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十五年目の真実

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 大雪のせいで、交通機関がマヒしていた時期だったような気がするので、年が明けた一月か二月だったような気がする。
 ちょうど試験前で、学校が午前中で終わったので、昼過ぎてから帰宅する途中のことだった。
 テスト用の参考書を買うために、本屋に向かったのだが、一番近くて大きな書店というと、大型ショッピングセンターの中に隣接している全国展開している大型書店であった。
 自転車を使えば、片道二十分くらいでいけるので、ちょうどいい距離でもあった。
 さすがにショッピングセンターまで行って、本屋だけしか寄らないというのももったいない気がしたので、他の店にも寄ったりした。
 そのせいもあってか、帰りが夕方近くになったのだが、ショッピングセンターがある場所というのは、基本的に交通の便がいいところに作られている。特に郊外型というと、車の便利のいいところに作るのが定石であり、近くに高速道路のインターチェンジがあるのも自然なことだった。
 しかし、拘束のインターが近くにあるというと、どこのインターでも変わらぬ光景もあったりする。
 大きな運送会社や流通業の物流センターであったり、郊外型のショッピングセンターももちろんであるが、ラブホテル街でもあったりする、
 高速道路をドライブしてきて、一般道に降りるところでホッとした気分になるのかどうなのか、インターチェンジの近くに昔からラブホテルやモーテルなどがあるのは、当然のことのようになっていた。
 ショッピングセンターの帰り道、自転車でラブホテル街を近道するつもりで走っていると、そこに一台の空のタクシーが走っていき、ホテルの入り口のところで客を乗せていた。
「どこかで見たことがある」
 と男性の方には感じたが、その時には女性の顔は見えなかった。
 その男性の顔が、一年生の時の担任であることに気づくと、今度は隣の女性がこちらを振り向いたのが分かった。
 サングラスを掛けていたが、その雰囲気は誰だかすぐに分かった。一瞬分からなかったが、その人を見て、なぜか憎しみのようなものがこみあげてきて、それが誰に対しての憎しみだったのか、次第に分かってくると、サングラスを掛けて顔を隠していても、その人は自分の母親であるとすぐに分かった。
 それにしても、これが一歩自分の方が遅れていれば、相手は自分がこのあたりにいたことが分かってしまい、二度とこのあたりに近づかないだろう。
 学校からかなり離れているのをいいことに、先生も変装をしているようだったが、それは情けないと思うほど変装が下手だ。母親も決してうまいとはいえないが、見つかった相手が悪すぎた。実の息子でなければ、変装でごまかせたかも知れないのに、ウソはなかなかつけないということだろうか。
 だが、このことがよかったのか悪かったのか、その時は誰も分かっていなかった。当の本人である、母親や先生は、西村という、本当であれば、一番見られてはいけない相手に見つかったということになるのだろうが、逆に見たのが息子だったことで、他の誰にもバレることがなかったというのはよかったというべきであろう。世の中というもの、たとえは少し違うかも知れないが、
「壁に耳あり障子に目あり」
 ということなのであろうか。
 それにしても、母親と学校の先生が出てきたところが何をするところなのか、そして出てきてはいけない場所から、一番見てはいけない自分が見てしまったのかということを考えると、感情は、
「憎しみ」
 以外の何者でもないのである。
 もちろん、父親に対して、
「かわいそうだ」
 などとは思わない。
 もし、母親が父親に愛想を尽かしたのだとすれば、それは父親の自業自得であることは分かっている。父親なんかに対しての裏切りではなく、その裏切りの相手は、この自分ではないだろうか。
 父親の影に隠れて、汚れ役や、憎まれ役をすべて父親に押し付けて、自分はすべて、
「お父さんが言っているんだから」
 と言って、後ろに隠れている。
 以前、母親に対して父親よりも憎らしく感じるようになったのは、友達の家から帰らされたあの時だったが。その理由はハッキリとしていなかった。
 今から思うと、この責任のなすりつけが、中学生の自分にとって憤りを感じた理由だった。
 苛めをする人よりも、それを見ているだけの人の方が悪どく感じるのも、同じ理由に違いない。
 そんな母親は、人に責任を擦り付けるだけでは我慢できずに、自らが快楽の世界に逃げようとしている。これこそ、どんな言い訳も通用しない、家族に対しての裏切り行為なのではないだろうか。
 思わず、写メは収めておいた。しかし、幸か不幸か、変装がうまい下手は別にして、写メを見る限りでは、それを先生と母親だと限定できるだけの材料ではない。西村が肉眼で見たことで、その正体を知ったのであって、角度によっては気付かなくても不思議はなかっただけに、苛立ちもひとしおだ。
「知らないで済むなら、知りたくなかった」
 という思いが強く、
「こんな中途半端な思いをするくらいなら、見なければよかった」
 と感じた。
 誰も知らない秘密を自分だけが知っているという二人に対しての優劣管もあるが、それよりも、
「こんなことを知ったとしても、誰に何を言えばいいというのだ?」
 という思いも強い。
「学校に通報すれば、先生は終わりだろうが、相手が自分の花親なので、今度は自分が誰から攻撃を受けるとも限らないだろう」
 と思った。
 どんなことをしてでも、学校側は隠そうとするだろうが、先生を処分するとなると、それなりの大義名分がいる。そうなると、西村本人にさえバレるような下手くそな変装で、しかもオドオドした様子であれば、
「いかにも不倫をしています」
 と書かれたタスキを掛けているようなものではないか。
 それを思うと、学校にいえるはずはない。
 かと言って、父親にチクる?
 そんなバカなことも余計にできない。
 そんなことをして家族がバラバラになっても、今の西村には困ることしかない。離婚でもしてどちらかについていかなければいけなくなると、それはそれで困ることになる。憎しみ合いながらでも何とか穏便に生活ができているのであり、父親からの苦言を母親が、母親からの圧を父親が間に立ってクッションの代わりをしてくれているのではないだろうか。
 もし、クッションがなくなってしまうと、まともに、どちらかの不満が直接自分に向けられ、しかも、家族をバラバラにしてしまった原因を作ったのが自分だということになり、その後悔は、ずっと続いていくことになるだろう。
 そんなことは絶対に避けなければならなかった。
 だが、そんな先のことなど、その時に考えられるはずもなく、ただ見てしまったことを事実として受け止められない自分に戸惑っている程度のものだったのだ。
「余計なものを見ちまった」
 まさにそんな心境であった。

                 正当化

「近道なんかしようなどと思わん帰ればよかった」
 と思ったが、それは後の祭りだった。
作品名:十五年目の真実 作家名:森本晃次