十五年目の真実
誰だって死にたくはない。死ぬ時にいかに正当性を持てるかということも、その人それぞれの考え方なのかも知れない。
「死ぬということで、一体何を怖がるというのだろう?」
と考えたことがあった。
「まずは、痛いということを怖がるだろう。痛みや苦しみを超えなければ、死ぬことはできないのだ」
という思いである。
「自殺するのに、何が一番楽に死ねるだろうか?」
という不謹慎な話をしたことがあったが、結局結論が出なかった気がした。
薬で死ぬとか、手首を切るとか、いろいろな意見が出たが、結論は出なかったような気がする。
途中から、自分たちが何について話をしているのかすら分からなくなっていたような気がしたが。その思いが果たしてどこから来るものか、西村は考えていた。
西村は元来怖がりな性格だった。そのくせホラーモノをよく見たりしては、夜中トイレに行けなくなるようなタイプで、
「クラスに一人くらいいるやつ」
の中の一人だった。
そんな西村だったが、小学六年生くらいからだったか、ミステリーは好きになっていた。友達で、ミステリーの本を読むのが好きなやつがいたので、自分は読んだことはなかったが、話を訊いていると興味を持てるようになっていった。
さすがにドラマでは見たことがあるので、友達の話を訊きながら本の内容を想像していくと、他の人が想像するのとは一風違ったイメージで想像できるように感じたのが楽しかったのだ。
最初は、友達が一方的に自分の好きなミステリーを話してくれるばかりだった。
「どうせ俺は本を読むところまではしないよ」
ということで、ネタバレであっても、
「それでもいい」
と言って話をしてもらった。
よく考えてみると、映画やドラマ化した作品は、最初に本を読んでから、ドラマを見ると、どうにも面白みに欠けてしまう。思い白い作品であればあるほど、想像力の欠如が顕著になってくる。
だが逆に、ドラマを見てから原作を読んでも、それほど作品が褪せているわけではない。一度映像でみているだけに、今度は違った意味で、想像力を掻き立てられるのがいいのかも知れない。最初に想像があるのではない方が、ミステリーに限って言えばいいのではないだろうか。
そういう意味で、友達から話として聴いていたとしても、本で想像する分には、想像力を掻き立てるという意味では褪せることはない。
トリックもいろいろあり、ストーリー性も豊かな現代のミステリーも悪くはないが、友達が好きだと言っているのは、
「大正末期から、昭和初期がいい味出してるんだよな。いわゆる探偵小説黎明期というやつさ」
と言っていた。
「探偵小説?」
意味は分かるが聞きなれない言葉に少し違和感があった。
「今ではミステリー小説と言われているけど、ちょっと前までは推理小説という言葉が主流で、もっと前は探偵小説という言葉だったんだ。黎明期というのは、発祥期の頃の、いわゆる発展途上とでもいうべきか、出始めの頃だな」
と言っていた。
彼はさらに続けた。
「黎明期と言っても、すでにその頃にはトリックと呼ばれるものはある程度まで出尽くしていて、後はストーリー性とバリエーションで組み立てていくものだったんだよ」
と教えてくれた。
確かにトリックというものは、無限にあるものではない。結構限られているもので、同じ種類とトリックでもバリエーションや、他とのトリックとの組み合わせなどで、それをストーリーに乗せることで、話に幅や柔軟性を持たせることができる。
「そういうのを本格探偵小説っていうんだ」
と言っていた。
「じゃあ、本格以外にはどういうのがあるんだい?」
と聞くと、
「猟奇的な殺人だったり、変質者による犯罪などが見られる内容だよ。それを変格派と呼んでいる人がいたようだけどね」
と言っていた。
殺人というものを、どのように捉えるか、トリックに頼った話が、本格派というわけではない。謎解きも重要なミッションであり、トリックに頼らないミステリーであっても、十分に謎解きを表すことができる。確かにミステリーにおけるトリックは謎として当て嵌めることはできるが、謎がすべてトリックに当て嵌まるかといえばそうではない。
トリックを必要としない謎もある。それはストーリーの中に混じっているものであり、すべてをトリックのあるものだとして考えていくと、まさにミステリーを小説でだけしか理解できなくなり、現実の事件のリアリティが消えてしまう。小説であるのだから、リアルである必要などないのかも知れないが、あまりにも現実を超越してしまうと、フィクションが正当性を失ってしまう。
「正当性」
西村はその言葉をいつも頭に描くようになっていた。
ミステリーマニア
今まで人が死んでいるのを見たのは、祖母が死んだ時が初めてだった。
病気だということだったが、ハッキリとした病名は効かされていない。きっと小学生に話しても一緒だと思ったのと、いくつもの病気を併発していたようだったので、病気の種類を一つ一ついうのが面倒でもあった。
「老い先短い命なんだろうな」
というイメージを抱いていたが、やはり、最初に入院してから半年後には、
「いよいよいけない」
ということになったようだ。
「どうせ助からないのなら、本人の意向でもあるし、自宅で最期を迎えさせてあげるのが一番いい」
という親族全員の意見もあって、ちょうど最初に入院してから半年後に自宅に帰ることになった。
祖母が死んだのは、自宅に帰ってきてから、その翌朝だった。
「こんなに安らかに眠ったように死んでしまえるというのは、ある意味ではよかったのかも知れないな」
と親戚のおじさんが言っていたが、まわり誰もが同じように頷いていた。
確かに若干微笑んでいるように見えるその顔は、見ているだけでほっこりさせるものだったように思う。死ぬということが本当は怖いことでも何でもないような錯覚に陥らせるほどだった。
だから、余計に冷たくなっていく祖母の姿にいたたまれなさを感じた。あれだけ安らかだったはずなのに、どんどん冷たくなっていくのを見なければいけないというのは、どうしてもしなければいけないことなのかということを感じさせるのだった。
最初は親戚縁者だけだったものが、葬儀屋さんがやってきて、テキパキと通夜や葬式と、手筈を整えていく。少年であった西村も、葬儀屋さんからいくつか指示を受けていたが、最後まで覚えていたかどうかも怪しいものだった。
葬儀屋さんがやってくると、家の雰囲気はまったく変わってしまった。家全体に紅白の幕が張られて、綺麗な木でできた大きな催事の壇が飾られ、やたらと明るい照明の中で、白さがひときわ目立つように演出されていた。白装束もまるで光り輝いているようで、祖母の顔が眩しくて見えないほどだった。
――血の気が失せた精気のない顔は、光り輝く白装束の中で見えなくならないような演出のように感じる――
というおかしな感覚を植え付けていた。
「これだけ安らかだと、苦しまずに死ねたんだろうな」
と言っている親戚の人の話を訊いて、その時初めて、
――死ぬ時というのは、苦しむものなんだ――
と感じた。