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短編集115(過去作品)

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 紅茶はお茶が変異したものだといってもいいだろう。インドの近くにあるスリランカ、旧国名をセイロンと呼ばれるあたりが原産地であるが、イギリスあたりが、中世でインドを植民地にしていた時代、インドの紅茶やアヘンを商売として、中国の生糸を仕入れていた過去がある。次第にイギリスと中国は険悪になるのだが、日本などのアジアの国は、紅茶の恩恵を受けていたのも事実ではないだろうか。
 コーヒーの産地である南米からは、遥かに距離的にも近い。ブラジルなどは、日本から見れば地球の裏側、果てしなく遠い国である。
 中世になってやっと発見された国というのが南米である。当時の日本からすれば、まったく未知の国だったことだろう。
 だが、実際は紅茶よりも、コーヒーの方が文化としては根付いている。コーヒー専門店は多いが、紅茶の専門店はあまり見かけない。
 コーヒーの味は一種特殊である。好きな人も多いが、
「私、コーヒーは飲めないの」
 という人も少なくはない。それだけ苦味やコクの深さは独特なのだろう。
 堤も高校時代まではコーヒーが飲めなかった。
 大学に入って、先輩に連れていってもらった喫茶店で初めてコーヒーを飲んだのを思い出していた。
「コーヒーはちょっと」
 せっかくの先輩からの誘いで、コーヒーは飲めないなどといえば、まるで子供のように見られてしまう。
――コーヒーは大人の味――
 という感覚があったが、まさにその通りだ。
 せっかくなので、この機会に頑張って飲んでみようと思った。
 飲めないと思っていたのは、すべて苦味が原因である。苦味さえ我慢できれば、飲めないことはない。そう感じていたので、飲んでみると、
「思っていたよりも苦くない」
 と感じた。
 最初に口を付けたのは、中学時代だっただろうか。
 一口だけ口にして、
「苦っ」
 思わず口に出して、一口でやめてしまった。
「ははは、まだ慎吾には早いか」
 と父親が笑っていた。
 堤は自己暗示に掛かりやすい性格であった。父親の言葉はまだまだ絶対だと思っていた中学時代だったので、その父親から、
「まだ早い」
 と言われれば、全面的にその言葉を信用してしまったのも無理のないことである。
「俺にはまだ早いんだ」
 と思い込んで、ずっとそのまま大学生まで来たのだった。
「いつになったら大人になれるんだろう」
 とは思っていたが、それはコーヒーを飲める飲めないという考え方とは一線を画していた。大学生になれば、自然と大人の仲間入りという感覚はあったが、ただ自然なものではなく、それ相応の努力や、自己啓発が必要であることは分かっていたつもりである。
 大学生になってからというもの、喫茶店が自分の隠れ家のようになった。
 大学の近くには喫茶店がいくつもあった。大学のまわりだけではなく、街に出ても喫茶店はたくさんあった。店内には大学生が多く、結構流行っている店が多かった。
 今は普通の喫茶店というよりも、カフェテラス感覚の店が多く、チェーン店で、おいしくて安いコーヒーか、それとも、アメリカのシアトルが発祥と言われるシアトル系のカフェテリアが多く見られるようになったが、実際に大学の近くの喫茶店はどうなのだろう。卒業してからいってないので分からないが、なくなってしまっていれば一抹の寂しさを感じる。
 だが、それも一世を風靡したイメージとして永遠に頭の中には残っている。
 大学時代の思い出の中で、喫茶店は切っても切り離せない思い出の一つで、自分の記憶が生き証人でもある。
 大学時代に住んでいた場所とまったく違うところに今は住んでいるので、余計に学生時代から生まれ変わった感覚に陥ってしまうが、思い出として記憶に残しておくにはちょうどいいのかも知れない。
 そんなことを考えながら、コーヒーを飲んでいた。
 コーヒーは、最初の一口が苦味を感じ、次第に口に含む量を増やしていくと、苦味というよりもまろやかさがコクの深みを感じさせてくれることに気付いていれば、中学の頃から飲めたかも知れない。
 やはり今から考えても父親の言葉は強い影響を与えたに違いなかった。
 コーヒーを飲んでいると、必ず何か一緒に食べたくなってくる。ケーキやクッキーも一緒に注文してしまう。そういう意味でいえば、今流行のシアトル系のカフェテリアなどは馴染めるのかも知れない。
 最初は敬遠していたが、最近では、
「悪くないな」
 と思うようになり、立ち寄ることも多い。それには、
「昔ながらの喫茶店が減ってきて寂しい」
 という思いがあるのも事実で、その気持ちが増幅してくるのを感じていた。
 コーヒーにはもう一つの効果がある。これは紅茶にもいえることだが、利尿作用があるのだ。
 その頃からずっと常連になってしまって、気がついtら、十年という年月が経っていた。「十年一昔」
 というが、二十歳代の十年に比べて、三十歳代の十年はあっという間だった。だが、その十年間というのは、いろいろなことのあった十年だった。
 仕事面では相変わらずであったが、プレイベーとではいろいろあった。何と言っても結婚を考えたことが一番大きな問題だっただろう。
 ちょうど、このレトロな喫茶店、名前が「ガス塔」、まさしく名前にふさわしい店の常連になってからというもの、人生が少しずつ変わりかけていたことを暗示させてくれていた。
 最初からいいことばかりがあったわけではない。波乱万丈の人生は、あくまでも人生の縮図のようなもので、身体を壊して入院したのが三十二歳の時だった。
「過労によるものが一番大きいですね。貧血の気も出ていますし、ここであまり無理をなさると、今後の仕事にも影響してきますよ」
 という医者の見解に、上司も、
「それなら入院して徹底的に直してくるんだ」
 と言ってくれた。
 入院期間は、一ヶ月だったが、その間に人間ドッグも兼ねていた。それまで頑丈な身体を誇っていた堤だったので、まさか自分が入院するようになるなど、考えてもいなかった。
「あなたの場合は精神的なストレスもあるようですから、まずは、そのあたりを自覚してもらって、ゆっくりした気持ちになった方がいいですね」
 と先生に言われたが、考えてみても、精神的にストレスの溜まるようなものは何もなかったので、自覚しろと言われても、なかなか無理ではあった。
「まあ、ゆっくりとした気分になるのはいいことだからな」
 と考えながら、ベッドで横になっていた。
 最初は、
「一ヶ月も病院のベッドの上なんて、我慢できるはずもない」
 と思っていた。食事の時間も決まっていて、就寝時間も決まってしまう。それもすべてが、今までの自分のリズムよりも数時間早いものだ。耐えられるだろうか。
 しかし、案ずるより生むが易しというが、何とか耐えられるものだ。一度耐えられると思えば、それほど苦痛でもなくなる。今まで何も考えずに生きてきた自分の人生を振り返るにはちょうどよかったのかも知れない。
 学生時代から勉強ばかりをしてきたが、中学時代には、図書館で音楽を聞きながら庭の景色を見るのが好きだった時期もあった。
 最初は勉強があまり好きではなかったので、途中で休憩を入れないと疲れが残ってしまった。
「そこまでしてどうして勉強していたんだ?」
作品名:短編集115(過去作品) 作家名:森本晃次