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短編集115(過去作品)

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 何も考えることなく仕事ができるので、変なストレスは溜まらなかった。イライラはあったのだが、管理職のようなストレスは感じることがなかったので、どちらかというと何も考えることなく業務をこなしていたといっても過言ではない。
 まわりは島田と同じように高校卒業してすぐに入社し、少し研修を受けてから、ここに配属になった連中ばかりである。
 皆、黙々と働いている。
「働くっていうのはこういうことなんだ」
 小学校の頃に、教育番組で見た「働く人たち」という映像を思い出した。工場のようなところで真っ黒になりながら作業をしている人たち。黙々と何も喋ることもなく仕事をこなしているのを見た時、
「僕にもできるかな?」
 と感じたものだ。
 子供心に、毎日同じことの繰り返しに耐えることができるかが一番の不安だった。だが、今はそれを苦痛に感じることなくこなしていると思うと、自分が立派な大人になったのだと思うことができる。
 少々残業が続いても苦痛ではなかった。残業しても残業手当は微々たるものだったが、それでも充実感はあった。逆に考えれば、
「下手に時間があって、することがないよりもいい。下手に何かしようと思ってお金を使うよりも、仕事をしていた方がお金を使わない分、いいかも知れないな」
 と考えていた。
 しかし、まだ未成年でそんなことを考えるのは不自然だった。十年以上働いていて考えることであれば、いい悪いの判断は別にして無理もないことかも知れないが、入社一年目くらいで考えるのは、夢も希望もない証拠ではないだろうか。冷めた考えだといえるだろう。
 考えてみれば、高校を商業高校に進んだところから、ある程度人生が見えていたようにも感じる。
 普通科の高校に進学していれば、大学進学という選択枝もあっただろうに、そうすればさらに扇に広がる人生が待っていたかも知れない。一つのレールに乗ることで、決まってしまったかのような人生、先が見えているのかも知れない。
 島田は自分が一番まともな人間だと思っている。
 それは先が見えるからだった。自分の人生の先が見えていて、見えていることに曲がりなりにも納得しているつもりでいるからだ。
「世の中で、これほど扱いやすい人間もいないだろう」
 それが、島田の「まとも」という人間への定義だった。
 あくまでも自分中心の考え方である。なかなかついてくる人もいないだろうと思われたが、なぜか仕事場では、島田の友達は多かった。
 自分の考えを他の人に話すこともなかった。
「話をしても、そう簡単には分からないだろう」
 という考えがあったからで、ただ、
「何も考えていないようで、意外といろいろ考えていたりするものだよ」
 ということをまわりの連中に話すと、皆、同じ意見だった。
 最初は何も考えていないと思っていたのは、考えることに慣れていたからかも知れない。考えることが意識の中で自然な行動となり、無意識になっていくことで、時間の感覚を麻痺させていた。
 そんな簡単なことに最初は気付かなかったのだ。
 中学の時に釣り糸を見ていて、時間の感覚が麻痺していた時には、無意識にそのことを感じていたのだが、考えごとをしているということを認めたくない自分がいたのも事実である。
 なぜ考えごとをしているのを認めたくなかったかというと、自分の中に確固とした考えがなかったことで、あれこれ考えている時間が釣り糸を見つめている時間と結び付けたくなかったからだ。考えごとをしている時は、それなりの姿勢をもって考えることが自分だと思っていたのだろう。
 毎日同じ仕事を、何も言わずにこなしていたが、ある日、単純なミスで、ケガをしてしまった。
 入院生活を余儀なくされるようなケガで、全治三ヶ月と診断された。足を骨折してしまい、会社専属の病院へ有無も言わさず入院させられた。
「早く治して、復帰してくれよ」
 上司に言われて、
「はい」
 としか答えることはできなかった。とりあえず治すことが先決である。同じようなケガは今までにも何人もの先輩がしてきたことで、その都度改善が図られてきたが、不思議と誰もがするものだった。それなりに注意を受けていたのにケガをしてしまったことに、島田は不思議な思いをしていた。
 初めての入院生活は退屈を極めていた。最初こそ、仕事から離れてゆっくりできると思っていたが、次第に時間を持て余すようになってきた。あまり楽しいと思っていなかった毎日の仕事だったが、それはマンネリ化しているからだった。だが、マンネリ化した中でも実際にこなす仕事は前向きなものだった。
 それに比べて、入院生活は何ら変化のないものだ。生産性のあるものでもなく、ただケガを治すという目的だけのものだからである。
 それまでの不規則な生活から一転、食事の時間、就寝時間もキッチリと決まっている。
「今までの生活と違って規則的な生活になりますからね」
 と医者が言っていたが、まさしくその通りである。
 相沢総合病院。
 この名前は仕事をしている時から知っていた。会社でケガをした人が入院する病院だということも知っていたが、それほどケガの多い会社だということを今まで意識していなかった。
 怪我の程度は大したことはないが、身体が動かせないのが辛い。実際に退院してから待っているリハビリが辛いという話も聞いている。
 総合病院というだけあって、いろいろな患者がやってくる。外科もあれば内科もある。婦人科もあれば、神経科もある。島田は外科病棟だけしか知らなかった。
 骨折の入院なので、他の部分は健康であった。すぐに入院生活に退屈を感じた島田にとって、院内の散歩は数少ない楽しみの一つだった。車椅子になるが、看護士に押してもらっての庭の散歩は、日光浴にもなり、「命の洗濯」でもあった。
 少し大袈裟ではあったが、真面目にそう思っていたのである。
 散歩をしていると、毎日のように出会う人がいた。同じように車椅子に乗っている男性だったが、違うのは後ろから引いているのが、看護士さんではないということだった。
「こんにちは」
 相手の男性は気軽に挨拶をしてくれる。島田も後ろを押してくれている看護士さんも声を揃えるかのように、
「こんにちは」
 と挨拶をする。
 だが、相手の後ろから引いている女性は、いつも少し遅れて、
「こんにちは」
 と挨拶をしてくれるが、どこか元気さがない。車椅子に乗っている男性とどっちが病気なのか分からないほどだ。
 よく見ていると、彼女は顔色があまりよくない。目にクマができているようにも見え、やつれているのではないかと思えるほどだ。
 あまり人のことを詮索してはいけないと思い、それ以上見つめることはなかったが、思わず二人のことを考えてしまう。
 男性は、島田よりもかなり年上ではないだろうか。年齢的にはそろそろ四十歳に近いのではないかと思える。表情は晴れやかだが、やはり病人、どこか覇気が感じられない。晴れやかな表情だけが印象的ではあった。
 女性の方は、島田とそれほど年齢的に変わらないように思えた。二十歳代であることは間違いないだろう。だが、やつれて見えるせいか、見方によっては三十代にも見える。
「一度、笑った表情を見てみたいものだ」
作品名:短編集115(過去作品) 作家名:森本晃次