二人一役復讐奇譚
「ああ、以前に友達だった女の子が君にソックリだったので、ちょっとビックリしたんだよ。まだ都会に出てくる前の田舎でのことだったんだけど、一年後輩に君に本当にソックリの人がいて、君を初めて見た時、僕は田舎にいた頃に戻ったような懐かしさを感じたんだ。悪いとは思ったんだけど、じっと見つめていたのはそういうことだったんだ」
と、秋田は言った。
「秋田さんは、今まで、女性とお付き合いしたことはあったんですか?」
と訊ねると、
「いいや、仲良くなることはあっても、付き合い始めるということはなかったかな? 大学の時など、お互いに付き合おうって言いながら、付き合い始めたつもりだったけど、すぐに相手から、やはり友達以上には見えないって言われたんだけど、それって、体よく断られたということだよね? 大学時代とはいえ、何度かそんなことがあると、さすがに落ち込む。そのうちに、自分から彼女がほしいって思わなくなったんだ」
tいうではないか。
カギを閉じ込めた一件にしても、恋愛感情と比較して。
――なるほど、恋愛したことがないから、デートのようなシチュエーションでは、あんな情けない面を見せるのか、それとも、あんな情けない面を見せるような人だから、恋愛経験がないのか、少なくとも、彼と知り合った女性には、秋田という男性が女性と付き合ったことがないということにすぐに気付くんだろうな――
と感じるのだった。
世の中には、肉食系男子、草食系男子といて、最近は草食系が多く、そのため、少子高齢化を招くことの一因になっているというような話もよく聞くが、草食系男子が、最初から草食だったと思ってはいけないだろう。さまざまな理由がある中で草食になった理由もちゃんと理解しなければいけないと、恭子は感じていた。
そんな秋田が、恭子に告白してきたのは、社員旅行の日だった。その頃には恭子の方では気持ち的に盛り上がっていて。いつ告白されるかを日一日として、一日千秋待っていたのだ。
告白のセリフも、まるでマニュアルに書かれているかのようなベタなセリフだったが、下手に凝ったセリフよりも、不器用な彼らしくて却って新鮮だった。
「私なんかでいいの?」
と彼の言葉に、こちらも白々しいほどの言いまわして聞いたが、相手は最初から真剣でしかなかったので、
「ああ、君しかいないんだ」
と答えてくれた。
もう二人の間にはそれだけで十分だった。
「ありがとう。私、幸せになりたいの」
というと、彼は抱きしめてくれ、初めてのキス……。
それが二人の間の告白だった。
恭子は彼が自分を頼ってくれることが嬉しかった。会社では自分が頼りにしている上司という存在、それなのに、プライベートではまったく違って、自分に甘えてくる。そんな姿を知っているのは自分しかいないという自負が、会社にいても、皆に秘密を持っているようで、それだけで嬉しかった。
元々秘密主義なところのある恭子は、まわりに対して、
「そのうちにバレルだろうけど、それまで、バレてもいいと思いながら密かに付き合っていけるのが結構楽しい」
と思っていた。
秘密主義ではあるが、それはバレた時に感じる優越感が何とも言えず、たまらなく嬉しいからであって、身体に震えが来るくらいの感情であることを、分かっている気がした。
そんな彼との想像していたような付き合いは、半年ほど続いただろうか。
その半年が結構長かったように思えたが、後から思うと、まるで線香花火のようにあっという間だった気がする。長かったと感じたのは、線香花火が綺麗だったからではなく、あまりにも明るすぎて、まわりが見えなくなってしまっていたからだということに気づいていなかったのだ。
そこから半年が過ぎると、急に秋田が、
「俺、会社を辞めようかと思うんだ」
といういきなりの爆弾発言だった。
「えっ? どういうことなの?」
と訊いたが、それに対しての彼の回答は、
「俺、昔から小説を書くのが好きで、今まで趣味で書いていたんだけど、それをこの間、某出版社の新人賞に応募したら、合格したんだ。それで、プロを目指して頑張ってみたいと思っているんだけどな」
というではないか。
夢を目指すことは素晴らしく、しかも文芸を含めた芸術を志している人に、人知れず憧れてもいたのだ。
しかし、秋田がまさかそこまで考えているとは思ってもみなかった。
「俺の趣味は小説を書くことかな?」
と最初言われた時、
「うわっ、すごい。私芸術に造詣が深い人って憧れているし、好きなんです。私も応援するから頑張ってほしいな」
と言ったことがあった。
ただ、それも趣味だということで言っただけで、まさかプロを目指そうなどと考えているとは思いもしなかった。
恭子が応援したいと思ったのは、趣味の段階で書き続ける彼を応援したいと言ったことであって、プロになりたいというのは、恭子にとってカミングアウトにしか見えていなかった。
だが、彼が一生懸命な姿を見て、いくら彼女であっても、彼の意志を止めるわけにはいかないと思ったことで、
――それなら、私が実際にバックアップしてあげなければいけないんだわ――
と、いう、いわゆる、
「内助の功」
の気分になってきた。
まだ結婚もしていないのに、すでに新婚気分に浸っていた恭子であった。
だが、それが間違いだったのだ。
「彼の本質を見誤っていた」
と言ってしまえばそれまでなのだが、本当にそれだけで済まされることなのだろうか。
秋田は、最初こそ小説に集中していたが、次第にやる気を失っていった。編集者の人から作品への辛辣な指摘に気が滅入ってきたようなのだ。恭子は一生懸命に励ましていたが、、励ますだけではどうしようもない。逆にh演習者の辛辣さと、恭子の気を遣って、腫れ物にでも触るような態度にジレンマを感じていたのだ。
「自分のどこにいるか分からない。立ち位置が分からない」
そんな状態を続けられるほど、人間というのは、強いものではなかった。
五里霧中の中、秋田は判で押したような転落人生を歩むことになる。昼は執筆、夕方から日にちが変わるくらいまでの時間、アルバイトをすることで、何とか食いつないでいる。「小説家のタマゴって、そんなものだろう?」
という彼の言葉に、恭子は逆らうことはなかった。ひょっとするとその時に感じていたのは、
「これは彼の人生であり、私が介入できるものではない」
という他人事であり、気楽なものであったのだろうが、それが寂しくもあった。
なるべく考えたくないと思いながらも、そう考えてしまう自分に矛盾を感じながら、
「こんな矛盾を感じているのは、世の中で自分だけだ」
などと、ありえないことだと思いながらもそう感じたことに、なぜか違和感はなかったのだ。
そのうちに彼がギャンブルにのめり込んでいく、まさに転落人生を絵に描いているようだ。
パチンコに、競馬など、やらない人間にとっては何が面白いのかと思うのだが、考えられるとすれば、その時間だけ、現実から逃れることができるという「現実逃避」の考えなのだろう。