短編集115(過去作品)
「だが、商談を始めるまでのやり方は人それぞれでいいんだ。何も教科書があるわけではない。そこが個性だからな。何事もプロというのは、自分の武器になるものを持っているものさ。それが性格だったりするだけのことなんじゃないかな」
先輩の話は分かりやすかった。営業で同行する先輩にも当たりはずれがあると聞いていたが、この人は完全にあたりではないだろうか。
営業の成績ははっきり言って、それほどいいわけではなかった。平均よりもむしろ悪い方だったかも知れないが、それでも得意先受けはよかった。
上司からあまりやかましく言われることがなかったのは、きっと得意先受けのよさが幸いしているからだろう。だからといって、得意先の言いなりになっているわけではない。売上成績はそれほどでなくとも、会社への利益に関してはかなりの貢献をしているはずだ。
五年目になると、本社勤務となった。本社勤務ではあったが、本社にはあまりいることがなく、支店周りの仕事だった。
営業所の営業成績を評価して、改善点を見つけるという仕事、それまでの仕事とは正反対だった。まるで監査のような仕事は自分には似合わないと思っていたのに、どうして自分が抜擢されたのか分からなかった。
しかし、栄転には違いなかった。支店の人間からは、本店の人間は羨ましく見えていたが、実際は疎ましい思いを抱いている人も少なくない。
「本部から出張にきても、あだを探すばかりで、支店の現状を見ようとしない」
と言って、課長クラスは困っていた。
それを横目で見ていたので、まさか自分が今度は本社からやってくる役になろうとは思ってもみなかった。
最初はどうしても、低姿勢である。まだ二十歳代後半の若造が、四十歳を超えている支店長クラスに対していろいろ意見を述べるのだから、どうしても恐縮してしまう。
「私も支店にいる頃は、いろいろ苦労しましたよ」
こうなったら開き直るしかない。本社に行ってから間もないのだから、本社のやり方が分かるはずもない。会話の重点は支店にいた頃の話にしかならなかった。
「そうですか、支店にいればいろいろなことがありますからな」
支店長も支店の話になれば、大先輩である。長年現場畑を歩いてきた経験が、口を滑らかにしてくれる。本社から来た若造というイメージも次第に打ち解けたものになってくるのだ。
これも営業テクニックである。
まずは土台ならし、そして、コミュニケーションを取って、次第に核心に入り込んでくる。
だが、相手も百戦錬磨、そんなことはお見通しなのかも知れない。見え見えであっても、相手が合わせてくれるのであれば、それに乗るのが礼儀というもの、何よりも会話が弾むことが一番であった。
会話がなければ何も始まらない。相手は、
「本社から来た疎ましいやつ」
としか思っていないのだ。話をすることで土台を作り、実際に核心に入る前には勝負はついている。これも営業のノウハウの一つである。
騙されてみるのも、面白いものなのかも知れない。同じ会社で利害関係が一致している人との話なのだから、相手が考えていることは手に取るように分かる。
「分からなければ、営業失格」
とまで言っても過言ではないだろう。
しかし、全国には数々の支店がある。堤が任されている支店の数は二十ほどで、決して少ない数ではない。しかも近くの支店というわけでもなく、まったく違う地方の支店もあったりする。
これも一長一短かも知れない。
あまり近いと、管轄争いのようなものが見えてきて、やりにくいかも知れない。かといって遠いと、それぞれの地域や地方の文化や習慣を勉強しておかなければ、話すらできない。
勉強することは厭わなかった。人の心を読む営業の仕事は、少なくとも相手のまわりの環境を知っておかなければ、考えることもできない。貪欲に相手を知りたいと思う気持ちがあれば、勉強は苦にならないと思っている。
学生時代も勉強は嫌いではなかった。
元々コツコツと覚えたりするのは嫌いではなく、覚えた点が線になって繋がれば、覚えたことの意義を見つけることができる。
覚えたことの意義は、次へのステップであり、決してそこで終わらない。
「人生、終生勉強だ」
と言っていた人がいたが、まさしくその通りである。あくなき挑戦が勉強であれば、それは必ず自分を助けてくれるものになるというのが、その人の持論であった。
まさしくその通りであろう。人と話すこともしかり、本を読んで身につけることもしかり、仕事をしていても立派な勉強なのだ。
そのうちに支店での第一線でバリバリやっていた頃に比べて、本社から支店まわりする方が、自分らしいと思うようになってきた。
――年を取ってきたからかな――
とも感じたが、そうではない。毎日が同じことの繰り返しだと思うわりには、時間があっという間に経つようになっていた。
三十歳を超えた頃から、一日一日が本当に短く感じられるようになった。
一番仕事に精力的な時期で、出張に行っても、相手が嫌がるくらいに改善策を見出していく。
しかも、その策がズバリ的中していくので、本人は面白くて仕方がない。支店の方も助かっているので、忙しくなったが嬉しい悲鳴に違いないと思っていた。
だが、支店長の人事にまで言及できるようになると、堤の会社での地位は次第に確立されていく。
妬みや嫉妬が渦巻いているだろうが、本人には気付かない。
何しろ堤の人事権が、支店長を辞めさせるところまで及ぶこともあるのだ。
もちろん、本当に辞めさせることはなくとも、あからさまな「左遷」に似た処遇を受けた支店長の中には、
「自分は会社にとって必要な人間ではないのだ」
と言って、自らが辞表を提出する結果になってしまえば、堤が退社に追い込んだも同然である。
張本人である堤には分かっていないことが、この時期には多かった。自分を信じて仕事をしているので、信念があるだけに、誰から何を言われても、あまり気にならない時期でもあった。
もちろん、誰かから何かを言われることもあった。
「仕事ですからね」
この一言で相手は黙ってしまう。それだけ堤の言葉は、大きなものになっていた。
対外的にも堤の名前は通っていた。
「うちの会社においでくださいませんか」
という話がないわけではなかった。いわゆる、ヘッドハンティングである。条件面も悪くはなかったが、いろいろ調べてみると、あまり経営面で健全な会社というわけでもなかったので、丁重にお断りした。
ヘッドハンティングは、その一度だけだったが、自分の中で、
「俺を買ってくれる会社も他にはあるんだ」
とばかりに、ますます自分のやり方を裏付けるような気持ちになり、増長してしまっていたことだろう。
そのうちに、自分のやっていることにふと限界を感じるようになった。
確かにやりがいがあって面白い仕事ではあるが、対外的なものではない。会社の利益を生み出すといっても、業務改善がなされるだけで、営業面での直接利益ではない。
一度、会社に転属願いを出したことがあった。
若い頃にやっていた、第一線でのバリバリの営業を思い出したのだ。
「今だったら、何でもできそうだ」
作品名:短編集115(過去作品) 作家名:森本晃次