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十五年目の真実

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 小説の世界では、このような非現実的ではあるが、影では結構行われていたり、実際に起こることとして、
「現実は小説よりも奇なりというが、小説の方が現実よりも面白いという方が大いに決まっている」
 と言えるのではないだろうか。
 なぜなら、現実世界ではいくつかの不倫や近親相姦が行われていたとしても、結果としては、ほとんど皆同じ道を歩むのではないだろうか。だが、小説では筆者が頭を巡らせていくらでも発想を膨らませて書くことができる。しかし、それでも、
「現実は小説よりも奇なり」
 と言われるのは、どんなに頭を凝らしても、現実に起こったことには適わないということではないだろうか。
 つまりは、パターンが多ければ多いほど、その内容は薄いものになってしまい、結局は現実に起きたことに繋がってくるだけなのではないだろうか。
 そう考えると、小説は現実には適わないということになるのだが、せめてもの救いは、
「人の感情が多種多様だ」
 ということである。
 中には現実よりも小説で面白いものを見つけて、それが売れたりする。
 そんな小説がベストセラーになるのだろう。
 そう思うと、小説界というのも、実に不公平にできていると言えるのではないだろうか?
「世の中なんてそんなものだ」
 と、小説の中の登場人物が言っているように聞こえる。実に不思議だ。
 だが、いくら小説の中には、現実よりも面白いものがあると言っても、あのリアルさには適わない。人が断末魔の表情で死んでいたり、夥しい量の血が噴き出していたり、さらいは血や死臭が漂った場所にいるだけで、どんなにあがいても、小説はリアルには勝てないのだ。
 今回目撃した死体は、絞殺ということもあり、その表情に恐怖を感じた。
「明らかにあの顔はこの俺を見ている」
 と思わないわけにはいないほどの、断末魔の表情、一体これ以上、どんな表情があるというのだろう? 本当に目玉が飛び出してきそうな形相だった。
「早く、珪砂y祖人、来ないかな?」
 とそればかりを考えていた。
 本当はその場から一刻も早く立ち去りたい。
 どこに行くのかと訊かれても困るのだが、とにかく、あの断末魔の顔を早く忘れたい。
――こんな思いを、またするなんて――
 と西村は感じた。
 たった今見てきたような断末魔の表情の、その目には、最後の瞬間、何が映っていたのだろうか?
 犯人の顔? その顔は相手もひどい形相だったのか、それとも、変質者のようなニヤリと笑ったような表情だったのか、西村は分かりそうに思ったが、よく考えると、
「俺なんかに分かるはずはないんだ」
 と口にしたが、実際にはそうではない。
 別の意味で、分かるはずはないと分かっているはずなのに、それを認めたく無かったのだ。
「この死んだ男は、差塩に犯人の顔を見たのだろうか?」
 自分を殺したんのがどんな人なのか分かっているのだろうか? ひょっとすると、自分が殺されたことはおろか、死んだということまで分かっていないのかも知れない。
 以前テレビドラマで、死んだ人が死後の世界にいくために立ち寄る場所があるというのを見たことがあった。実は、似たようなシチュエーションのドラマがいくつかあって、そのうちの一つなのだが、友達に訊いてみると、
「それぞれの話に共通しているのは、死んだ人、その週の主人公なんだけどな、その人は自分が殺されたこと、いや、死んだことすら分かっていないって設定になっているんだよ」
 と言っていた。
「なるほど、それは面白そうな話だね。被害者はそこで死後の世界を選ぶんだけど、その時に自分が誰に殺されたかというのを回想するのが、そのドラマだったんだね?」
 と聞くと、
「ああ、その通りさ。よく分かったな?」
 と言われても、
「見たことはないんだけど、何となくそんな話なのかなって感じてね」
 確かにそのセリフはウソではなかったが、分かったというよりも、感じたと言った方がいいかも知れない。
 そう、きっと分かろうという気持ちになると分からなかっただろう。
 分かるのではなく、感じるということが大切なのだ。それは趣味で小説を書いている友達がいて、そのことを話していた時のことだった。
「小説を考えながら書いていると、なかなか筆が進まない。考えるよりも感じてみて、思った通りに出た言葉を繋いでいけばいいんだよ。だって、喋る時、意識的に何かを考えているかい? 考えるというよりも感じたことが口から出ているという感じじゃないのかい?」
 と言われた。
「確かにその通りだね」
「それにその人が言った言葉なんだけど、『最初は書こうという意識が強いから、書けるものも書けない。書こうと思うんじゃなくて、話をしているつもりになって書けばいいんだよ』と言っていたんだ。考えてみればそうだよね。人は他の人と話をする時に、いちいちすべてを考えてから言葉に出しているかな? 考えているとすれば、『こんなことは行ってはいかないんだ』という減算的な考え方になるだろう? それが小説を書けるようになれるかどうかの境目だって言っていたな」
 それが友達の言いたいことだったようだ。
「書くということがどういうことなのか、僕には分からないけど、確かに話ができるんだから、書くことだってできるという結論はありだと思うよ、だけどね、これを文章にすると難しい。しかも、絵で描いているわけではないから、描写や情景を文字で表現しないといけない」
「それだって、簡単に言ってるけど、実際に実行するには難しいことなんじゃないかな?」
「それは言えるね。小説に限らず、絵画でも写真でも同じことが言えると思うんだ。正直言って、どこにも正解はない。例えばプロになったとしても、売れたからと言って、それが正解というわけではない。それは分かっているつもりなんだけどね」
 と西村は答えた。
 西村は小説を書くということまでは考えなかったが、ミステリーをたくさん読むことに掛けては、友達の中でも結構読破している方だという自負があった。
 小説というものを自分で書いてみたいと思っていたのは友達の方で、彼の家にいけば、
「小説の書き方」
 などという本が所狭しと本棚を埋めていた。
 確かに本ばかり読んでいても、頭でっかちになってしまうだけであろうが、友達が勉強熱心なのは分かった。
 それなのに、学校の勉強はあまり成績がよくない。
「小説に打ち込めるだけの熱心さがあれば、成績ももっと上がるんじゃないか?」
 というと、
「じゃあ、お前は自分の好きなものと勉強を天秤にかけられるというのか?」
 と言われて、何も言えなかった。
 自分お好きなものを一生懸命に勉強することに掛けては、他の人に負けないというつもりでいた西村だったが、
「では、何が一体、そんなに好きなんだ?」
 と訊かれて答えることができるだろうか?
 確かに少しずつ、他の人よりも自分の方が興味を持っていると思うものはあるが、自分からその世界に入り込んでしまおうという意識にはならなかった。
 小説を書いているという友達を見ると、羨ましくなってくる。彼は自分で書いた小説を、出版社の新人賞にいつも応募している。
「やっぱり、何か評価が出てくれれば嬉しいもんな」
作品名:十五年目の真実 作家名:森本晃次