短編集116(過去作品
と思ったくらいだ。いくつ全国に自分の管轄の場所があるかということを正確に把握していないのではないかとさえ思えたくらいである。
大学時代は、そんなあまり目立たない遺跡や墓陵に造詣が深かったのは、松本の性格が影響しているのかも知れない。
「誰もが注目することを見ていても面白くない」
誰もが興味を示さないものに興味を示し、ふとした時に知っていることの話題にでも出せれば、かなりインパクトが違うことも分かっていた。最初はそういう打算があった事実も否めないが、誰もが注目しないことに注目するということは自分の中で満足感が得られることへの裏返しに思えてくる。そんな思いをしたいと感じることが、松本の性格を形成している中に存在していたのだ。
一度、旅行先で行った神社が印象的だった。
そこは、あまり観光客が立ち寄るところではなかった。地元の人たちだけでひっそりと維持しているようなところで、それでも歴史的には古い神社だということは聞かされていた。
その街を訪れる観光客は少ない。観光地というよりも、都会へのベッドタウンとして栄えてきた街で、宿も昔からの旅館かビジネスホテルが二軒ほどあるだけだった。
生まれて初めてビジネスホテルというものに泊まったのはその時が最初だった。
本当は、そこから電車で三駅ほど離れたところに観光地があり、宿もそこで確保するつもりだったのだが、あいにく祭りの時期にぶつかったのだ。宿はすべてが予約でいっぱいになっていて、
「一年で一番盛り上がる祭りなので、宿の予約は半年くらい前からしておかないと、泊まれないよ」
とビジネスホテルの人は話していた。
「祭りで人が多いのも困ったものだな。それなら、他に見るところはないのかね?」
と聞くと、
「ないわけではないけど、この街に神社があるだけですよ。何でも平家一門の中の一人がこの地を訪れ、神社へ何か奉納したらしいんだが、結局それも平家の滅亡とともに、闇に消えてしまったということですね」
どうやら、宿に人はこういう歴史の話が好きなようだ。
「なるほど、興味深いですね。関が原の戦いで徳川方が勝ったことで、豊臣家のものは、ほとんどこの世から消されたという歴史もありますからね。平家のものがこの世から葬り去られたとしても、それは仕方のないことです」
「豊臣家のものも、ものによってはニセモノを用意したりして、破壊を免れたものもあると聞いたことがあります。もちろん、徳川の時代が終わってから、初めて世に出たものも少なくはないでしょう」
「その時の平家の奉納物は、結局分からずじまいですか?」
「そうですね。平家の人といっても、誰なのかもハッキリしていませんし、その人が誰か分かっていて、奉納したものが何であるかなどハッキリしていれば、きっと、この街も観光地の一つに数えられたのかも知れません」
そんなところは全国にたくさんあるのではないだろうか。この街だけに留まらず、伝説の残っている村や街は点在していることだろう。だから歴史を感じる旅は楽しいものなのだ。
宿に入ったのが時間的に遅かったので、神社へは翌朝向ってみた。
朝食を早めに済ませ、神社には八時近くに向った。朝日が眩しい中、宿の人に場所を教えてもらい出かけていったのだ。
宿からは歩いて十分ほど、一直線の道なので迷うこともなく歩いていける。小高い丘の上にあるので、街のどこからでも見ることができ、赤い鳥居を少々遠くからでも見ることができた。
鳥居を潜ると、そこからは階段になっている。たいてい小さな神社で見ることのできる光景だ。
石段は一段ずつ自然の石が使われているため、段差がすべて不規則になっている。しかも結構大きな石が使われているため、段差はほとんどが急である。
石段の横にはいくつもの幟が立てられていて、豊穣祈願が書かれている。夏の時期なので、これから実りの秋に向って、神社の神様も大忙しというところに見えた。
朝なので、それほど暑さは感じない。石段を昇り終わるまでにはさすがに汗を掻いたが昇りつくと、そこには鎮守の森と言えるような大きな木が生え揃っていた。
境内はさほど大きくなく、こじんまりとしている。それでもお百度参りの石と、狛犬が静かに昇ってきた客を出迎えてくれる。
本当に静かな境内だった。森の間から差し込んでくる日差しの眩しさに、汗が光っている。汗を見ると呼吸が荒れてくるのを感じ、木陰へと歩いていく。
木陰にはベンチがあって、そこで呼吸を整えた。肘を膝の上に乗せ、顎を突き出すように前を見つめていると、最初に上がってきた時に感じた境内の狭さがまるでウソのように広く感じられた。
「見る角度によってこれほど違ってくるものなのか、それとも最初にあった先入観の成せる業なのか、どっちなんだろう?」
と考えたが、結論を求める考えでもなかった。
朝の散歩気分でやってきていた。観光だと思ってくると、さすがに幻滅しそうだったからだが、元々、こういうところで何かを探したいというのも旅の醍醐味であった。ビジネスホテルの人に聞いた平家の伝説が本物かどうかは分からないが、そのつもりで境内を見ていると、次第に何かを感じてくるから不思議だった。
手を洗う場所があって、木の杓で水を掬い、乾いた喉に水を流し込んだ。朝だというのに喉が渇いていたのは、それだけ階段がきつかったということか、自然にできた石段なので、それも仕方のないことだろう。
右手で柄杓の先を持ち、左手で添えるようにして飲むと、なかなかおいしい。顔を上げて前を見つめると、そこには深緑の奥にある漆黒の闇が見えてきた。
闇は通路を作っていて、どうやら奥に何かがあるようだ。
松本はその奥に興味を持った。ゆっくりと水を飲み干すと、まるで吸い寄せられるように通路へと向かっていく。
曲がりくねった道は、そのまま境内の裏手に繋がっていて、境内の裏手も広場になっている。
といっても、さすがに表ほど広くなく、建物の長い廊下がまるで縁側のようになっていた。
「縁側から庭を望めるようになっているんだな」
と思ったが、そのわりには暗く、陰湿である。落ち葉で荒れ放題になっていて、何重にもなった落ち葉のじゅうたんに、思わず足を踏み入れてしまうと、奈落の底に落とされてしまう錯覚に陥ってしまいそうだった。
落ち葉は、思ったよりも湿気を吸い込んでいて、昼間であっても光が当たらないのではないかと思わせるほどだった。
確かに夏は湿気が多く、ベタベタしているが、木陰にくれば少しは涼しく感じるものである。それなのに、この陰湿さは一体何なのだろう。
その奥をさらに覗いてみると、そこには少し盛り上がったところがあった。ちょうど膝くらいまで盛り上がっていて、最初は暗さで何か分からなかったが、近づいていくうちにそれが何であるか分かってきた。
「井戸だ」
思わず呟いた。
古井戸が暗く陰湿なところに存在している。しかも落ち葉のじゅうたんに隠されて、誰にも知られていないかも知れないと思った。第一、この裏でさえ、誰が知っていようというのだろう。ここの神社の人間にしか分からないのではないだろうか。
作品名:短編集116(過去作品 作家名:森本晃次