短編集116(過去作品
父の話を聞きながら思い浮かべたすすきの穂が一面に広がった高原。父もまったく同じイメージを抱いていた。じっと父の瞳を見ていると、そこにすすきの穂が揺れているのが見えるようだった。
まったく同じことを想像していると思った時、初めて、
「前にも見たことがあるような」
と感じた。まだ、小学生の低学年だった頃で、それほど相手が考えていることなど分かる年ではない。むしろ、相手が考えていることが何なのかを考えられるほど成長しているわけではない。
本能で感じたとしか思えない。
だが、その時から相手と話をする時に、本能的に相手の目を見るくせがついてしまった。すすきの穂の話をした時ほど、相手の目の奥を意識することはなかったが、相手が何を想像しようとしているかを探るようになっていた。
なかなか分かるものではない。正直父親と話した時だけしか、相手が想像していることを自分が想像できていると感じたことはない。
あれから何年経ったのだろう。今は二年前に天満宮に行った時のことを思い出すより、父親の目を見つめた時の記憶の方が鮮明に思い出せるくらいだった。時間の感覚とは実に曖昧なものだ。
天満宮の帰り、参道を歩いていた。みやげ物を見て歩く人が来た時よりも増えているようだ。
参道の途中に喫茶店がある。レトロ調の喫茶店で、以前から入ってみたいと思っていたのだが、いつ覗いても客がいっぱいで落ち着ける雰囲気ではない。
江戸時代から続く木造家屋を喫茶店に改装しているが、店の中は、大正ロマンを思わせる雰囲気に包まれている。
チラッと覗いただけだったが、ダメで元々と思い、扉を開けてみた。
珍しく中には客は一人もいなかった。
「いらっしゃいませ」
フリルのついたエプロン姿の女の子がトレーを持って出迎えてくれる。他に客がいないのであれば、窓際に座ることにした。
ちょうど日差しが当たるので、表からは中が見えないようになっていて、しかも、斜光ガラスになっているのか、それほど中からは眩しくない。客に対しての細かい心遣いはなされているようだ。
籍に座って店内を見渡すと、思ったよりも天井が高く感じた。立っている時はそれほどでもなかったのに、座ると視界が広がるのは、木造ならではなのかも知れない。
店内には、ジャズが流れていた。聞いたことがあるような曲だが、曲名までは思い出せない。元々大学の頃からクラシックやジャズには造詣が深かった。
「君はクラシックとジャズ、どちらが好きなんだい?」
大学時代に友達数人と音楽談義をした時に出た話だった。
友達にいわせれば、
「どちらが好きかによって、他の音楽のどんな種類が好きなのかが分かることもあるらしいからね」
「というと?」
「クラシックが好きな人は、そのままポップスを経て、演歌に走る。ジャズが好きな人はロック系統を聞いたりすることもあるだろうが、最後までやはりジャズが好きなままだったりするらしいんだ」
「それって、誰から聞いた話なの?」
「高校の時の先生からだけど、それも信憑性に欠けるような話なので、こうやっていろいろな人に聞いてみているんだ」
「そうね、一概には言えないものね」
松本も黙っていなかった。
「俺はジャズもクラシックも、どちらも好きだけど、他の音楽はあまり聴かないね。音楽自体、あまり聴かないかも知れない」
松本の場合、自分でCDを買ってきて聴くというようなことはない。喫茶店で流れているのを聴いているのが好きなのだ。だから、喫茶店に入る時も、ジャズやクラシックを流しているような喫茶店を選んで入る。手には本を持っていることが多く、本を読む時のBGMとして、クラシックやジャズを楽しむのが好きだった。
その日は本を持っていなかった。喫茶店の中に週刊誌があるので、それを読むしか仕方がなかったが、とりあえずテーブルに週刊誌を持ってきていたが、それを開くことはなかった。
目を閉じてジャズを聴いている。椅子に座って最後に見た光景をイメージしながら曲を聴いている。一曲が終わるまでの時間は自分が想像していたよりも早かったようだ。
「お待たせしました」
運ばれてきたコーヒーの香りで目を開ける。湧き立つ香りの元が、まるで壁にしみこんでいくように湿気を感じていた。
一口口に含むと、苦さが何とも言えず、一口水を口に含んだ。水を含んだにも関わらず、香ばしい後口が、消えようとはしない。
壁に並べられているものを見ていると、それがコルクであることに気がついた。
「喫茶店とコルク」
一見まったくつながりがないように思えるが、コーヒーの湿気を打ち消しているように思えた。
木造なのに、木の香りがしてこない。コーヒーの香りだけが漂っているのは、木の香りをコルクが中和しているのではないかと思うくらいだった。木の香りがしても一向に構わず、その方がいかにもレトロっぽくていいのに、どうしてなのだろう。子供の頃に遊びに行った友達の家が農家で、昔からある納屋で遊んでいた時のことを思い出していた。
木の香りには、血の匂いが沁み込んでいる気がするのだった。小さい頃の思い出したくない、封印してしまいたい記憶であった。
納屋には今ではなかなかお目にかかることのできない農具が置いてあった。農家自体に立ち寄ることがなくなったからだが、当時を思い出すのが嫌だというのも一つの理由である。
ちょうど、昔の家屋から、新しい家に建て替えを行っていて、昔の家のすぐ隣に、建て替えていた。
「お前の家は広いんだな」
初めて遊びに来たので、もう少し遅かったら、昔の家を見ることができなかっただろう。
自分の家も古かったが、さすがに木造住宅ではなかった。子供の頃はコーポに住んでいて、賃貸だったのだ。
父親の転勤がいつあるか分からないサラリーマンということで、一軒家を持つのは難しかった。
「やっぱり一軒家というのは、いいよな」
何よりも二階に上がる階段まで、自分の家だというのは、嬉しいものだった。
「僕は一軒家しか知らないから何とも言えないけど、あまり広いのもどうかと思うよ。特に昔の木造の家は、何につけても広いらしいからね。誰がどこにいるのか分からないのも困ったものだよ。
確かに友達の家は一部屋がやたら広く感じた。居間などは、床の間に掛け軸や大きな壷、さらには鎧かぶとまであって、昔の武家屋敷のようだった。
「この鎧かぶとは、おじいさんが端午の節句の時に買ってくれたらしいんだ。僕がまだ小さい頃だったので、僕本人は覚えていないんだけど、やっぱり家にこれだけのものがあると嬉しくはなってくるよね」
「真っ暗な部屋で見ると不気味な感じがしてきそうだね」
自慢話が癪だったので、皮肉をこめて話を逸らした。
「ああ、そうだね。木造の家だと特にそうだね。時々、この鎧の目が光っているように思えてならないんだ」
「まさか、そんなことはないだろう?」
「もちろん、錯覚だけどね。そういう意味でも日本家屋、特に木造家屋は怖いよね」
友達は、今度は納屋に連れて行ってくれた。農家というものを知らない松本が言い出したことだった。
「納屋は結構ヒンヤリとしていて気持ちがいいよ」
作品名:短編集116(過去作品 作家名:森本晃次