短編集114(過去作品)
と聞かされた。葉月と遼は、信子を橋渡しにして知り合った仲である。最初、
――こんな素敵な男性とお友達なのよ――
とでも言いたくなるような気分であった。人にアピールすることなどなかった信子が、初めて自分をアピールしたことの喜びを感じていた。
それまで自分の存在が何であるかを分かっていなかった信子にとって遼の存在は、自分を誰かにアピールするための存在でもあった。
人に自分をアピールすることを忘れていたわけではないが、まわりの人を見ていると、アピールをすることで情けなさを表に公表しているように思えるからだ。
人と一緒にいてさりげなく感じることが気持ちに余裕を与え、人への無言のアピールになるのではないかということを教えてくれたのが、葉月であり、遼である。
その葉月が遼のことが気になっているという。信子にとっては実に複雑な気分だ。
葉月と遼を天秤に掛けるというのもおかしな感覚だが、どちらかというと、葉月との友情を失いたくないという気持ちが強い。
もし、遼を選んでしまったら、葉月とは二度と話ができなくなってしまうかも知れない。だが、葉月を選べば、その後も遼と話をすることはできる。だが、今以上の進展は望めない。遼のことを好きになっても、葉月に遠慮しなければならないだろう。
もし、これが初恋だとすれば、あきらめもつく。
「初恋は切なくて成就するものではない」
といわれるが、今それを感じている。
考えてみれば、遼に対して恋愛感情が浮かんできたわけではない。ただ気になっている男性というだけである。葉月が、
「遼を好きになった」
と言い出さなければ、何も考えることなどなかった。
――いずれ好きになるかも知れない――
というくらいは感じていただろう。それは近い将来ではない。時間的な問題ではなく、感情の微妙な距離によるものだ。まるで二人の間のキューピットになってしまった自分がピエロのようであったが、とりあえず冷静さを取り戻すしかない。
二人はその後付き合い始めた。それがどれほどの仲であったか分からないが、結論から言うと長くは続かなかった。
後から考えれば分かることだった。
それは二人の気持ちになってみれば分かるのだが、二人が付き合っている間、二人の気持ちになどなれるほど、人間ができているわけではない。
まず、葉月が信子に遠慮し始めた。
あれだけ積極的だった葉月が、いざ二人きりになると、相手に警戒心を抱いてしまったようだ。穏やかな性格で、見た目も話していても爽やかなのだが、お互いに男と女を意識してしまうと、人は変わってしまうものなのかも知れない。
「どうしても、あなたが気になってね」
と別れた後に苦笑いをしていたが、それだけではないだろう。初めて相手に男を感じると、どうしても臆病になってしまう。それまで臆病などとは縁遠かった葉月には、耐えられるものではなかったようだ。
しかも葉月にはプライドが高いところがあった。臆病になっているなどということを相手に悟られたくない気持ちが働いたに違いない。
遼にしてもそうだろう。
爽やかな性格なだけに、精神的にゆとりを持っていたはずだ。ゆとりを持てる人間は、相手からも信頼され、自分が思っている方へ、何事も進んでいくという考えが生まれてくるものだ。
――葉月が自分に男を感じている――
と思ったことだろう。遼も女性と付き合ったことがないと言っていたので、女の子の中に女性が現れれば、自分の中の男の部分が目を覚ますであろう。
相手がオンナに見えてくると、本音で向かってくるように感じ、それまでの爽やかな付き合いが、薄っぺらいものに感じられる。言葉に出していることに打算はないのだろうが、無意識のうちに本心をはぐらかそうとしているように見えてくる。
お互いに見詰め合って言葉が出なくなると、沈黙の中で感じるのは相手の息遣いだけである。
息遣いは淫靡な空気の中で、湿気を帯びてくる。信子が高校生になって初めて付き合った人との経験の中で、
――初めて味わった思いではない――
と感じたのは、葉月と遼の気持ちを想像していたことを思い出したからだ。その時の葉月の気持ちが、数年経ってからまるで昨日のことのように思い出す信子だった。
大人になってからの信子は、あまりいいことがなかった。
人を信じやすいタイプなのが災いしてか、あまりいい男性に巡り会うことはなかった。
「困っているんだ」
と言われると、お金を用立てることもあった。人の気を惹きたいという思いは男性に限らず女性にもあったが、その反面で、相変わらず一人でいることが多かった。
一人でいる女性に興味を示してくる男性もいなくはない。優しくされることに慣れていないと、ホロッと気持ちがなびいてしまうこともある。信子にもそんなところがある。
――二重人格じゃないかしら――
と感じるが、きっとそうだろう。
信子自身、二重人格は悪いことだとは思っていない。人によって態度を変えるのは仕方がないことで、それも対人関係において大切なことだと思っている。
中学時代の葉月と遼を見ているからだろうか。自分がいくら虚勢を張っても、まわりがそれに呼応してくれなければただのわがままに過ぎないことを分かっている。自分の気持ちだけではどうにもならないこともあるだろう。
また、気持ちというのは時間が経てば変わるものでもある。
いくら相手のことが好きだと思っていても、付き合っていくうちにマンネリ化してくることもあるだろうし、他に好きな人ができないとも限らない。
冷静な目で見ることに中学の頃から慣れてきているので、あまり感情的にならないように心がけていた。
心がけていなくても、無意識にでも、冷静に見つめる目は養っているつもりだったので、あまり相手に深入りすることはなかった。
しかし、短大を卒業する頃になると、考えが揺らいでくるのを感じた。
それまでは一人でいても寂しくなく、男性から声を掛けられても、
――どこか下心があるんだわ――
くらいにしか考えていなかった。
短大まではそれでよかったのだが、社会に出るということになると、本当に一人になることを実感する。
それまでは一人だと思っていても、学生だという甘えが気持ちのどこかにあって、人と協調性を持たなくてもやってこれた。しかし、社会人になると、そうは行かない。
会社に入ると、何事も上司の命令は絶対であった。それは就職活動中にも先輩から聞かされていて、就職試験の際の面接でも、そのことを面接官から念を押されるほどだった。
「最近の新入社員は、なかなか上司の命令ということに少し疎い気がしている。馴染みのないことには、あっけらかんな性格の人が多いというか、社会人としては、問題があるよね」
話を聞いている時は、自分には関係のないことだと思っていた。上司の命令を聞くのは、冷静になって相手の話を理解し、行動するだけなのだから、却って自分にうってつけではないかとさえ思えたのだ。
だが、協調性を重んじる世界で、自分たちは、機械の歯車に過ぎないと思えば、上司の命令に素直に従えるかどうか、不安が募ってくる。
作品名:短編集114(過去作品) 作家名:森本晃次