短編集114(過去作品)
不倫であったり、許されない恋愛を描いたものが多く、軽い気持ちで読むことのできない小説が多い。元々小説は軽い気持ちで読みたいと思っているので、重たい作品は律子には馴染めない。
「恋愛小説は読むものじゃないわ」
と感じたほどだ。
小説を読んでいる時の自分を思い浮かべるのが好きだった。
喫茶店の窓際で、本を読んでいると、目の前にあるコーヒーカップから立ち込める煙が、想像しただけで香ばしさを運んでくるようで、寒い時期になってくると、湿気を帯びた店内で、香ばしさがさらに広がってくる。モーニングサービスなのでは、トーストの香ばしさ、さらにはタマゴの甘い香り、漂ってくる匂いは交じりあっているもののはずなのに、律子にはハッキリと区別して感じられる。
それが喫茶店の持つ魅力のようなものの一つだと感じていた。
小説を読んでいると、時々、自分と小説の中の主人公とがシンクロしてしまっていることがある。特に現実に近いイメージのストーリーであるとその思いは強く、恋愛小説などはてきめんであった。
考えてみれば、非現実的な話ばかりを読んでいた。ミステリーにしても、最初の方の描写は普通のサラリーマンだったり、OLだったり学生だったりする人が、次第に事件に巻き込まれたりする。事件に巻き込まれる時点で、律子にとっては他人事、あくまで小説の中の世界だと割り切ってしまっている。
SFなどは論外で、どちらかというと夢の中の世界を垣間見ているような雰囲気がある。夢の中に出てくる自分をシンクロさせることができることから、SFやホラーに近い話を読むことができたのだ。
また、歴史小説も読んでみることにした。
今度は今まで読んでいた作品とまったく違った発想になる。
今まではフィクションでまったく違った世界の作品を読み込んできたが、歴史小説だけは、ノンフィクションにこだわってしまう。
律子は歴史が好きだった。小学生で初めて歴史に出会い、それからというもの、歴史の時間が楽しみだった。
教科書に載っている話もしかるべきだが、ちょっとした裏話が好きだった。
中学時代には歴史の授業が楽しみで仕方がなかった。歴史の先生が結構裏話をしてくれたこともあるが、何よりも先生を好きになってしまったからだ。
女子中学生が、先生に恋をするというのは、世間にはいくらでもあることだ。類に漏れずそんな感情に陥ってしまったのを最初は心地よい感覚で向かい入れていた律子だった。
話し方が上手で、上品なところがある。そんな先生に憧れるのは、無理もないことだった。
だが、中学時代というのは三年間しかない。しかも学年が上がると、歴史の先生も違う先生に変わってしまった。二年生の時だけがその先生から教わった歴史の授業だったのである。
先生は、歴史の本もいろいろと紹介してくれた。そのたびに買ってきて読んでいたが、先生の話してくれた内容ほど面白くはなかった。やはり裏話が載っていないからだ。
だが、歴史自体が、知らない世界である。自分にとっては、すべてが架空で現実味のない話である。
しかも歴史は途中で途切れることのない、完全に繋がった世界で、必ず結果があれば原因がある。しかもその原因は、前の時代の結果にも当たっているのだ。
そう考えてくると、歴史というのは、今まで読んできたミステリーやSFよりもさらに大きな主題を持った小説であることが分かる。小説の世界だけではなく、学問としてもとてつもなく大きな主題が隠されているのだ。
そんな歴史のフィクション部分は読みたくない。あくまでも史実を元に書かれているものが一番醍醐味があって、大スペクタクルを描いているのだ。これが歴史小説に対する律子のポリシーでもあった。
歴史と接するにあたって、中学の先生ともいろいろな話をしたものだ。三年生になって、受験勉強のかたわら、
「息抜きになる」
ということを理由に先生に話に行ったものだ。
「息抜きは大切だね。それよりも君が歴史に興味を持ってくれたことが嬉しいよ」
と言って、気軽に話をしてくれた。
だが、話をしているうちに、次第に先生のポリシーが分かってきた。
歴史を勉強しているのは、自分なりの歴史解釈を明確にしたいためだということが分かってきた。
「歴史というのは、その人それぞれの認識があって、歴史に足を深く踏み入れるに当たっては、自分の認識が他の人とは違うという独自の考えを自分で確かめたいという気持ちが働くんだね。勉強というのは得てしてそんなものかも知れないね」
と話してくれていたが、最初はよく分からなかった。だが、勉強していくうちに、生徒に教える先生としての顔と、歴史を探求していく研究者としての顔と、まったく違う顔を先生が持っていることに気がついた。
先生が嫌いになってきたわけではないが、どこかそれまでと違って距離を感じるようになった。律子自身も歴史の勉強をしていたが、先生から教えてもらった話と若干ずれが発生してきたことに気付く。
――それだけ、私も深く入り込んできたんだわ――
それが、歴史を感じる最初の一歩であることに気がついていた。
しゃっくりが止まらず、苦しさを感じていると、仕事にも集中できない。有給休暇も余っているし、ちょうど、差し迫った仕事もないことから、上司から、
「休暇でもとって、ゆっくりしてくればいい」
と言われていた。
実際に、他の人も休暇を適当に取ったりしていたが、律子は休みを取るよりも仕事をしている方が落ち着くという考えもあり、休みを取っていなかった。
「ではお言葉に甘えまして」
ということで、土日、祝日を絡めて一週間の大型休暇になった。
誰かを誘う旅ではない。またしても一人旅だ。
そういえば、今までの旅はほとんどが一人旅だった。学生の頃は人を誘うこともせず、また人から誘われた旅も断っていた。気ままな旅が好きだからである。
予定を最初から決めることなく出かける旅、そこに醍醐味がある。傷心旅行に出かけた時もそうだったが、やはり、旅に理由があろうがなかろうが、結局は一人を選択してしまう。
以前は海の近くの温泉を選んだが、今度は山が近い温泉を選ぶことにした。それも近場ではなく、遠いところへ行ってみたくなった。
九州には温泉が多いと聞く。特に火山が多い九州なので、説得力もある。
一度行ってみたいと思っていた熊本、観光ついでに温泉に浸かろうと思うのか、温泉に行くついでに観光しようと思うのか、感じ方は自由である。とりあえず、目的は温泉だった。
福岡までは飛行機で行って、博多から熊本までは特急列車を使う。あと四年もすれば新幹線が開通するらしい。途中の駅からずっと、線路の横を新幹線の工事が続いている。
「きっと数年前までは、まったく違った光景だったんだわ」
と感じさせられた。
福岡空港は、都心部に非常に近い空港である。飛行機を降りてから博多駅までは地下鉄で十分ほど、これほどの大都市で空港からJRの中心駅まで近いところはないだろう。
博多駅から熊本までは、結構乗客も多いのか、列車を待つ列は人が多かった。指定席にしていたので、それほど意識はないが、自由席で待っている人の列を見れば、結構たくさんの人が列を作っている。
作品名:短編集114(過去作品) 作家名:森本晃次