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短編集114(過去作品)

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鏡に写っているはずの自分



                鏡に写っているはずの自分


 最近、自分が誰なのか分からなくなることってないだろうか? 自分は自分だといつも感じていることに何ら疑いを持たず生活している。毎日を平凡に暮らすことが自分の生き方だと思うようになったのは、歳を取ったからかも知れないと感じる人も少なくないだろう。
 山本信子は、最近鏡を見る回数が少なくなった。前は毎日のように鏡に写った自分を見て、
「今日も相変わらずね」
 と話しかけていた時期が懐かしい。
 今年で二十五歳を迎える信子が年を気にし始めたのは、ある男性を意識するようになったからである。それまでも好きな男性を意識することを自然なことだと思い、ただ、好きになっていい人といけない人を自分なりにしっかり把握しておかなければならないと思っていた。
 彼は平凡なサラリーマンである。そんな彼と出会うのは朝だった。最近になって始めたアルバイト先である喫茶店に、毎朝のように姿を見せる彼、いつも同じ時間に現れるところがさすがサラリーマンと思うところであった。
 毎日スーツやワイシャツの色が違っている。さりげないところにオシャレな雰囲気を醸し出している彼を見ているだけで楽しくなってくる。
 喫茶店でアルバイトをするようになって、自分が明るくなったと感じる信子であるが、客の中にはそんな信子を目当てにやってくる人もいて、
「信子さんが来てくれて、おかげでお店は繁盛よ」
 朝の時間を任されている主任がそう声を掛けてくれた時は嬉しかった。店は駅前の商店街にあり、アーケードを抜けると、二階に上がっていく狭い階段が見えてくる。駅が目の前ということで、意外と階段を上がってまでやってくる客も最初は少なかったようだ。
 信子が入った時には、常連客はあまりいなかったが、最近では常連客も増えて、カウンター越しにコーヒーを入れながら常連のお客さんと話をしている自分を思い浮かべるだけで、一日が楽しくなりそうで嬉しかった。
 これほど一日の始まりを楽しく感じたことはなかった。
 学生時代から、一人でいることが多かった信子は、短大の卒業旅行に出かけ、その時に無理してお金を工面したことで、自分の人生が面白くないものに感じられた。
 あれだけ楽しいと思っていた卒業旅行、沖縄に出かけたが、想像していたような情熱的な恋ができるわけでもなかった。
「沖縄の海は開放的になれるわよ」
 誘ってくれた友達の口車に乗って出かけてみたが、所詮自分から目立とうとしない人は、男も女も、楽しめないものだ。それでも沖縄で見た海の美しさは瞼の奥に残っている。真っ青な空にどこまでも続く水平線、砂浜には「星の砂」と呼ばれるものがあり、皆必死になって探している。
――もし自分ひとりだったら、飽きずにずっと探しているだろう――
 と思えた。一つのことに興味を持つと、なかなか離れないものだ。
 だが、探している皆を見ていると、遊び半分にしか見えない。おしゃべりしながら探している。見ていると一生懸命さが伝わってこない。これでは、自分も一緒になって探そうなどという気持ちが起こるはずもない。そういう意味でも集団行動での旅行には、ずっと冷めた気持ちを持ち続けていた。
 沖縄の海を思い出に帰ってくると、しばらくは何事にも集中できない自分がいた。まるで時差ボケでもしているかのように時間の感覚も定かではない。
 時間の感覚が定かではないというよりも、何をやっていても、時間が同じスピードで進んでいるようにしか思えないのだ。
「それは当たり前のことじゃないか」
 と言われて当然なのだが、実際にはやっていることで時間の感覚が微妙に違う。
 人と一緒にいる時と、一人でいる時、集中して何かに打ち込んでいる時と、何も考えずに音楽を聴いている時など、違いが分かるのである。
 信子は、子供の頃からクラシックを聴くのが好きだった。小学生の頃、学校で流れていた音楽を思い出しながら、中学時代は図書館の視聴覚ルームで、クラシックを聴いていたものだ。
 図書館の視聴覚ルームの前は森のようになっていて、深緑が落ち着いた気持ちに誘ってくれ、夏の間などは、日が暮れるまでいたいと思ったくらいだった。中学時代にはそれも叶わず、
「もっともっと時間を長く感じていたい」
 と時間に対して一番感じた時期ではなかっただろうか。
 クラシックを聴くのに通った図書館だったが、本を読むのも嫌いではなかった。
 図書館に来るようになるまでは、文字を読むのが苦手だった。国語のテストも、文章読解などは苦手中の苦手で、ついつい先を読んでしまうくせがあった。
 それだけ気が散りやすいのだ。時間が限られた中のテストだと、文章を読むのが億劫になってしまう。時間に追われることがプレッシャーになり、読んでいくうちに、時間が経つのが早くなるように感じてしまうのだ。
 文章以外であれば、時間制限があってもあまり気にならない。計算問題でも、理論付けて計算しさえすれば、時間内にこなせる自信はある。実際に算数は得意で、計算問題に関しては、平均よりも早いことは自覚していた。
 だが、文章を読んでいると、ついつい余計なことを考えてしまう。気が散ってしまうというべきだろうが、そのことも図書館に通うようになって理解できるようになった。
「無意識に先を読むくせがついているのだろう」
 と感じるのだ。
 本当であれば、順序良く読み込んでいけば、結末に辿り着けるはずである。今読んでいるところは、あくまでもそれ以前からの繋がりだけであって、下手に先を読み込む必要などない。
 計算手順ほど難しくはない。計算手順にはそれなりの優先順位が幾通りも存在し、それにともなった演算の訓練が必要である。
 それが算数の醍醐味でもある。算数が好きだったのは、そんな醍醐味を感じていたからに違いない。だが、国語には手順などない。最初からゆっくり読み込んでいけば、ラストへの道筋は決まってくる。
 だが、そこに決まった公式など存在しない。決まった公式どおりにことが進んで、それが小説などになってしまっては、面白くないだろう。読み込んでいくうちに、作者の意図を自分なりに模索するところが国語や読書の醍醐味であろう。
 算数を好きになった頭で国語も考えようとするから、なかなか考えがまとまらない。先を読もうとする気持ちは、醍醐味を味わいたいという気持ちに直結しているのだ。
「テストなんかあるからいけないんだ」
 ゆっくりと時間を掛ければ読解できるというものではないだろう。だが、少なくとも変なプレッシャーを感じることはないはずである。国語が嫌いになった時から、文章を読むのも嫌いになったので、本もずっと読まないで来た。
 だが、図書館で音楽を聴きながらゆったりしていると、本を読んでみたくなった。
 最初はなかなか読むことができない。どうしても気が散りやすい信子は、ヘッドホンから聞こえてくる音楽が邪魔で、集中できなかった。だが、それも最初のうちだけで、次第に音楽に合わせるかのようにして、本を読み進んでいく。
作品名:短編集114(過去作品) 作家名:森本晃次