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十五年目の真実

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 あれが、父親の天邪鬼が、西村の心にグサッと突き刺さったことはなかった。小学生時代の遊園地など甘いもので、家族全員が閉口していたのに、中学に入っての強制送還は。自分だけが悪者だった。母親が父親側についたからだ。
 それはやはり母親が父親を恐れていたからだろうとも言えるが、それよりも、母親が父親の軍門に下ったのではないかと言えることでもあった。
 自分一人だけで逆らうのは結構きつく。しかもそれを、
「反抗期だから」
 と言われてしまい、一括りにされそうなのは嫌だった。
 躁鬱症だと言っている下北を見て、西村が感じていたことは、
――躁鬱症って、時々キレたりするんだろうか?
 という思いであった。
 下北と一緒にいると楽しいし、次第に一緒にいることが自然となり、一緒にいないことの方が違和感を感じることが多くなってきた。楽しい時も悲しい時も一緒に誰かといるというのは、それまでの西村にとってはあまりないことだったので、それを自然に感がられるなど、今までは信じられないことであった。
 そういう意味でいくと、いきなりキレられてしまうと、急に我に返ってしまい、一緒にいることが違和感になってしまう。その意識が矛盾となり、それまで、ずっと一緒にいたことが不自然っであったように思えてくるのだ。
 一緒にいたことを不思議に感じ始めると、彼がなぜキレているのか、分かるはずもないのに、何となく分かる気がする。分かる気はするのだが、分かってしまいたくないという思いがあり、急に彼のそばにいたくなくなってくる。今までの思いとのギャップが強くなってくると、
「一人で考えたい」
 という気持ちになってきて。人を寄せ付けたくなるのだった。
 その思いがまわりに伝わるのか、まわりが皆自分に遠慮しているように見えて、実際に話しかけてくる人はおろか、近寄ってくる人もいなくなる。
「それでいいんだ」
 と思い、自分が本当に一人になるのを、前から望んでいたような気持ちに陥る。
 その思いが他の人でいう
「鬱状態」
 なのだろうと思うと、下北の鬱状態とは少し違っているような気がする。
 そもそも、鬱状態と一口に言っているが、誰もが鬱状態という状態と同じものだと思っているのだろうか。その時は鬱状態というものが皆と同じだと思っていたが、次第に違うものだと感じるようになってきた。それは人それぞれの間のギャップであったり、矛盾を少しでも減らそうと思うからだった。
 人と人の間のギャップや矛盾をゼロにすることはできない。限りなくゼロに近い状態にできるだけである。
 その思いがあるからこそ西村は、下北がキレた時、彼との関係を違和感なく、距離を置いた状態にできるのではないだろうか。
 下北が時々キレるのも、自分にはない思い切った行動をとることができるからではないかと思うようになり、その行動が時として、取り返しのつかないことに結び付くのではないかと思った。
 だが、今までそんな危ない橋を渡ってきたのではないかと思う下北だったが、なぜか一度も問題を起こすことなく、無難に今までやってこれた。それが西村には不思議だった。
――たぶん、彼にとって、何か救世主のような人がいて、最後にはうまく事を運んでくれているのではないか?
 と感じた。
 もちろん、下北が最初から望んでいるものではないだろう。偶然なのか、それともそれが彼の才能のようなものなのか、
「そんな存在、俺にもあってほしいよな」
 と下北を見ていると、そんな風に思い知らされる。
 今までは、ずっとそれを下北の才能のようなものだと思っていた。一種のとりえと言ってもいいだろう。しかし、彼が躁鬱症だというのを聞かされて、自分も彼を見ていて、その躁鬱症に違和感がなくなってくると、彼の才能と思えるような彼を助けてくれる人の出現は、
「本当は、偶然ではなかったか」
 と思えるようになっていた。
 だが、それを偶然だと彼にいってしまえば、失礼に当たるのではと思い、そう考えるだけでも、同じく失礼に思えてきたので、あまり下北を見ていて、偶然という感覚を感じてはいけないような気がしてくるのだった。
 そんな下北が、人を殺めたかも知れないと聞かされても、
「この男ならやりかねない」
 という思いと、
「確かに、彼がやったことは間違いないのだろうが、彼が裁かれることはないような気がする」
 という思いを感じたのもウソではなかった。
 むしろ、
「裁きというのは、動機があって、その人を殺めたり、犯人が違反行為をしたことで相手が死に至ることになった場合にのみ、受けるものではないか?」
 と言えるような気が、西村はしていた。
 つまり、衝動的な殺人であったり、相手にも非がある場合は、加害者には非があってはいけないという思いである。
「相手を殺す動機がしっかりしている場合の方が、気の毒なことはないかい?」
 と、ミステリーを好きになってから、友達と見syテリー談義をしたことがあったが、西村はその時の会話を思い出していた。
 その時の西村の考えは。今の下北を見ていて感じていることとは若干違っていた。逆にいえば、今下北を見ているから、今の感覚があるような気がしていた。
「というと?」
 と友達が訊いてきたので、
「だって、動機というのは、金銭欲だったりする以外は、ほとんどの場合、何かに対しての復讐の場合が多いんじゃないかな? 復讐というのは、する側にはするだけの理由があり、復讐される側にも同等の理由が存在する。つまり復讐が行われるまでお互いの立場は天と地ほどの差があるものだと言えるんじゃないかな? だから、復讐をした人を罰することって、他人にできるんだろうか?」
 と言った。
「それは、確かにそうだね。人が人を裁くのだから、難しいところだとは思う。でも、罪は罪として最初に罰を考えておいて、そこから情状酌量という形で見ていくことで、刑の軽減という考えが出てくるんじゃないかな?」
 と友達は言った。
「ということは、君は、罪は罪だということを言いたいんだね?」
「そうだね、だって、被害者は確実にいるわけだから、被害者側に何の見返りもなければ、法律を信用できなくなって、私刑というものが頭に浮かぶと、法律で裁けなければ、自分でやるだけだという思いに至らないとも限らない。つまり復讐は復讐を呼ぶということになるんだよ」
 と友達は言った。
作品名:十五年目の真実 作家名:森本晃次