二人一役復讐奇譚
客の中にはその思いをくみ取って、決まった時間の間、身も心も彼女に預ける思いで、それがサディスティックな印象に結び付いたのだ。
ただ、それは二重人格というわけではなく、絶えずあやめの中で、自分ともう一人の自分が葛藤しているのが見え隠れしていた。
これは、あやめの相手をしたお客さんでなければ分からないことだった。
ただ唯一知っている人がいたとすれば、ソープに行く前のあやめを知っている秋田だったのかも知れない。
もし、あやめがソープにいくと分かって、それに対してその時まわりにいた人皆が知っていたとして、どのように感じるかと思い起こせば、皆が皆、
「彼女にはできるはずはない」
というであろうが、秋田だけは、
「お似合いの仕事なのかも知れないな」
と感じたことであろう。
もちろん、秋田にそんなことを言える筋合いなどないことはハッキリしていることであるが、秋田はそのことを出会った時から分かっていたのではないかと思えるような素振りがあった。
あやめが付き合っている時にそんなことを分かるはずもなく、当時のあやめは、いくら自分の付き合っている人であっても、相手が何を考えているかなどということに立ち入ってはいけないと思っていた。
「相手に対して遠慮することが、女性としての自分ができることではないだろうか?」
と思っていたようだった。
控えめだった自分も本当の自分であり、もう一人の女王様を思わせる自分も、間違いなく本当の自分であった。
秋田は、そんなあやめを見ていたから、彼女に対して距離を完全に縮めようと思っていなかったのも事実であるが、距離を縮めることのできない理由が、自分の中にあることも分かっていた。
あやめはそのどちらも分かるはずもなく、
――この人は何を考えているのだろう?
と、秋田を見ていたのだ。
この店では、ほとんど顔見せはしていない。ネットや風俗史では、顔を完全にぼかしていて見えなくしているので、もし顔が分かるとすれば、来店し、受付で指名する時に、初めて顔を見ることができる。
大衆店ではそういう店が多く、お店の受付まで来てしまえば、どこで入店に対して躊躇する人は少ないのではないかという考えなのかも知れない。男というのは、お店の雰囲気にドキドキを求めてくる人もいるようで、風俗店の醍醐味を、
「女の子に会うまでに、醍醐味としてはほとんど味わったことになるような気がするんだ」
と言っている人もいるくらいである。
確かにお店の独特な雰囲気は、何度来て常連になっていても、そのドキドキ感は変わらないもののようだ。それだけお金がかかっているという印象があるのか、それとも、最初に心臓が破裂するのではないかと思えるほどの感動を味わっているからなのか、そのどちらもなのかも知れない。
ここに一人の客がいた。名前は「サトシ」と名乗っているが、本名かどうか分からない。彼は大衆店が基本であるが、たまに高級店にも顔を出す。大衆店には、一か月に一度くらいの割合で、高級店には、三、四か月に一度くらいの割合であろうか。
どちらかというと、ほとんど趣味もなく、お酒やたばこを嗜むこともないサトシは、一か月に一度のソープ通いを楽しみにしていた。
お気に入りの女の子は、あやめであり、それまではお気に入りというのを作っていなかったが、一度あやめに遭ってしまうと、次からはずっとあやめばかりを指名するようになった。
あやめもサトシに関しては特別な思いを持っていた。
別に好きになったというわけではない。好感の持てるタイプの男性だとは思うが、現実的に考えて、ソープ嬢の自分とつり合いが取れるわけはないと諦めていたのだ。
あやめがサトシを気にするのと、サトシがあやめをお気に入りにする理由には共通点があった。
サトシが最初あやめにあった時、サトシはその場に立ちすくみ、動けなくなってしまった。ビックリしている様子が見て取れたが、
――この感覚、どこかで味わったことがあるような気がする――
と感じたのだ。
それがいつだったのか、すぐに思い出した。
――そうだ、あの男、秋田が私を初めて見た時に示した驚愕の表情に似ているんだ――
と感じた。
あの時の秋田の表情と視線には。怖いほどの痛い視線を感じたが、サトシに対しては、何か不思議なものを見たような感覚であることで、秋田に感じた思いとはまったく違っていることに気が付いた。
――何がそんなに不思議なんだろうか?
サトシと秋田の共通点を考えてみたが、見いだせるものはなかった。
そもそも、秋田には騙されたという印象がどうしても強い。そのくせ、付き合っている時にはそんな素振りなどまったくなかったはずなのにと思う。それは騙された人が後から考えて誰もが感じることなのだろうが、サトシの表情を見たことで、秋田の中のすべてが偽りだったという思いは氷解しつつあった。
秋田という男のことは、本当に過去のことになっていた。急に彼がいなくなったこと、彼に借金があること、そしてその借金を自分が返さなければいけないこと、そしてソープで働かなければいけないことになってしまった自分の運命。まさに波乱万丈の人生を凝縮して過ごしたようなこの期間は、秋田という男をまるで前世で知り合いだったのかも知れないと思うほどの、忘却の彼方へと追いやるのだった。
忘れていた秋田のことを、サトシは思い出させた。あやめはそれを悪いことだとは思わない。だが、サトシの表情は微妙に秋田とは違っている。秋田の表情は、あやめを怖がらせたが、それ以上に秋田自身が恐怖におののいていたようだった。
あやめはそこまで秋田のことを分かっていたわけではないが、秋田とサトシでは根本的なところで違いがあった。
秋田と知り合ってから、
「小説家になりたい」
という彼は、決して自分のてるとりーにあやめを引き込むことはしなかった。
あやめは知らないがそれは当たり前のことだった。その時、秋田には恭子というれっきとした彼女がいたからだ。
そういう意味では、あやめは、
「浮気相手」
ということになる。
あやめが、どうして秋田が怯え、そしてサトシが不思議に思っていたのか分かったのは、それから少ししてからのことだった。
ただ、サトシが不思議に思ったというのは、その時が最初ではなく、最初にそのことに気づき、その時は本当にビックリしたのは、それから一か月前のことだった.……。
似ている人たち(考)
サトシが高級店である「エレガンス」に行ったのは、その時が最初だった。
大衆店に比べれば、高級店というのは、最近はだいぶ数が減ってきているのかも知れない。昭和の頃までは、そのほとんどが高級店と呼ばれていて、他の風俗とは完全に違った「聖地」のようなものが、ソープランドにはあった。
昔は、「トルコ風呂」などと呼ばれていたが、訴訟問題などもあり、ソープランドというものが一般的な名前になり、いわゆる「市民権」を得たのはその頃だっただろう。