小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

十五年目の真実

INDEX|7ページ/27ページ|

次のページ前のページ
 

 人から殺されたりした場合は、苦しんだり痛かったりするものなのだろうが、病気だったり。自然死というものは、苦しまずに死ねるものだと思っていた。
「死ぬ時は、病気がいいな」
 と思わず子供心に呟いてしまった時、それまでにないほどの怒りを込めて、母親が怒ったのを思い出した。
「お前は何てことをいうんだい? 病気だろうが自己だろうが、死ぬ時は苦しかったり、痛かったりするものさ。だからお母さんは、どんな形で死にたいなんて、絶対に思わないようにしている」
 と言っていたっけ。
 苦しみをどのように感じるか?
 市という者から苦しみは逃れられないと知ると、
「ひょっとしたら、知らないだけで、楽に死ねる方法なんていくらでもあるのかも知れない」
 と感じたのだ。
 綺麗に白装束で飾られた祖母は、鼻をいっぱいに飾られた棺桶に安らかな顔で眠っている。しかし、最初に感じた安らかさとは若干違っていた。最初に見た時は、まるで楽しそうに笑っているかのように思えたのだ。
「おばあちゃんが死ぬ前にね。私の死に顔は誰にも見せないのよって言ってたの。最後の最後は本当のことだったのよね」
 と母が言うと。
「それはおばあちゃんに限らず、生きてる人が皆感じることだよ」
 と、親戚の人が言ったのを覚えている。
 中学生になってから、友達に訊いた話によると、
「動物というのは、自分の死に顔を見られたくないという思いからか、死というものが違づいてくると分かるものらしく、死の寸前に姿をくらますらしい。その時は決してまわりは誰も探さないんだって、それが礼儀なのかも知れない」
 というので、
「そんなものかな?」
 というと、
「だって、人間は生れることと死ぬことは選べないんだ。誰から生まれてくるということや、いつどうやって死ぬということも選んではいけないことになっているんだ。だから、死を逃れられないと分かった時くらいは、その人の思いを遂げさせてやってもいいんじゃないか?」
 と言っていた。
 その言葉には信憑性も説得力もあった。確かにそう考えると、
「人間は生れながらに不公平だ」
 と言えるかも知れない。
 死ぬ時でもそうだ。
「どうして死を自分で選べないのか?」
 ということであるが、どうも宗教的な理由くらいしか思い浮かばない。
 人間は、おのれの欲のために、平気で人殺しもするし、戦争などを起こして、殺し合いすらする。戦争だって誰が好き好んで殺し合いになど行きたいものか、確かに君主のため、国家のため、ひいては家族のためと言われるが、肝心のどこが自分のためだと言えるのだろうか?
 殺し合うことで、家族のいる相手を殺さなければならない。なぜなら、こっちが殺されるからだ。
 そんな状況に人間が陥ることを看破しておきながら、自殺は許されないという戒律を設けておきながら、さらに言えば、戒律の中に、
「人と殺してはならない」
 と書かれているではないか。
 そもそも戦争になる原因というものの多くは、宗教がらみだったりする。戒律で人を殺してはいけないという宗教が、殺し合いの原因になるというのは、これほど本末転倒なこともないだろう。
 戒律というものだけではなく、世の中にはタブーと呼ばれているものもたくさんある。
 その一つ一つを、
「どうしてなのか?」
 などと考えていくと、埒が明かない。
 だが、今目の前でさっき、理不尽なことを目撃したではないか。
 いわゆる、
「不倫:
 である。
 不倫というものは、結婚をしている人が伴侶を裏切って、他に人の好きな人を作るということである。
「どこからが不倫で浮気なのか?」
 というところは難しいだろう。
 人によっては、一緒に歩いてるだけでもダメだと思う人もいるだろうし、肉体関係まで立証できなければ、不倫とは言えないとも言えるだろう。法律的には、肉体関係ありきで決まるようだが、実際に不倫を裁く法律はない。
「精神的に衰弱してしまい、誰も信じられなくなったり、男が信用できなくなった」
 などという精神的な障害を損害賠償という形で請求することはできるだろう。
 そして、いざとなると、離婚という問題にもなってくる。
 相手が不倫をしたのであれば、旦那と相手の女性に相応の慰謝料を吹っ掛けることもできるだろうが、しょせんそこまでなのである。姦通罪というものも、とっくの昔に廃止されているので、刑法上、警察が介入することはできないのだ。
 もちろん、それが原因で犯罪に走るということもあるだろうが、警察が動くという場合は、
「何か起きなければ動かない」
 という警察を地で行くようなものである。
 不倫というものは奥が深く、
「不倫をした人は家族を裏切ったのだから、悪いに決まっている」
 と果たして言い切れるのだろうか?
 原因を作ったのは、伴侶の方かも知れないし、原因を突き詰めていくと、どこまでさかのぼらなければならなくなるか、そう簡単に割り切れるものではなくなってくる。
 要するに、
「分からないのだ」
 何が原因なのか、根本的なことも分からないから、結局全体として見えているところを考慮することで、
「不倫は悪いこと」
 と一括りにされてしまう。
 そう思うと、不倫を悪いことだという根拠がどこにあるのか、ハッキリとした答えはないのではないか、
「不倫なんて悪いことにきまってりじゃん」
 という押し付けがましい説得で、強引に突き詰めただけではないのだろうか。
 そういう意味でいえば、もう一つ気になっていることがあった。
 近しい間柄で愛し合う、いわゆる
「近親相姦」
 である。
 これも何が悪いというのか、確かに昔からの言い伝えで、
「不具者が生まれる。畸形が生まれる」
 などというものがあるからであろうか?
 医学的には証明されているわけではない。ただ近親相姦の場合は、民法の規定では、
「直系または、三親等以内の傍系血族とは結婚できない」
 ということである。
 つまり、叔父や姪、叔母や甥とは結婚できないが、いとこ同士では結婚できるということである。
 結婚ではなく、姦通する場合は、実際に罪に問われることはない。世界では近親相姦財というものがある国があるが、日本にはない。
 なぜ、近親相姦がダメなのか?
 これも、ハッキリとした理由がないのだろうと思う。昔からの謂れを信じ、世界的にいわれていることも、宗教などからの教えで、いい悪いという判断をする。
 友達から聞かされたミステリーの中には、近親相姦を扱った話があった。聞いているだけで気持ち悪くなってきて、想像を絶する内容に、きっと表情をゆがめていたことだろう。友達もそんな表情を見て。明らかにほくそ笑んでいたのを感じた。だからこそ、近親相姦が悪いことのように思われるのではないかとさえ思った。
近親相姦にしろ、不倫にしろ、取り締まることはできない。家族が壊れてしまうかも知れないと言っても、人の心にまでは取り締まることはできないからだ。
 だが、マスコミはそういうゴシップが好きである。何と言っても、そういう内容を喜ぶ人たちがたくさんいるから、世間も近親相姦や、不倫などというワードには敏感なのだろう。
作品名:十五年目の真実 作家名:森本晃次