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短編集115(過去作品)

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 油の乗った充実した毎日を過ごしているので、少し冒険をしてみたくなったといっても過言ではない。
 いや、今なら何でもできると思っているので、冒険でもないだろう。だが、会社からの返事は、
「もう少し今のままで頑張ってくれないか」
 ということだった。それだけ今の仕事での地位が大切なものだということだろうが、そろそろ疲れてきたのも事実である。
 正直に言うと、飽きてきたのかも知れない。それまでに堤によって退社を余儀なくなれた人たちが聞いたら、胸を掻き毟って怒り狂うに違いないが、実際に飽きが来ていたのも事実である。
 飽きが来ると、毎日が漠然としてくる。そのかわり、今まで見えてこなかったものが見えてくるようになってくる。だが、見えてこなかったものが見えてくることで、見えたものは、汚い部分ばかりであった。
 まわりからの妬みや嫉妬、そして自分の仕事がどれだけまわりの人から疎ましがられているかということである。
 バカではないので、ウスウスは感じていた。だが、あからさまに感じることがなかったのは、信念を持っていたからだ。
「信念が薄らいできたのかな」
 それもあるだろう。
 もう一つは、それまでの人生を思い浮かべたからだった。
「俺の人生って、ここまで何だったんだろう?」
 同僚の中には結婚して行く連中も多かった。三十歳までに半分の連中が結婚していった。それも結婚した連中は、まるで先を争うようにしていたのか、一時期集中していたようだ。
 結婚式に呼ばれて行ったこともあったが、その時はほとんどが他人事と思っていた。
「俺には今は仕事がある」
 女性が嫌いというわけでもなかったが、幸せな家庭を想像できないところもあった。頭の中はそれだけ仕事でいっぱいだったのだ。
 それまで気にしなかった女性が気になるようになったのは、ミニスカートが流行った時だった。自分も三十歳を過ぎているので、そろそろ落ち着いた女性が好きになってもいい年齢だと思っていたが、気になり始めたのは、女子大生くらいの年齢の女の子であった。
 たまにしかいない本社であったが、三十歳を過ぎると、本社にいる時間が増えてくる。
 本社での会議の時間が増えたことが大きな原因で、それまでの立場と違い、今度は、本部で支店の内容を統括し、一つのシステム化をしなければならない立場になっていた。
「後輩を育てておいてよかった」
 こんなことにいずれはなるのは分かっていたので、支店広域営業部の中での後輩に、ある程度のノウハウは教えてきた。その上で、後輩にマニュアルを作らせて、業務の円滑な遂行に当たらせてきたのだ。
 そのことを本部の総務でも理解してくれていたのか、
「堤君は、なかなか先見の明があると聞いていたが、まさしくその通りだね」
 といわれて、いよいよ本部での仕事が多くなってきた。
 本部に腰を据えてみると、いいところ、悪いところが見えてくる。今まで現場をずっと見てきたので、粗暴ではあるが、その場の難局をうまく乗り切るノウハウはさすがに身に着けている。荒波の中で培われたものだろう。野性的である。
 それから比べれば、本社というところは、
「何と甘いところなのだろう」
 と思わずにはいられない。今まで感じてきた切羽詰った感覚は到底ない。時間さえ掛ければ何でもできると思っていて、なかなか実績を挙げれない支店を小ばかにしたところがあった。
「それは確かに時間をかけさえすれば、支店にだって、何だってできるかも知れないだろうに」
 と思ったものだ。
 本部に腰を据えるようになってから、最初の数ヶ月は、自分の居場所が分からなかった。時間の感覚も五分刻みくらいに気になっているのだが、仕事が終わってみると、決まった間隔で刻んでいたはずの時間が、バラバラだったような気がする。最後だけ帳尻があっているだけのようだ。
 支店では、時間を気にしてなどいられない。気がつけば時間が過ぎているのだが、それでも分刻みの仕事なので、気にしないわけにはいかない。それだけキチンと刻んだ時間を感じていたのだ。
 本社での時間はなかなか過ぎてくれない。じっと座っていて、目の前の資料に目を通し、判断して印鑑を押し、それをまわすだけである。
 最初の頃はキチンと見ていたが、次第に目を通さなければいけない資料が増えてくる。そのうちにマンネリ化してしまって、印鑑も「めくら印」になってしまっている。
「こんなことじゃあ、いけない」
 と思ってみても、一度身についた習慣はなかなか抜けないものだ。
「支店まわりしていた頃が懐かしいな」
 と思うようになる。
 忙しく、緊張の連続だったが、やりがいがあった。少なくとも本部に来てからの仕事の数十倍のやりがいはあっただろう。
 仕事が終わって、支店の人と呑みに行ったりしても楽しかったものだ。明日への活力がみなぎっていたものだった。
 しかし、本社では一緒に呑みに行く人はおろか、話をする人もいない。愚痴をこぼす相手というわけでもないが、下手なことを言えば、上にチクられるのは目に見えている。
 そんな毎日を過ごしていたが、毎日が会社と家の往復だった。
 家といっても、一人暮らしなので、暗い部屋に一人きりである。支店出張の頃は一緒に呑みに行く支店の人がいたので、独りの部屋に戻って寝るだけでよかった。だが、本社に来てからはそうはいかない。一人部屋に帰り着いても、寝るまでの時間、テレビでもつけて、ブラウン管に流れる映像を漠然と見ているだけだった。
 ドラマには興味もない、バラエティも面白くない。せめてニュースが流れているのを漠然と見ているだけだった。
 そんな毎日だったが、ある日、朝起きてからウキウキした気分だったことがあった。
「こんなことは珍しいな。夢見がよかったのかな?」
 夢の内容は残念ながら覚えていないが、何となく楽しかった夢だった感覚だけが残っている。夢というのは、悪い夢や怖い夢はくっきりと記憶に残ってしまうものだが、案外と楽しい夢は残らないものだ。だから、その時も、
「いつものことだな」
 と思っていた。
 会社の近くに喫茶店があるのを見つけたのは、その日の仕事の帰りのことだった。
 普段通らない道で、寂しい道だったので、まさか喫茶店があろうなど思いもしなかったが、それだけに、「隠れ家」のようなその場所は、堤にとって、安息の場所に思えたのだった。
 レンガ造りの外壁は、頑丈に見えるせいか、一見冷たさを感じた。しかし、入り口のところにある薄暗いが、黄色い明かりを発しているガス灯が店の外観をレトロ調で落ち着いた雰囲気として、まわりから浮き上がらせて見えた。
 ほのかな明るさを感じた堤は、引き込まれるように店内に入っていく。
 表から見るよりも店内は思ったよりも広く、それでいて暖かさも、十分に保てていた。
「いらっしゃいませ」
 最初に目に付いたのは、ウエイトレスの女の子、その子の衣装は、フリルのような恰好で、メイド服のようだった。
 フリルの可愛い服は今でこそ、「メイド喫茶」ならぬ店が流行ったので、見慣れていたが、当時皆の目に、どのように写っていたのだろう。第一印象としてのインパクトには十分だった。
 正直、堤の中には淫靡な雰囲気があった。
作品名:短編集115(過去作品) 作家名:森本晃次