ファイブオクロック
「これは夢ではないか?」
と感じながらも、心のどこかで、
「夢であってほしくない」
などという感情があることに、驚きと一緒に、自分にとっての憤りもあった。
多重人格のような性格をいかに自分で納得させるか、それができない母親は、ジレンマに落ち込んでいたと言ってもいいだろう。
「これって臆病だと言っていいのかしら?」
とは思ったが、それは明らかに父親に感じる臆病さとは違った種類のものであったからだ。
では、父親はどうだったのだろう?
大学というところ、他の一般企業に比べて、内部が実に分かりにくくなっているようだ。つまりは、それだけ封建的なところがあるというわけだ。それはまるで徳川時代の鎖国でもあるかのようであるが、鎖国とは違うのは、内部のことが外部に漏れることはないが、外部のことは結構入ってきても問題はないということだった。
それだけに、外部の人が思っているほど、大学内部の人は、
――それほど閉鎖的ではないんだ――
と感じ、
――これが本当の世の中なんだ――
と、大学内部に対して。そう思い込んでいるのかも知れない。
特に他の教授たちのように他の大学から招かれたわけではない父親のような講師は、上の身分の助教授や教授たちには逆らえない。これを普通の体制だと思わされているだけに、当たり前のこととして従うのだった。
大学には、父親のような存在の人が少なからず必要だった。
下手をすれば、何かまずいことが起これば、真っ先に最前線で戦わされて、殺されてしまう生贄のような存在なのだ。やくざのいうところの、
「鉄鋼玉」
ともいうべき存在なのかも知れない。
しかも父親は、元々が従順で、逆らうということを知らない。それが臆病な性格から来ているということが分かってしまうと、これほど利用しやすい人もいないだろう。
自分がそんな風に見られているとも知らない本人は、
「まわりから期待されているんだ」
と、思い込まされている。
ただでさえ、皆学者という自分中心的な世界に身を置いている。教授の権力というと、実際の研究成果から裏付けられているものなので、他の会社の年功序列のような確証が曖昧なところとは違う。だから、いずれは自分も確証を持った教授になることで、下らか見上げることしかできない教授の地位を手に入れさえすれば、権力は思いのままとなって、臆病であろうが関係のない世界なのだ。
最初は、そんな大学に身を置くことに躊躇があった。
「教授の地位に上り詰めるまでに、自分が耐えられるかどうか分からない」
そう思うと、普段のストレスの矛先は家族に向いた。
一応の約束通り、大学専属の講師となることのできた父親は、母親と結婚した。まわりは祝福してくれたが、本人たちがどこまでこの結婚を喜んでいたか、甚だ疑問である。
母親は、高校生を相手に、授業と言っても完全に荒れた授業で、まだ自習の方が静かなくらいだった。教室では机は原形をとどめないほど、前を向いている机は珍しく、横を向いたり、中にはひっくり返っているものがあったりと、皆正面を向いておらず、めいめいで勝手なことをやっている。
一番前の生徒はとりあえずノートを取っているふりををしているが、先生の声が通らないほど、まわりは騒がしい。完全な無法地帯。これを授業と呼べるのだろうか?
隣の教室にも音が響いてうるさいはずである、しかし、他の先生が注意に飛んでくることはない。他の先生も母親の授業がどうなろうと気にならないどころか、自分の授業がうるささで邪魔をされていても気にならない。
騒音が気にならないというわけではない。授業が妨害されようがどうしようが関係ないという意味だ。
他の先生も真面目に授業しているようには見えるが、実際には教団の上で、呟いているだけでしかない。決まった時間、教団の上にいて、カリキュラムにそって授業を行い、テストでも、落第をあまり出さない程度の問題を出すことで、無難にやり過ごす。
この学校では、進学する生徒などそれほどいない。ただ、卒業できればいいという生徒が多いので、先生も保護者も、それでいいのだ。
一番それでいいのは生徒たちであり、騒がしくしようが、授業を聞いているふりをしていようが関係ない。
ただ、母親の授業だけは、なぜか皆騒ぐのだ。他の先生にはなぜなのか分からなかったが、深く追求してみる人もいなかった。
母親には何となく分かっている気がしたが、それは口が裂けてもいうことはできない。これでも、恥辱は保っているつもりだった。いや、凌辱を受け入れて、自分の中でいかに消化するかが課題だと思っていた。
最初は、
「こんな学校、早く結婚して辞めてやる:
と思っていたが、いざ結婚してしまうと、学校を辞めることができなくなってしまったのだ。
学校をやめることの方が怖い気がするというのが、母親の本音だった。
そんな母親の気持ちを知ってか知らずか、母親が最初に言っていたように、家庭に入ろうとしないことを、父親はよかったと思っていた。
お互いに仕事をしている方が、何かといろいろ言われることもなく、安泰だと思っていたのである。
それでも、結婚してから二年後に三郎を授かった。そんなこともあり、母親は仕方なしに家庭に入ることになった。
学校を辞める時、まったく未練はなかった。
――今がちょうどいい潮時なのかも知れない――
と感じたのは事実。
出たくなかったというのは、自分がこのままドップリと浸かってしまっていて、逃れられないという呪縛があったからだが、いざ、子供を授かって逃れることができると思うと、さっさとこんなところからおさらばするのが一番いいと、我に返ったのであった。
大学では相変わらずの父親と、家庭に入って子育てに一生懸命の母親とでは、このあたりから気持ちのずれが歴然としてきたようだった。
両親ともに、気持ちはとっくにずれてしまっていた。それでもまわりにそのことを悟らせなかったのは、世間でいうところの、
「仮面夫婦」
とは若干の違いがあったからだろう。
仮面夫婦には、お互いに不満を持っていながら、それを表に出さないようにしていることで、両親の場合は、お互いに不満は持っていたが、その不満が自分たちの気持ちのすれ違いからきていることが分かっていたので、不満な気持ちを相手に無言でぶつけるようなことはなかった。
お互いに、
「相手は自分に不安なんか持っていないし、自分も相手に不満はない。お互いにすれ違っているだけだと感じているんだ」
と思っているだけだったのだ。
「お互い様」
という言葉がお互いを戒め、そもそも臆病なだけに、相手に必要以上な何かを求めるということはしなかった。
そのおかげで、家で喧嘩も見たことはなかったが、仲良くしているところを見たこともない。仮面夫婦であれば、少なからず体裁を考えて、少しはなかよくしているふりをするのだろうが、両親にそんなことはなかった。
これが、両方とも教育者の家庭なのである。