいものであるということを認めていることになるようで、それが恐ろしかったのだ。
 そんな中で、一人だけ、その人の正体に近づいた人がいた。
 その人は、三郎の近所に住む一人暮らしのサラリーマンで、一度ならず、何度かその人を見ているという。
 その人だけがどうしてハッキリと見えるのか分からないが、一つだけ言えることとすれば、ウワサになる前のその人を、一番最初に見たのが、サラリーマンのその人だったということではないかと本人も言っているし、まわりも信憑性はないが、他に理由もないことから、都市伝説のような感覚で信じているようだった。
作品名:ファイブオクロック 作家名:森本晃次