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十五年目の真実

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「何かを発見した」
 とまったく思っていなかったとしても、人の心の奥など見ることができるわけもなく、気が付けば、次第に気持ちが高揚してくる。
 そうなってしまうと、誰に対して何を考えているのか、自分でも分からなくなるだろう。
 この思いは、前を見ていて急に後ろを振り返った時、咄嗟のことで今自分がどっちに進もうとしていたのかを急に忘れてしまうような状況に似ているだろう。
 そんな思いを感じる人はそんなにたくさんいるはずもない。いたとしても、そこに存在するものは、
「自分は夢を見ているのだろうか?」
 と感じることであり、その場合のまわりの環境がどうなっているかによっても左右されるであろう。
 ほぼ間違いなく夢であるのは確かであり、その夢の中で自分がどこにいるのか、例えば田舎道のどちらを見ても、ただ一直線の道が広がっている北海道などによくある道を歩いている場面であったり、左右を断崖絶壁の谷に掛かった吊り橋を渡ろうとして、風などによる揺れを感じているからであろうか。そんなところを想像するのは夢でしかなく、そういう夢を見た人は、過去にも何度も同じような夢を見ているであろうと思うのだった。
 ここでお話することは、誰にでも言えるような話でもあり、ある一人の男を指し示している話でもある。夢のような出来事でもあるが、
――どこまでが真実なのだろうか?
 と考えてしまうこともあり、書いている筆者自体がどこまで冷静に書けるか難しいところのようにも感じていた。
 見られていたことを、
「見られてしまった」
 と感じることと、何も感じずにやり過ごす場合、どっちが幸運なのだろうか?
 この場合は、明らかに後者である。見られたと思ったことで、余計な発想が頭に浮かび、起こってはならないことが引き起こされてしまうというのは、今に始まったことではなく。何かの事件や事故にも、絶えず付きまとっていることではないだろうか。
 人に何かを見られるということを意識してしまうと、自分ではなくなってしまう人もいるようで、大人であっても、子供であっても、男性であっても、女性であっても、そこに変わりはないはずなのだが、それぞれで立場が違っているはずだ。そこから起こってくる感情は、猜疑心なのか、被害妄想なのか、あるいは羞恥心であろうか。それによって、その後の対応が明らかに変わってくる。そのことが自分を犯人にしてしまうことにもなりかねないのだった。
「殺さなくてもいい人を殺してしまった」
 ということもあるだろう。
 見られた人は、果たしてその人から何かの脅迫でも受けたのだろうか?
 いや、脅迫を受けるようなことを見たと相手は思っていない。それが普通の人間の感覚であり、見てしまったことが、見られた人にとって致命的なことであったとしても、見た方にとっては何も感じない場合だってあるはずだ。
 一体誰が、誰の何を見たというのだろう?
 そして、それがどのような事件を引き起こそうとするのか、ひょっとすると、茶番で済んでいたことなのかも知れない。
 それを思うと、誰も責めることはできない。被害者も加害者もである。
 ただ、これを滑稽な話だとするのは語弊があるかも知れない。茶番というのも、どちらに対しても失礼なことかも知れない。だが、世の中というのは結構皆他人事のように見ているものだ。
「滑稽、結構。茶番、結構」
 そんな風に考えるものなのかも知れない。
 一人の青年が、デジカメを持って、駅で電車の写真を撮っていた。リュックサックを肩から掛けて、手にはトートバック迄持っている。首からはネームぺレートのようなものを下げていて、いかにも電車を撮ることを趣味にしている「トリテツ」の様相を呈していた。
 その日は朝から、一人のトリテツが駅のホームの最先端に陣取って、電車のフロントを撮影していた。
 その駅のその場所で、電車の写真を撮っている光景は今までに何度も見たことがあったおで、別に意識することはなかった。朝の通勤ラッシュで人は結構いたが、その男を意識している人は誰もいなかった。
 朝の通勤時間というのは、結構慌ただしいもので、せわしい時間が駅ではあっという間に過ぎるのだろう。電車を利用する人は電車を待っている間以外は移動しているので、せわしない中に飲まれてしまっていることで、自分の感覚がマヒしていることを理解しているのではないだろうか。
 無意識であっても、理解できることはあるもので、むしろ無意識に理解しているというのは、段階が一つ進んだことであり、まわりから見ると、何を考えているのか分からなく見えるもので、そんな人の集まりが、朝のラッシュのあの異様に何も考えていないように見え、本能で動いていることを示していると感じさせるものだった。
 その駅は、隣の駅が新幹線も停車する駅で、ちょうど、在来線に新幹線が近づいてくる駅であり、さらにローカル線がこの駅で一緒になり、隣の駅に合流するという駅でもあるので、特急電車やローカル線、さらに近づいてくる新幹線と、撮影スポットには困らないところであった。
 一時期はもっとたくさんのトリテツがいたのだが、最近ではそこまでたくさんいるという雰囲気はなく、その分、ヲタクと呼ばれる人だけが残っていった。
 いや、そもそも、今がブームの前に戻ったというだけで、ブームの時期が異常だったのだ。だから、元々のヲタクとしては、
「ファンが増えて、盛り上がるのは嬉しいことだ」
 と感じている人もいたにはいただろうが、
「にわかファンが勝手に土足で上がり込み。短いブームの間で散々ルール無視の望郷を働いていって、通り過ぎるだけの迷惑野郎たちだ」
 と思っている人が大半ではないかと思われた。
 そんなトリテツが減ってくると、駅も寂しいもので。前から意識していた人にとっては、トリテツが減っていくことに寂しさを感じ得なかっただろう。
 その思いが、効果不幸か、
「見られてしまった」
 と思わせることになってしまい、意識していないはずだったのに、一度気になると、何かをしないと先に進めない自分がいることに気づくのだった。
 その日は、普段よりも寒さがさらに堪える日だった。
 しかも、いつもよりも少し早めに行っていたこともあって、まだ本格的な朝のラッシュ前だったこともあって、ホームで電車を待っている人はまばらだった。
 進行方向は隣の大きな駅とは反対方向になるので、朝のラッシュと言っても、普段でも座っていけるくらいの人の量だった。その日はさらに早いだけに、もっと少ないことも予想されたが、いつものように電車の到着五分前にはホームに上がっていた。さすがに自分が乗ろうとする車両の扉で待っている人はおらず、中央部分の込み合うあたりは結構人がいるのが見えた。
 自分が降りる駅の改札が一番前にあるので、基本的には一番前から乗ることにしている。これは朝のラッシュに限ったことではないか、一斉に扉から弾き出される人の波にのまれるのは嫌だったのだ。
作品名:十五年目の真実 作家名:森本晃次