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短編集116(過去作品

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 防空壕の何たるを知らなかったというのもあったが、穴の中を怖いもの知らずの気持ちで覗き込んでいた。
 あの時も夏だった。汗が滲んでいて、穴の奥にある暗闇が見えた時、
「涼しそうだな」
 などと悠長なことを考えたものだ。
 穴はそれほど大きくなく、大人ならギリギリは入れるほどである。子供が入る分には入れるだろうが、何しろ中が見えないだけに、見ているとだんだんと不気味に見えてきた。
 しかも、見ていると、だんだんと穴が狭くなっていくように思えてくる。子供が何とか入るくらいだと思っていたが、よくよく見てみると入ったら最後、二度と出られないように思えてならない。
 錯覚を感じるのは、奥が見えないからだ。穴があれば、どれほどの深さかを穴の大きさで判断するのだが、まるっきり奥が見えないと想像もつかない。シャツに滲んでいる汗が次第に冷たくなって、気持ち悪くなってくる。
 汗は一向に乾こうとしていない。体温が次第に汗を乾かしていくのが自然なのだが、いきなり冷たくなるということは、それだけ空気がまわりと違って冷たいということだろう。だが、冷たい空気を感じることがないのは、まだまだ湿気が強かったからかも知れない。湿気が強いと、せっかく体温によって蒸発しようとしている汗を冷やしてしまって、逃がさないようにするだろう。身体がベタベタして、自分の体温を下げているのか、熱いままなのか分からなくなってしまう。
「まるでモグラの作った穴のようだ」
 そこまで小さく感じる。
 モグラの作る穴は、なるべくまわりに気付かれないように、目立たないところや、草が生えているところに作るのではないか、それは本能があるからで、本能を感じていると、防空壕の何たるかを知らない松本にも、次第に恐怖が訪れる。穴が小さく見えてくるのは、そんな現象が働いているからではないだろうか。
「ゴーッ」
 奥から轟音が聞こえた。
 やはり、記憶の奥に封印したものが二つあったのだ。
 そのことを思い出したのがいつだったのかということも定かではないが、真っ暗なものへの恐怖感、そこに行き着くまでの何かが存在しているに違いない。
 気がつけば、恐ろしくて空き家から逃れていた。
 空き家に行ったなど、誰にも言えるわけはない。子供心に、立ち入り禁止の札があるところに勝手に入り込んでしまった自分への戒めがあり、バレることの恐ろしさよりも、誰かに話して、封印したはずの記憶を悪戯に思い起こさせて、怖い夢となって現れることが、その時は一番怖かった。
 だが、防空壕については興味があった。
「防空壕というのは、戦争中に落ちてくる爆弾から身を守るために、近所にいくつもあった横穴の洞穴のことだ。戦争もどんどん激しくなると、毎日のように爆撃機が爆弾や焼夷弾を落としていく。怖い思いをして、防空壕に入ったものだよ」
 子供が想像できる範囲ではない。祖父に聞いてみた。
「さすがに毎日ともなれば、早く帰ってくれないかということだけを思っていたね。いつ死んでも不思議のない時代だったくせに、自分だけは絶対に死なないなんて、まったく根拠のない思いを抱いていたものさ。というよりも死ぬということが怖くなくなってしまうんだね」
「それは死というものへの感覚がなくなるということなのかい?」
「そうかも知れないが、逆に言えば、生きるということに感覚がなくなってきたのかも知れないね。本当に怖いと思った空襲の最初の頃、この頃が一番死にたくないと思っていて、生きることに執着していた時期だった」
「じゃあ、今は?」
「世の中が平和になると、生きることへの感覚は薄れてきたね。生きているということに感謝はしているが、死ぬことの恐怖感は忘れてしまった。目の前で無残な死に方をしている人をずっと見てくると、平和になった後からは、何かの感覚が麻痺してくるのを感じてしまうんだろう」
 人の無残な死を目の当たりにしたことがないので、何とも言えなかった。感覚が鈍ってしまっているといっても過言ではない。
 戦争の話は映画や、祖母からの話で聞いていた。それよりも一番印象的だったのは、子供教育用にと作られたアニメだった。
 ある作家の実体験に基づいた小説を元に、漫画家が描いたのがそのまま映画化されたのだ。
 実写版では表現できないところをアニメだと色をつけて表現できる。さすがに過激なものは教育上に問題があるので難しいが、スクリーンに繰り広げられる爆撃シーン、逃げ惑う住民の悲痛な様子が生々しく描かれていた。音響も抜群で、爆撃音などは、鬼気迫るものがあった。
 それを見ていたので、戦争がどのようなものか、分かっているつもりでいたが、実際に戦争が終わって数十年も経ってから、当時の名残りをひっそりと残している防空壕は、見ていて時間が経つのを忘れさせる。
 あまりにも静かだった。静かすぎて防空壕の本当の居場所である戦時下が想像できない。じっとそのままこれから何十年も、誰にも邪魔されずにひっそりと佇んでいてほしいと感じるくらいだった。
 だが、さすがにそうも行かない。建物はそれから二年もしないうちに取り壊され、防空壕があった丘も整地にされ、その上にはマンションが建っている。
「誰も、その下が、ずっと長い間防空壕として荒れたままになっていたことなど知らないだろうな」
 知っていれば買うわけもない。まだ、亡霊が蠢いているような場所を買うだろうか。
 だが、考えてみれば逆である。
 防空壕があるから、人は助かっているのであって、防空壕自体は、怖いものではない。ただ、過去の戦争という亡霊が、知らない人には何もかも一緒に考えてしまうからであろう。
 静かに佇んでいた姿をじっと見ていたから、余計に怖さを感じる。
「何が怖いといって、知っているもので実際に経験したことのないものほど恐ろしいものはない」
 話にだけ聞いていて、それを勝手に想像する。想像はとどまるところを知らず、ひょっとして実際よりも恐ろしいイメージを頭に描いているかも知れない。だが、どんなに恐ろしいイメージを抱こうとも、経験には絶対に勝てないのだ。そのギャップを、「恐怖」として常に抱え込んでいるとすれば、それはトラウマというものであろう。
 トラウマとは実際の経験から来るものであるが、経験したことのないものでも、想像を膨らませることでより近づくことができる。確かに想像は経験に絶対に勝てないが、想像する中で、
「以前にも感じたことのあるような」
 と思うことがある。
 それを松本は遺伝ではないかと思ったことがあった。父親が小さい頃によく話してくれた山の話など、まるで行ったことがあるようなイメージを湧かせていたからだ。
 父は、登山が好きだった。険しい山に登るというわけではなく、ハイキングに毛の生えたようなものだったが、
「山に登ると、太陽が近く感じる」
 と話していた。
 父が好きな光景は、すすきの穂が一面に広がった高原だった。真っ青な空に、真っ白なすすきの穂が揺れている。風が吹いていようがいまいが、関係ない。すすきの穂は揺れるものである。
作品名:短編集116(過去作品 作家名:森本晃次