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短編集116(過去作品

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 表に出ると、その日は前日と違ってかなり寒い。放射冷却現象も手伝ってか、晴れているのに、ここまで寒いのは、空気もかなり乾燥しているに違いない。
 車のフロントグラスが凍り付いていて、ペットボトルに入れた液体をフロントガラスに流している人がいる。湯気が出ているので、熱湯ではあるまいか。今年になって初めてそんな光景を見たが、自分の吐く息の白さにも、寒さが感じられる。
 歩いている人の中には背中を丸めている人もいる。自分も背中を丸めて歩いているので、さらに寒く感じられた。
 駅までの距離が冬になると遠く感じられる。背中を丸めていると下ばかりを見て歩いているようになるからで、下を気にしていると、距離感がまともにつかめない。しかも、下を見つめていると、自分の身長を基準にした長さしか見えていないので、少ししか歩いていないのに、かなり歩いたような気分になってしまうものだ。
 風が強い時など特にそうで、前をまともに見ていないことが多い。車のスピードもいつもより遅い気がして来るくらいで、歩いているスピードも心なしか早いのに、距離感がつかめないことで、目的地に着いてみると、結局考えていたのと変わりない時間だったりする。しっかりと帳尻が合っているのが面白い。
 耳まで真っ赤にしながら歩いてくる人たちが駅のコンコースに急ぎ足で駆け込んでくる。
 駅の中は喧騒とした雰囲気で、通勤通学の客でごった返していた。
「今日も満員電車だな」
 満員電車は嫌いではなかった。中途半端に人が一杯というよりも、押されて身動きが取れないほどのラッシュの方がいいと思っているのは荻沼だけだろうか。
 幸いにも乗る駅と降りる駅とは同じ側の扉で、しかも、急行電車であれば、次の駅である。
 身動きが取れないほどのラッシュだと、身体が宙に浮いたようになってしまう。そうなれば身長が高い荻沼にとっては、まわりの人に身を任せればいいからだ。あれだけ人がいるのだから、一人の力で押し返しても、まったくの無意味である。それならば、波に乗るのと同じ要領で、身体を預ければ、足で踏ん張って安定を保たなくてもいいはずだからである。
 改札を抜けてホームへ上がると、そこにはすでにたくさんの人が電車が来るのを待っている。これも毎日変わらぬ光景だ。新聞を読んでいる人、友達とワイワイ話している女子高生、黙って電車待ちをしているOLと、普段見慣れた光景だ。
 滑り込んでくる電車を見守りながら、皆一列に並んでいる。扉が開いた瞬間に、たくさんの乗客が押し出されてくる。彼らすべてが、この駅で降りるわけではない。完全に反動で押し出された人もいれば、降りる人のために一旦ホームに出る人、また自分のスペースを確保したくて、一度車外に出る人とさまざまである。
 だが、その人たちのどの人の気持ちも分からなくはない。電車の中では誰もが平等に苦しい思いをしている。背が高いこともあって比較的楽をしているはずの荻沼でさえも、息苦しく感じることは何度もあった。
 人の波に逆らうことなく後ろの方から電車に乗り込む。うまく乗らないと、乗りそびれることもあるので、どのあたりに待っていれば何とか乗れるかということは日頃の経験から計算済みである。
 人が飲み込まれていくのを後ろから見ていると、いつも同じ人ばかりのように思う。
「ついさっきも見たような気がするな」
 ずっと見ているような気がしてくる。そんな光景を今までにも何度か感じたことがあった。
 あれは小学生の頃だっただろうか。友達が引っ越していった時の光景が忘れられず、引越しのトラックを見ただけで、毎日のように友達の引越しの場面をさっき見たことのように思い出してしまうのだった。
 その友達とは日頃から格別に仲がよかったわけではない。たまに遊びに行く程度で、それも一人ではなく、数人呼ばれた中の一人であった。
 家はマンションで、いつも母親がいた。母親はどこか弱弱しく、息子の友達をもてなしてくれる。そんな母親を友達はあまり快く思っていなかった。
「なんだい、あれは、もっとハキハキできないものかね」
 一度だけ小さい声でぼやいていた友達の言葉を聞いたことがあった。それから母親が何かを持ってきてくれた時に見せる友達の奥歯を噛み締めるような表情が忘れられなくなってしまった。普段はほとんど無表情なのに、その時だけ感情をあらわにする。隠そうとはしない。
――それなのに、どうしていつも友達を呼ぶんだろう――
 不思議に思ったものだ。
 引越しの時に、初めて友達の悲しそうな顔と、母親のキリッとした顔を見た。それが忘れられないでいるのだ。それだけ普段と表情が違っていた証拠であろう。友達がいなくなったマンションは通学路とはまったく違うのに、しばらくは学校からの帰り道、遠回りをしてでも、友達の住んでいたマンションの前を通りかかるようにした。
 止まっていないにも関わらずトラックが止まっているように思えた時期がどれくらい続いただろうか。約半年くらい続いたように思う。気になっている時はトラックを別の場所で見た時でさえ意識したのに、気にならなくなると、まったく意識しなくなってしまった。気にしていたこと自体を忘れてしまうかのようである。
 母親の寂しそうな顔だけがイメージとして残ってしまった。それからであろうか、寂しげな女性を見ると気になってしまい、いつの間にか自分の好みの女性としてイメージされてしまった。
 好みの女性のイメージは持って生まれたものではないと思っている。これは母親のイメージを意識する前から感じていたことで、自分が深い感銘を受けた女性のイメージがそのまま自分の好みになると思っていたからだ。
 しかし、同年代ではなく、友達の母親というかなり年の離れた女性である。荻沼は母親に対してコンプレックスを持っているわけでも、何でもない。溺愛された覚えもなければ、逆に虐待されたイメージもない。どちらかというとオンナとして見ることはできない。普通は誰でもそうだと思っていた。
 今から思えば友達は自分の母親に女性を見ていたのかも知れない。その視線を感じて、母親は息子の視線に逆らうことができず、いつも寂しそうに見えていた表情に怯えがあったのかも知れない。
――助けてあげなければいけない――
 別に母親を襲うようなイメージがあったわけではないが、母親の怯えに満ちた表情は、荻沼への無言の助けを求める視線だったと思うようになっていた。思い上がりもはなはだしいが、子供心に女性から見つめられたという感情に満ち溢れていたのだ。
 友達が引っ越していって半年、友達の母親に似た人を街で見かけた。本人ではないはずなのに、今でも本人だと思っているのは、それだけその時に声を掛けることができなかった自分に後悔があるからだった。
 その思いが強いことで、マンションの前でのキリッとした表情が薄れていった。同じ人に二つの印象深い表情のイメージを抱くことが不可能な荻沼らしいではないか。
 最近、気になっている女性がいる。彼女はいつも同じ電車に乗っていて、荻沼とニアミスを起こしたことも何度かあった。
作品名:短編集116(過去作品 作家名:森本晃次