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短編集116(過去作品

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 建物はすべてが扉で閉ざされていて、誰も住んでいないように思えた。荒れ寺にしか見えないが、十分表は付近の住民に親しまれる境内として存在している。一年に一度の鎮守祭くらいは行われていても不思議ではない。
「きっと、ここの人の住まいは、近くにあるんだ」
 と思うことで納得していた。
 誰も出てくる様子もないので、井戸に近づいてみた。井戸のまわりには蔦が絡み付いていて、本当に陰湿な雰囲気しか滲み出てこない。井戸の上には網目の蓋がなされていて、誰かが誤って落ちないように工夫されている。
 井戸の近くまでくると、
「ゴーッ」
 という轟音が聞こえた。腹の底に響きそうな低い音は、確かに井戸の底から聞こえてくる。
 その音への記憶は自分の中に封印している記憶を呼び戻すかのように、イメージが膨らんでくるが、記憶の浅い部分なのか、深い部分なのか分からない。真っ暗なトンネルがイメージに沸いてきて、一瞬カッと目を見開いたが、その瞬間に何が見えたというのだろうか。
「気味が悪いな」
 誰に言うでもなく、勝手に入り込んでしまったことを初めて後悔した。もし、ここで何かあって自分が消えてしまっても、誰も自分がここに立ち入ったことを知る由もないので、きっと、蒸発したと思われるだけだろう。いくら落ちないように細工がしてあるとはいえ、恐ろしくて井戸のふちまで近づく勇気はなかった。
 腰が抜けたようで、気持ち悪さもともなっていた。早くこの場から逃げ出したい衝動に駆られたが、ゆっくりと後ずさりすることで、何とかその場を逃れることができた。
 通路を抜けて表に出た時、後ろから誰かに見られているような気分に陥ったのは錯覚だったのだろうか。
「こんなことなら最初にお参りをしておくんだった」
 お参りをし忘れて、衝動的に裏に回ってしまったことが恐怖を作り上げたのではないかと感じた。だが、あの時に裏へ回ったのは自分の意識というよりも、何かに呼ばれたという意識の方が強かったのだ。結局お参りすることなくホテルに帰ったが、そのことはホテルの人にも誰にも、金輪際話したことのない自分の中での「パンドラの箱」と位置づけてしまっていた。
「パンドラの箱」は大袈裟かも知れないが、開けてはいけないものだということに間違いのないものだった。
「恐怖というものは、自分が感じてしまうから恐怖なのであって、感じる恐怖のうちのいくつまでが本当に感じる恐怖なのか疑わしいものだ」
 と言っていた人がいたが、その気持ちを今さらながらに感じている松本だった。
 その話は学生時代の友達の誰にもしなかった。今までであれば、旅先で知ったちょっとした情報は、皆で共有したりしたものだが、この話だけは奇妙すぎて、人から信じてもらえないかも知れないと自分で封印してしまった。そういう意味で、「パンドラの箱」と呼べるものなのかも知れない。
 近くにある天満宮も、歴史の古さから、何か曰くのある場所があるかも知れないと思って書物を漁ったりしたが、何もないようだ。それでも、たまに天満宮を訪れるのは、気分的に落ち着くからで、時間を持て余している学生にはちょうどよかったかも知れない。
 天満宮にも古井戸はある。
 境内の裏になるのだが、裏はちょっとした公園のようになっていて、茶店などもあったりして、あまり閉鎖的なところではない。そんなところに古井戸があるのだから、意外と誰も気にしていないだろう。
「まるで石ころのような存在だよな」
 何度か歩いているうちにやっと気がついた井戸を見た時、思わず口から出た言葉だった。
 石ころというのは、そのあたりにたくさん存在している。たくさんありすぎて、誰も気にするものではない。
「灯台下暗し」
 という言葉があるが、それと似たものである。見えているのに意識の外にあるもの。それが石ころである。
 古井戸に異常な意識を持ち始めたのは、旅行先で見た神社の裏にあった古井戸の異様な雰囲気を思い出すからであろう。だが、意識の中にはもっと昔から、子供の頃から井戸に対して異様な雰囲気を感じていたように感じる。
「子供の気持ちで感じた」
 という感覚があるのだ。純粋にただ怖いというイメージで、逃げ出したいが足がすくんで逃げられないという思いである。
 神社の裏手の古井戸を見た時、以前から古井戸に対して異様な雰囲気を感じたわけではなかった。その時の独特な雰囲気だけが松本を支配していたのだ。
 松本にとって恐怖とは何なのだろう?
 ただ、訳の分からないものに対しての恐怖というのは、それほど感じたことはない。子供の頃に純粋に怖いと感じたものも、成長するにしたがって、その恐怖がどこから来るのか感じるようになっていった。
 だが、逆に子供の頃に感じたいい知れぬ恐怖が完全に解消されたと言えるかどうか、判らない。怖いという感覚がなくなっただけで、言い知れぬ恐怖が何であったかなど、分からないまま成長してきたのだ。
 もし、同じような言い知れぬ恐怖を感じた時、そのようにすれば解消できるかなどの解決策はまったくない。時間が解決してくれるとしか答えようがない。
 大人になってから恐怖を感じるというのは、自分の中では恥ずかしいことだった。
「怖いものなどないさ」
 目に見えないものへの恐怖は当然ある。将来への不安や社会という大きなものへの恐怖は漠然としているがゆえに恐怖が芽生えても仕方がないものだ。だからこそ、子供が感じるような純粋な気持ちの恐怖を大人になって感じることは恥ずかしいことだという自論を持っていたのだ。
 暗い穴への恐怖なのかも知れない。
 小学生の頃、学校の近くに横穴があって、普段は草に覆われていて見えないようになっている。通学路の途中にあるその穴は、空き家の横にある丘に続いていた。
 空き家は昔の華族の家だったようで、かなり広い屋敷である。建物は半分だけ残っていて、庭も建物も荒れ放題。大きな門があったと思われるところから、ずっと綱が引っ張ってあって、入れないようになっている。
「いずれ取り壊しされることになっているんだ」
 という話だったが、少なくとも松本が意識し始めた二年間で取り壊しの様子がなかった。本当に荒れ放題で、誰も怖くて立ち入らない。
「夜になると幽霊が出る」
 という噂すらあり、ウソか本当か、真実のほどは誰にも分からなかった。
 横穴については、知っている人は少なく、学校の先生に聞いても、知らなかったようだ。
 だが、松本の裏に住んでいる老人夫婦から、
「あれは戦時中に作られた防空壕の跡じゃな」
 と聞かされた。
 防空壕というのがどういうものかということは、母親から話を聞いて少しは知っていたが、実際にどれほどの恐怖がそこに存在したかは、想像できるものではない。
 自分で想像できないものに対しては、過剰な意識が働いてしまう。恐怖を感じることであれば、想像できないだけに、必要以上に恐怖を自分自身で煽ってしまっているだろう。そのことがどれだけ自分の意識の中に跡を残すか、次第に分かってくるようになっていった。
 大人になると臆病になるというが、まさしくそのとおり、その時の松本はそれほどの恐怖を感じることはなかった。
作品名:短編集116(過去作品 作家名:森本晃次