ファイブオクロック
その人は女性で、男性会員には女性担当者がつくということになっているという。
「我々は、この間、日暮坂で発見された殺人事件を追いかけている者なんですが、その中で菅原さんの供述から、こちらのお話が出たので、お伺いにきました」
と、辰巳刑事がいうと、相手の女性は、殺人事件と聞いて、それまでの笑顔が少し曇り、真剣な顔になった。
それも当然のことであり、きっと結婚相談所という立場上、微妙なところにいるのではないかと思ったことだろう。
「はい、かしこまりました。お伺いいたします」
と言って、身構えていた。
「ところで、菅原さんはいつ頃入会されたんですか?」
と辰巳刑事が質問した。
「ちょうど、二年くらい前になりましょうか。最初の一年はなかなか趣味の合う方が見つかりませんで、ご紹介に至らなかったのですが、ちょうど一年したくらいの頃に、趣味の合う会員様がいらっしゃるということで、何度かリモートで会話をしていただき、お互いに気に入ったということで、お会いになったことだと思います。そこから先は怪異様同士の問題で、結婚に至る人、相性が結局合わずに別れられる方と様々ですが、相性が合わなかった方には、また会員様のおひとりとして、相性の合う人がマッチするのを待っていただくということになっています」
と彼女はいう。
「その二人はどうなったんですか?」
「途中経過として菅原さんからは、好印象を持たれて、お付き合いされると伺いました。話の様子では、感覚として、このままご成婚されるのではないかと私どもは思っておりました。相手の女性の担当にも、似たような話があったと伺っていますからね」
「ところで、ここの担当者の方というのは、自分の担当の会員様と実際に遭って、何か会話をするというようなことはあるんですか?」
と辰巳刑事は訊いた。
「そうですね。会員様がご希望とあれば、これまで異性とお付き合いしたことのない人がいるでしょうから、どうすればいいかというアドバイスの時間を持つことはできます。ただ、それは別料金ですから、なかなかそういう機会もありません。おっとも我々もアドバイスと言っても、恋愛ハウツー本に乗っている、マニュアルのようなお話しかしませんからね。それだったら、ご自分で本を買って研究される方がいいとお思いになる方も多いと思います。お尋ねの菅原さんに関しては、私は最初に面会した時、相性の合う方を紹介した時、そして最初のリモートの時の、都合三回だけでしょうか。ですから、ほとんど印象には残っていませんね」
と彼女は言った。
――なるほど、彼女の言う通りだろう。二年前に一度、一年前に二度だったばかりでは、彼も完全にただの会員の一人なのだから、一日に何人もの入会者がいれば、印象に残らないのも当然というものだ――
と辰巳刑事は、そう思った。
さすがにここでは、ほぼ何も分からなかったので、今度は菅原が依頼したという探偵事務所に行ってみた。そこの事務所はお世辞にも綺麗と言えるところではなかったが、どうやら浮気調査や結婚詐欺の調査に掛けては実績十分という話が裏ではあるようで、菅原が依頼したのも、その話を訊いていたからだった。
依頼料は決して安いものではなかったようだが、
「一生を左右する問題なので、腹を決めてきました」
という通り、彼にとって、ここでの中途半端は許されない。調査するなら、徹底的に調査してもらう方を選ぶのは当たり前だというものだ。
「捜査一課ということは、何か殺人事件の捜査ですか?」
と、面会に行って、警察手帳を提示すると、さすがに探偵、目ざとく捜査一課の文字を見た。
彼としてみれば、あまり警察とは関わりたくはなかったが、相手が捜査一課、つまりは殺人専門部署であれば、そう無碍にできるはずもなかった。
「ええ、この間、日暮坂で殺された女性の捜査です」
というと、
「確か、まだ身元も判明していないとか伺っていますが?」
と探偵がいうと、
「ええ、そうなんですよ。でも、その時、菅原良治さんという方が偶然被害者の写真を見て、知っている女性に似ていると言い出したんです。その女性というのが結婚を考えている女性で、ただ、疑念を抱き始めたので、それを解消したくて探偵を雇い調べてもらったという話なんですが。その探偵というのが、あなただというので、私たちがやってきたわけです」
と清水刑事がいうと、探偵は納得したように、
「事情は分かりました。ただ、我々には依頼者に対して守秘義務がありますので、どこまでお話していいのかという問題もありますが」
というと、
「それは大丈夫です。菅原さんは全面的に捜査に協力していただけるということでした。菅原さんが訴えている相手も行方不明ということで、せっかく被害届を出したのに、彼としても中途半端な状態です。したがって、彼もまず、あの死体が被害届の相手であるかどうか分からないといけませんからね」
と言って、辰巳刑事は探偵に封筒を手渡した。
「これは?」
「彼が探偵さんに渡してほしいということでした」
中を開けると、そこには探偵に対して警察に全面的に協力依頼をお願いする書面であった。彼の自筆の署名と、印鑑が押されていた」
「分かりました。お話しましょう。まず彼が私のところに来たのは、三か月前くらいでしたでしょうか? 結婚したい人がいるんだけど、どうも自分以外にも数人付き合っている人がいるような気がする。信じたい気持ちと猜疑心の強さから、どうしてもジレンマから抜けることができない。それで、調査をお願いしたいということで、私が捜査に乗り出しました。そこで分かったのは。確かにその女性が彼の言うように数人の男と、名前を変えて付き合っているということです。あまりセキュリティのハッキリしているわけではない結婚相談所やWEB紹介にもいくつか登録し、そこで出会った相手とも交際をしていて、その時々でプレゼントをもらっていたようです。でも、正直、それだけでは結婚詐欺とまではいかない場合もありまして、女性もこれを自由恋愛として、複数の男性とお付き合いした中から結婚相手を決めると言われてしまうと、複数の男性とお付き合いしてるというだけで、詐欺というわけにはいきません。ただ、証拠としては掴んでいるので、とりあえず被害届を出してもらって、証拠を警察に提出し、捜査してもらうということにしたんです」
と探偵は言った。
「じゃあ、もし警察の方で結婚詐欺だとして逮捕あるいは、立件できなかった場合はどうするつもりだったんでしょうか?」
と辰巳刑事はいうと、
「彼とすれば、この証拠を持って、彼女と付き合っているという男性に遭い、少なくとも自分たち以外にも付き合っている人がいるという事実を突きつけて、刑事事件にはできなかったけど、民事として、集団で訴訟を起こすことも考えていたようです。その時はまた私が相談に乗ることになったと思いますよ」
という探偵に、
「なるほど、そういうわけだったんですね。よく分かりました。私もそのやり方が一番いいのではないかと思いますね。詐欺に関しては私も素人なので、よくは分かりませんが……」
と清水刑事は答えた。