十五年目の真実
好きで一緒になったはずなのに、どこかが違うと思った時にはすでに遅い。しかも、離婚を考えると問題になってくるのは、子供のことではないか。
「ん? ということは?」
そうだ、あの時母親が言った言葉、
「お前なんか産まなきゃよかった。そうすりゃあ、こんなことにはならなかったのに」
と言ったあの時の言葉は、離婚を考えているのに、子供がいることで、簡単に離婚ができないということになるのかも知れない。
ただ、それは子供が可哀そうだからということではなく。子供の養育問題などが関わってくることで、簡単に離婚ができないということだろう。
母親とすれば、離婚してしまえば、後はいい男を見つけて、再婚すればいいとでも思っているのかも知れない。実際に今どきバツイチなど珍しいものではない。バツイチ同士が結婚することだって十分にある。
その時に問題になるのが、やはり子供であろう。
好きになった人に子供がいるかも知れない。さすがにお互いの連れ子を育てるのは結構難しいことではないだろうか。金銭的な問題もあるし、それだけではない。子供の教育方針で揉めたり、お互いで気を遣いすぎて、精神的に疲れ果てるということもあるだろう。少なくとも、しばらくは親一人子一人で過ごしてきたのだから、気を遣うことに関してはあり得ることだ。しかも、下北の母親は人に気を遣うことを極端に嫌う方だった。
下北は一度小学生の時に家出を試みたことがあった。本当は親友でもあった西村のところに厄介になれればよかったのだが、何しろあの父親がいるのでは、とても無理であった。仕方がなく他の友達のところに厄介になったが。下北は家を出てから西村のことを見ていると、彼も自分と同じように母親のことで心を痛めているのに気が付いた。
最初は、母親を憎んでいるのは自分だけだと下北は思っていたので、西村の様子が何から来ているのがよく分からなかった。だが、正月の時の、一人だけ帰らされたという事件で、父親が家族の中で一番偉いということを表しているような、まるで封建的な家庭であることが分かると、母親も父親に逆らえず、きっと西村を苛めているのだろうと思わずにはいられなかった。
下北は、その時から、
――西村の気持ちを一番分かっているのは俺なんだ――
と感じていた。
その頃だろうか、下北の方では西村を親友のように感じていた。親友とまではいかないとすれば、一番近しい間柄だという感覚くらいはあってもいいと思うのだった。
西村の方ではそこまで感じてはいなかった。ただ、下北も自分と同じように母親で苦労していることが分かったことで、かなりの親近感があった。
ただ、たまに二人の間でぎこちなくなることがあった。その理由は、下北が躁鬱症の気があったからだ。
そのせいもあってか、小学生の頃までは結構友達が多かった下北だったが、中学に入ると、急に友達が彼から離れていくことに西村は気が付いた。
「どうしてなんだろう?」
まだ西村は下北が躁鬱症であることを知らなかった。
いや、知らなかったというよりも、気付かないふりをしていたのかも知れない。
自分の身近なクラスメイトの中に、中学生ですでに躁鬱症に陥っている人がいるなんて信じられなかった。しかも、結構仲のいい友達である下北だというのも気が付いた時はショックだった。
何をどうしてあげればいいのか分からない。それを思うと、西村は次第に下北から距離を置くようになった。
だから、
「親しい友人」
と思っても、
「親友」
とまではいかなかった。
使っている漢字は同じなのに、随分と意味合いが違うものである。
下北は自分が躁鬱なのは分かっていた。最初は一人で悩んでいたが、そのうちに西村が気が付いてくれると、時々相談するようになっていた。
「躁鬱症ってどんな感じなんだろうな」
と西村が聞くと、
「そうだなぁ、躁状態と鬱状態が定期的にやってきて、それぞれ入れ変わる時が分かるんだ。特に、鬱状態から躁状態に替わりそうな時はよくわかるんだよ」
と下北がいうと、
「どうしてだい?」
と西村が訊く。
「鬱状態というのは、まるでトンネルの中を車で走っているような感覚なんだ。真っ暗だったり、黄色いランプが明るくもなく照らされている。そんなところから躁状態への抜け道は、本当にトンネルから抜ける時のような感じなんpさ。途中まで黄色い色しかなかった空間に光が差し込んでくる。しかし、その光って、それほど明るくはないんだ。色はカラーだから、ハッキリとしているんだけど、カラーになったことで、色の限界が感じられるというか、暗いと思っていた黄色が本当は明るかったんじゃないかって思うくらいなんだ」
と下北は言った。
「なるほど、明るさに関しては、何となく分かる気がする。ドライブでトンネルの中を通った時に感じたような気がするんだ」
と、西村は答える。
西村はそう答えながら、小学生の低学年の時、家族で行った遊園地を思い出していた。
本当はあまり行きたくなかった遊園地。なぜなら、父親が家族サービスという名目で勝手に組んだ休みの予定であり、せっかく見たかったテレビを見ることができず、本当は遊園地などどうでもよかったのだ。
「父親の勝手な自己満足のために駆り出される家族の身にもなってみろ」
と言いたかったが、そんなこと言えるはずもない。
遊園地は本当に楽しくなく、一人で父親がはしゃいでいるのを、まわりは冷たい目で見ていた。
――本当に、分からない人なんだな――
と、とことん、家族の気持ちの反対を態度に表すという、ある意味では正直とも言える性格なのだと思うのだった。
天邪鬼という言葉があるが、それは父親のような人にいえるのではないだろうか。本人が意識することなく、人とまったく別の行動をする、それが天邪鬼というのではないかと思ったが、あれはあくまでも妖怪からの転用であり、天邪鬼という言葉に、作為、無作為の違いがあるのかどうかはいまいち分からない。
だが、西村は確かにそう感じた。
確かに人に逆らってばかりいると、自分が意識的にしていたとしても、そのうち感覚がマヒしてきて。どっちが自分にとっての正論なのか分からなくなる。それは。前に進むにも後ろに進むにも分からなくなってしまい¥う、
「断崖絶壁に吊り橋の上」
を渡っているようなものではないだろうか。
だが、そんな父親を見ていると、どこか下北に似ているような気がしてきた。
――俺が気に入っていて親友だと思っている下北と、憎しみしかない苛立ちを感じさせる父親と、どこに接点があるというのか?
と自分の考えを西村は、否定しようとするのだが、否定するだけの根拠が見当たらない。
どうすればいいのか分からないまま、西村はずっと下北を親友だと思っていた。
しかし、中学に入って下北の躁鬱症の気が見えてくると、父親の天邪鬼との間に共通点が見つかった気がした。
だからと言って、下北を嫌いになることもなかったし。父親に歩み寄ろうとは思わなかった。
父親に対しては余計に毛嫌いするようになり、何と言っても、正月に友達の家から、強制送還させられた恨みは消えることはないと思っていた。