ファイブオクロック
「ところで、これがこの間殺された女性の死体写真なんですが、これは例の梶原奈美恵という女性なんでしょうか?」
というと、
「ええ、そうだと思います。ただ、あまりにも形相が激しいので断言はできかねますけども」
というと、
「そうですか。じゃあ。申し訳ありませんが、菅原さんが証拠として警察に提出したあなたからの資料にある他の男性の身元を教えていただけませんか? もちろん、あなたのことは口外いたしませんおで、ご安心ください」
と刑事に言われ、
「了解しました。ものが殺人事件ですし、何よりも菅原さんの委任状もありますので、私は協力を惜しみません」
と言って、他の五人の連絡先を教えてもらった。
さすがに彼らに聞けば被害者を特定できるだろう。しかも彼女が死んでいるとすれば、彼らの前に姿を現すわけはないのだから、それだけでも信憑性はかなり高いものになるに違いない。
オオカミ少年
実際に聴いてみると、やはり被害者が梶原奈美恵であると断言できるだけの証拠を示した人がいた。
彼女の身体の特徴を覚えていて、それを言い当てたのだ。それを聞いた菅原は少なからずのショックを受けていた。
「そんな……。彼女は今まで身体を許すようなことはなかったんですよ。結婚するまでは清い身体でって言っていて、これが普通の恋愛であれば、信用できないかも知れないですが、僕にとっては出会いもお付き合いも新鮮だったこともあって、その言葉を信用できたんです。それなのに、身体を許している人がいただなんて……」
と言っていたが、実際に身体を許したのはその男だけだったようだ。
ただ、その男の方も実は悪い男で、彼の方では実はある程度騙されていうことを承知で、騙されてあげていたという。
「だって、俺一人だけではなく、他にも何人も騙して金を巻き上げていたわけでしょう? だったら泳がせて、金を搾り取るだけ搾り取った後で、自分がそれを頂けば、自分が払った分が何倍になって返ってくる。これほどぼろい商売ありませんからね」
と嘯いていたようだ。
なるほど、相手が悪い女であれば。こちらが騙されたふりをしていろいろ内情を知っていれば、いくらでも脅迫できるというものだ。
「上には上がいるということか」
ということになったが、当然、彼女への殺人の疑惑はこの男に向いたのは当たり前のことだったが。実はこの時完璧なアリバイがあった。
もっとも、アリバイでもなければ、こんなにボロボロと悪事を暴露できるはずもない。それに本人が嘯いているばかりで、誰にも訴えることができないことも彼を大胆にさせた。捜査一課ではあくまでも殺人事件だけの捜査で、詐欺や騙し合いなどに関しては関与していない。それに、彼が実際に何かをまだしたわけでもない。計画があっただけのことだった。
というよりも、この男に彼女を殺す動機などないはずだ。バレてもめたというのなら分かるが、そうでもないのは分かっている。最初に彼が容疑者から外れたのは、意外といえば意外なことだった。
とにかく、捜査はまだ始まったばかりだった。
だが、一つ不思議なことがあったのだが、その時から被害届を出した菅原が、この事件の表に一切出てこなくなった。それが事件解決に大きな意味があるのだが、一体どういうことだったのだろうか?
死体が発見された翌日、学校の帰りに、三郎少年は、日暮坂を通って帰った。さすがに昨日の今日では、夕方のあの人が現れる時間に通るのは怖かった。まだ日が高い時間、三時に学校が終わって、すぐに帰宅したので、坂を通りかかったのは、三時二十分くらいだっただろうか。まだ夕日とまで言えるほどではなく、昼下がりと言ってもいいくらいだった。
三郎少年が気になったのは、自分が昨日見た祠が本当に幻だったのかということであった。
確かに今まであそこを通りかかって祠を見たという記憶はなかったはずなのに、昨日は前から見ていたような気がしたように思えた。その証拠は、祠を見てビックリはしたが、驚愕の恐怖ではなかったことは確かだったのだ。
その日は、普通に通り過ぎるつもりで坂のてっぺんに位置する四つ角を左に曲がった。
「やっぱり祠なんかないんだ。あれは幻だったんだ」
と感じた。
ホッとした気分になった。
その場所は、警察によって立入禁止にされていて、中に入れないように、しっかりと強固な扉のようなものがつけられていた。その時間は、まだ人通りも少しはあり、誰もが気にしながらも、目を背けていたのは、その場所に対して痛々しさを感じているからであろう。
「ここで殺人があったんだ」
と皆分かっていながら、直視できない。見てしまうと、何かに呪われる気がするのだろうか。
――中には、ないはずの祠を感じている人もいるかも知れない――
と、何の根拠もない意識を三郎は持っていた。
昼間に見ると、今は確かに仰々しい雰囲気なので目立つのだが、ここに何もなければ、誰もこの場所を気にすることもなく通り過ぎるような場所であった。もし、洞穴があったとしても、意識するまでには至らないような気がした。
三郎もその時は意識していたが、立ち止まることなく、横目で現場をやり過ごした。まったく振り返ることもなく、その場を立ち去ると、翌日からは意識することもなくなったのだ。
「やっぱり、祠なんてなかったんだ」
という思いを抱いていると、その日の夢に、祠が出てきたのだった。
次の日も次の日も、日暮坂を、そしてあの殺人現場を気にしながら帰った。そんな状態が一週間ほど続いたが、一週間たてば、時間帯も後ろにずれるようになり、またしても夕方の時間帯に差し掛かってきた。
前よりも少し日の入りが微妙に早くなっているのか、意識していた時間に最初来た時は、坂に差し掛かった時は、すでにあたりは真っ暗だった。
翌日からは普通に西日が残るくらいの時間になってきたが、何かが起こるという感じもなく、ただ、通り過ぎるだけだった。
だが、事件が起こってから三週間くらいが経っていただろうか。あの事件のことをウワサする人もなくなり、気にはしているのかも知れないが、話題に挙げることはしないような、一種緒タブーの時期に入っていた。そんな頃に三郎も、意識の中で事件を忘れかけている自分がいるのに気が付いた。
いつものように、防空壕の前を通りかかると、すでに警察の立入禁止の札もなくなっていて、その場所には工事現場のように、黄色い衝立が置かれていた。わざわざ乗り越える人もいまさらいないだろうが、それは殺人があった場所ということで気持ち悪いという意識からであろう。一番意識として強く持っているのは、何と言っても第一発見者である三郎に違いなかった。
その日は、いつものように坂を歩いていると、前を歩く人が気になった。
「あ、あれは」
そう、その人は例の髭が特徴の「ファイブオクロック」ではないか。
三郎はその人を追いかけた。そして三週間前の出来事がいまさらながらにフラッシュバックしてくる。
その人は前と同じように、坂のてっぺんの角を左に曲がった。三郎も前の時のように急いで追いかけたが、やはり角を曲がると誰もいなかった。