短編集114(過去作品)
順応性に長けている人はいいだろう。信子の場合は、自分が納得できることでなければ自分から行動しようとしない。理解できないことに対しては、やりながらでも疑問を払拭できないために、集中することができない。集中できないくらいであれば、やらない方がマシだと思っていた。
それも学生時代までは通用したであろうが、社会人になると通用しない。きっと、ギャップとジレンマに陥ることは入社前から分かっていたことだった。
その思いは悪い方に的中した。
入社してから、誰にも馴染めずに、何とか最初は一人で研修をこなしていたが、研修期間が終わる頃には、新入社員の間で孤立してしまっていた。
新入社員は、男性も女性もいて、ちょうど五人ずつで均整が取れていた。
中には仲良くなって付き合い始めた人もいたようだが、ほとんどがグループでの行動だった。
時々、仕事が終わってから、食事をしたり、カラオケに行って騒いだりと、賑やかなことが好きな人たちが集まっていた。
本来、営業社員を募集していた会社だったので、それくらいのバイタリティがないとやっていけないのかも知れない。そんな中で信子が就職できたのは、経理部に一人欠員ができたからだ。
細かいことをやらせると、一人でコツコツするタイプの信子が就職できたことは、最初から経理部配属が決まっていたも同然である。
研修も終わり、経理部に配属になると、想像していたような部署であった。皆無口で、コツコツと自分の仕事をこなしている。雰囲気は暗いが、信子には自分に似合っている部署に見えた。
卒業旅行のことを時々思い出す。
あれほど最初は楽しみだったのに、出かける時の気持ちと帰ってきてからの気持ちの違いやギャップを思い出すと、仕事をしていても、時々フッと気が抜ける時がある。
経理の仕事はコツコツと一人でできる。自分のペースでできるところはありがたいのだが、そのおかげで、余計なことも考えるようになる。
やはり一つのことに集中できない性格だからなのだろうが、それだけではない。元々集中できないというのは、あまり好きなことではないからだということになかなか気付いていないところにもある。
好きなことをするのであれば、他のことを考えることもないだろう。他のことを考える余裕があるのであれば、もっと仕事の先を読んだりできるからだ。
もう一つは、時間を忘れたいという思いが働いた時である。それは集中しているものというよりも、まわりの環境にある。居心地のいいところであれば、時間を忘れたいという考えもそれほど強いものではないだろう。他のことを考えてまで時間を忘れたいというのであれば、それはよほどその場の環境に嫌気が差しているからではないだろうか。
一概に断定はできないが、そのことに気付かない間は、同じようにいろいろなことを考えていた。気を紛らわしていたのだ。だが、いろいろなことを考えているのが災いしてか、ふとした考えの元で、自分がこの仕事が嫌で、会社の環境に満足していないことを悟ったのだ。
一度悟ってしまうと、修正するのはなかなか難しい。気付いてしまったことを忘れることはできないからだ。
気付いてしまったことに対して、次第にハッキリと見えてくるものがある。
――私はどうしてこの場所にいるのだろう――
学校を卒業し、就職難の中、何とか就職ができて、今を迎えている。
就職難の世の中だからこそ、気付かなかった部分もある。せっかく就職できたところ、自分の成績を考えれば、就職活動は成功だったと言えるだろう。
「何とか入ることができた会社」
そんな会社をどうして嫌な場所だと思うことができるだろう。
社会に出るからには、それなりに辛いことがあるのは当然である。自分のやりたいことが本当にできるのは一握りの人たち、仕事をしているうちに、自分で楽しい部分を見つけて、しっかり馴染んでいく努力をしなければならないということは、卒業の時からずっと考えていたことだった。
それだけに、就職に際しては臆病にもなっていた。短大の最後の一年は、就職してからの自分を考えては、覚悟を決める一年のような位置づけでもあった。卒業旅行を楽しみにしていたのは、そんな中でも自分が本当に楽しめるであろう、ごく短い時間だと思っていたからである。
確かに楽しもうと思えば楽しめただろう。出かける時は皆平等に楽しむ権利があったからだ。
現地、沖縄に到着してホテルにチェックインして、最初は団体行動でショッピングを楽しんだり、ビーチに出かけたりしていた。
そんな中で、皆楽しんでいる顔をしながら、心の中では、
「私だけは」
と密かに単独行動を狙っていたに違いない。皆で騒ぎながら、男の視線を気にしていた。中には目で男にシグナルを送っていた人もいた。本人はさりげなくのつもりだろうが、まわりから見れば露骨に見える。
そんな態度を見ていると、情けなさがこみ上げてくる。信子も、あわやくば自分も男性と知り合いたいと思っていたが、露骨な態度を取ってまで、抜け駆けをしようとは思わなかった。
かといって、女性の団結を重んじる方でもなく、どこか距離を置いて、団体を見ていた。冷めた目で見ていたと言っても過言ではないだろう。それだけに、露骨な態度は目に余るものだった。
そこで生まれたのが、ギャップとジレンマだった。
自分だって男性と仲良くなりたいという欲望が頭を擡げる。しかし、冷めた目で見ている自分がそれを許さない。どちらが本当の自分かと聞かれれば、冷めた目で見ている自分が本当の自分だと言える信子であった。それがジレンマとなって自分の中にストレスが残ってしまう。
一度冷めた目で見るようになると、それ以降、ジレンマを感じる前にすべてが冷めた目でしか見えなくなる。
沖縄での後半はすべて冷めた目で見ている自分が支配していた。
最初に来た時に感じた眩しい太陽も、皆の弾けるような笑顔も、すべてがかすんで見え、
「楽しいなんて思っちゃいけないんだ」
と、自分が感じる楽しみに限界を感じていた。
就職に先立っては、それでよかったのかも知れない。
楽しい思い出だけであれば、就職に際して臆病な気持ちが抜けなかったかも知れないと思った。
冷めた目で見るくせに臆病な性格というのは、ある意味救いようのないほど辛い性格なのかも知れない。信子は自分の性格をどうしても好きにはなれなかった。
就職してから、地味な自分を自覚していた。学生時代には、あまり表に性格を出さないのは、気持ちに余裕を持ちたかったからだが、就職してからは、そんな気持ちが薄らいできた。
「このままこの会社にいていいのかしら」
卒業旅行でのジレンマを思い出した。冷めた目で見つめる自分を意識し始めたのだ。
だが、冷静に見れば、今会社を辞めることは、どう考えても得策ではない。せっかくの就職を棒に振るだけだった。
――何とか気を紛らわしながら毎日を過ごす。そのうちに何かいいことだってあるだろう――
と、まるで他力本願的な考え方しかできなくなっている。
作品名:短編集114(過去作品) 作家名:森本晃次