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短編集115(過去作品)

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 ウエイトレスの女の子は、背が低く、ポッチャリ系の女の子で、メイド服が似合う女の子かどうか、疑問であった。見た瞬間には、どこか違和感があり、それが第一印象にインパクトを与えたのだ。
 客層は、さまざまだった。サラリーマンから学生、中には定年退職後の老人のような人までいた。ただ一つ言えることは、皆単独の客で、客同士が話すことはあまりないようだった。
 しかし、皆この店の常連である。何がよくて常連になったのか分からないが、それぞれに何か魅力があるのだろう。ひょっとしてウエイトレス狙いの客もいるだろうが、誰も会話していないのは、どこか気持ち悪かった。
 最初店に入ってコーヒーを注文し、コーヒーが出てくるまでは、
「今日が最初で最後だな」
 二度とこの店に足を踏み入れることはないだろうと思った。
 座った席はカウンター、テーブル席は一杯で、十人以上座れるカウンターには、席を空けるようにして三人だけが座っていた。
 背中に視線を感じるわけではなかったが、どうもテーブル席が気になってくる。時々振り向いて後ろを見るが、それぞれ各々好きなことをしているだけだった。本当に好きなことなのかと思うほど無口で、暗い雰囲気はむしろ貴重にさえ感じた。
 木目調なカウンターは、どこまでもレトロ調で、掛かっている曲もアルゼンチンタンゴ、テレビドラマで見たことのある大正時代のカフェの雰囲気ではないだろうか。
 そういえば、客の雰囲気もどことなくレトロである。服装も最初は、新しいファッションかと思ったが、違和感がそれほどなかったのは、まわりの雰囲気に溶け込んでいるからだった。
「どこかで見たことのあるような」
 と思ったのも当たり前である。
 そう思えばウエイトレスのメイド服も分からないわけではない。
「昔のカフェの雰囲気なんだろうか」
 大正時代のカフェで働く女性は、差別的な目で見られていたという。メイド服を見て、どこか淫靡な雰囲気を感じたのは、大正時代にカフェを訪れた客の気持ちになっているからだと思えば、不思議な気持ちではあるが、納得できないわけでもない。
 三十歳を少し超えた頃の堤は、仕事以外でも、何か楽しみを持ちたいと思っていた。その頃は時代的にも、仕事一本で来た人間が、定年前になって、何も趣味がなく、惨めな思いをしたり、精神的に病気になったりということが社会問題になっていた。
 リストラと称して、会社に貢献度の高い人たちが、高給取りだというだけの理由で、会社からボロ雑巾のように捨てられることが横行していた時代だ。
 それまでには信じられないことである。
 バブル期と言われた時代、企業は利益中心に、この時とばかりに多角経営に乗り出そうとした。実際に乗り出してもそれだけの利益が生まれたからだ。
 しかし、バブルとは「泡」、所詮実態のない利益なので、弾けてしまうと、残ったのは不良債権と、広げてしまった事業の落としどころのない状態である。
 振り上げた鉈を下ろすことができなくなってしまったのは、戦争に似ていると堤は思っている。
 戦争で難しいのは始めることよりも終わることだ。どれだけ被害を少なく、そして有利に終わらせるかが難しい。勝っているのをいいことに進みすぎると、世界の反発にあってしまったり、侵略のレッテルと貼られてしまったりするのではないだろうか。
 人生も半分もいっていないが、三十歳を超えてから、明らかに考え方が変革期に入ったのは間違いのないことである。
「お待たせしました」
 ウエイトレスがニコニコしながらコーヒーを目の前に出してくれた。
 香ばしい香りに誘われるかのように、カップを口に持っていき、一口口に含んだ。
「これはうまい」
 こんなにおいしいコーヒーは飲んだことがなかった。苦味というよりもコクの深さが感じられ、もちろん苦味もあるのだが、それを補って余りあるほどのコクの深さである。いつも会社のインスタントが多いせいもあるだろうが、今さらながらに喫茶店のよさを思い知らされた気がした。
 口に含むたびに、まわりのざわめきを感じなくなる。コーヒーの味に集中できる。こんな感覚は初めてだった。レトロな雰囲気の店内を、味が証明してくれているようで、次第に初めて入った店だという感覚が薄れてきた。
 レトロな雰囲気に覚えがあるのか、それとも喫茶店自体の雰囲気に懐かしさを感じるのか分からなかった。
「逆かも知れない」
 レトロな雰囲気に懐かしさを感じ、喫茶店自体の雰囲気に覚えがあるという考え方もあるだろう。
 どちらにしても最初に感じた、
「今日が最初で最後だな」
 という思い、最初だという思いにも疑問を感じたが、それよりも、最後にしようという気はなくなっていった。
 コーヒーを飲んでいると、いろいろな作用が身体に現れる。カフェインというアルカロイドの仕業なのだが、アルカロイドというのは、カフェインであったり、タバコに含まれるニコチンであったり、いわゆる麻薬に近いイメージのもので、人間の身体に即効性のある作用をもたらせる。
 カフェインの場合は、まず頭をしっかりさせる作用があるようだ。眠気がある時に飲めば、眠気覚ましになったりする。ニコチンだと、イライラしている時に精神を安定させる作用があるといった具合である。
 そして何といっても、くせになるのである。やめたくても、なかなかやめられないというのはタバコにしてもコーヒーにしてもそうだ。
 タバコの場合はまわりに対して有害で、タバコを吸っている人はもちろん、吸わない人も煙によって害を受ける。むしろ、吸わない人間が煙によって受ける害、複流煙と呼ばれるものの害が申告だった。
 それにより、二十年ほど前から、嫌煙権が叫ばれて、現在ではどこでも禁煙、タバコを吸いたい人は喫煙所が設けられているというほどになった。前のように禁煙者が肩身の狭い思いをしていたのに、今では喫煙者が肩身の狭い思いをするようになっていた。
「健康のためだし、当たり前のことだよね」
 という人もいるが、嫌煙権が叫ばれ始めてから、タバコをやめた人もかなりの数に上るのではないだろうか。もちろん、それはそれでいいことなので、禁煙者にはありがたいことである。
 コーヒーの場合は、タバコのように他人への害はまったくない。コーヒーの香りを嗅いで、害になるわけもなく、それよりも香ばしい香りが落ち着いた気分にさせることもある。コーヒーにもタバコのように精神を落ち着かせる作用があるのかも知れないが、ハッキリとした科学的な裏づけがあるかどうかまでは、堤にも分からない。
 そういえば、昔、「コーヒールンバ」という曲が流行ったらしい。実際に流行った時期を知っているわけではないが、コーヒーの産地である南米調の曲で、いかにもルンバというのは、コーヒーに似合った曲だという記憶がある。
 元々日本人はコーヒーよりも紅茶の方が馴染みが深かったのかも知れない。
作品名:短編集115(過去作品) 作家名:森本晃次