二人一役復讐奇譚
そういう意味では、幸か不幸か、秋田が女に対してした仕打ちから、本当の転落人生を歩んだ女性がいなかったのは事実だった。しかし、秋田のやったことは、そんなことでは許されるはずもなく、いずれバチが当たることになるだろう。
それは、その時は誰にも分からなかったが、
「神のみぞ知る」
ということであろう。
みゆきにとっての働く意義
秋田が姿をくらましてから、半年ほどが経ってから、すでに恭子こと「みゆき」はすでにエレガンスでは、毎日、彼女の人気で賑わっていた。彼女も幸い身体は丈夫にできているようで、少々の「鬼出勤」であっても、へっちゃらであった。
「みゆきちゃん、そんなに頑張らなくてもいいよ。女の子にも余裕があるから、もう少し余裕のあるスケジュールにしてもいいんだよ」
と店のスタッフから言われるほどであった。
店に入った頃は、ちょうどキャストに余裕がなく、嫌でも過密スケジュールになっていたが、それでも平気だったのは、
「とにかく早く借金を完済すること」
という大きな目標があったからだ。
その目標を達成するまでは、少々の鬼出勤でもいいと思っていた。最初に彼女を精神的に助けてくれたのは、彼女がデビューの時に来てくれたお客さんだった。
サラリーマン風の彼は、エレガンスではすでに顔が知られた常連さんだったようだ。人当りもいい好青年というイメージが強いだけに、男性スタッフからも信用を得ていた。みゆきを彼にあてがったのも、そのあたりを見越してのことで、
「今日は新人の子が入ったんですが、お客さんどうですか?」
と、受付で推してくれたのが、指名に繋がった。
「今日はご指名ありがとうございます」
と言っても、最初、彼は何も言わなかった。
本当に最初だったので、
――こんなものなのかな?
とあまりにもあっさりとした流れに拍子抜けはしていた、それならそれでよかった。煩わしい会話をしないでいいなら、それに越したことはないと思ったからだ。
女の子の方は、教えられたとおりに、一回一回、断りを入れるが、彼は何も言わない。何を考えているのか分からないところが気持ち悪かったが、見ている限り、悪い人には思えなかった。
一通り、サービスを終えて、まだ少し時間が余った。それは、みゆきの考えの中にあったことで、
――時間を余らせれば、彼だって手持無沙汰で何かを言ってくれるに違いない――
という思いがあったからだ。
ただ、その時間配分がこれからの彼女のペースとなり、それが絶妙なタイミングであったことで、彼女は客の人気を博していくことになるのだが、それは、一種の後日談ということであろう。
「お客さんは、このお店に、よく来られるんですか?」
ベッドで仰向けになっている彼の右側にしなだれるように身体を預けたみゆきは、そう聞いてみた。
「ああ、よく来るよ。女の子と二人きりになる時間が嬉しくてね」
「私も嬉しい」
と、みゆきは、今まで男というと、あのロクでもない秋田しか知らなかっただけに、この客の落ち着きが信じられなかった。
いい意味でも悪い意味でも、熱い体質だった秋田に比べて、明らかにいい意味でクールなこの客が、自分にとって最初の客でよかったと思ったから出てきた言葉であった。
「みゆきちゃん」
「はい?」
「みゆきちゃんにとっていい悪いは別にして、きっと君はこの仕事が向いていると思う。きっと輝けるんじゃないかって思うんだ。だから、これからもちょくちょく指名させてもらおうと思う」
という嬉しい言葉をかけてくれた。
今までの恭子であれば、そんなことを言われて嬉しいなどと思うはずなどないような淑女であったが、今は嫌であっても自分から足を踏み入れた世界。すでに後戻りはできないことは分かっているので、この言葉は素直に嬉しかった。
そもそも嫌な仕事でもなかった。人に望まれて何かをすることは嫌いな方ではなかった。そのために、好きな人の頼みということであっても、そんな気持ちが少しでもなければ、借金の保証人になどなるはずもなかった。
「相手が悪かったんだ」
と思うしかないと思って、諦めていたが、こんな仕事を紹介してもらい、決して幸せな飛び込み方ではなかったが、自分の天職ともいえるべき仕事ができるのは嬉しかった。
しかも、人に尽くしても、それで損をすることはない、一生懸命に尽くせば相手の男性は喜んでくれるし、しかも、お金迄頂ける。尽くしたことで相手を甘えさせ、最後には自分が傷つく道を選んでしまったちょっと前までの自分に、今の自分が教えてあげたいくらいである。
ただ、逆にいえば、こんなショッキングなことでもなければ、垣間見ることのできなかった世界。どんなに口で言われても、この世界に対して偏見を持っていたので、踏み入れることはなかったはずのこの世界を覗かせてくれたのは、逆にあの男に礼の一言もいってやりたいくらいだった。
もちろん、いい意味ではないのだが、今の自分の幸せそうな顔を見せつけてやり、逃した魚の大きかったことを思い知らせてやりたい。今の自分のように、金のタマゴを生む鶏になったことを、身をもって知らせてやりたいと思うのだった。
これは復讐心なのかも知れない。
だが、今の自分にそんな意識はあっても、気持ちはなかった。復讐などして、せっかくの今の生活を壊したくないという思いもある。これは現実的な意識ではなく、隠し持っている気持ちとでもいうべきであろうか。ゆっくり考えれば、意識緒気持ちは逆になっていたのである。
自分の性格を、
「相手に合わせて自分は誰にでもなれるんだ」
と、みゆきは考えていた。
みゆきという女は、明らかに恭子とは違う。みゆきの中に恭子はいるのかも知れないが、恭子の中にみゆきがいるのかどうか、恭子には分からなかった。
誰にでもなれるという気持ちが強い中、それでも、自分が好きな性格がないわけではなかった。
それは、みゆきという女が、ちゃんと人格を持った女だということを意識させるものであり、決して性格を裏返しているというわけではないことを意識していた。
「どんな性格になれる」
というのは、毎回違った客を相手にすることで、相手が好きな女性になることで、決められたその時間を、恋人のように過ごせるという気持ちから生まれたものである。
快楽は肉体だけではなく、感情からも生まれてくると思っているみゆきは、いくら決められた時間とはいえ、恋人同士のような気持ちになることが、心身共に快楽を得られる時間だと信じている。それは自分だけでなく、相手も同じだった。そういう考えを持っていることが、彼女の人気を押し上げる一番の理由だったのかも知れない。
サービスが終わったあとにこの店では客にアンケートを取っていたが、いつもみゆきは満足度が百パーセントに近かった。皆最後の要望、感想欄に、
「恋人気分を満喫できた」
というようなことを書いてくれていた。
それを見るとみゆきは、
「お客さんと気持ちが一緒だったということを思い知らせてくれるアンケートなんですよ」
と言って、喜んでいた。
こういうお店にいて一番嬉しいのは、
「お客さんが満足して帰ってくれること」