短編集114(過去作品)
ちょうど最初に入った日、一時限目が休講になっているのを忘れて電車に乗ってしまった時だった。駅を出て、すぐに気になったコーヒーの香り、その時に、
「そういえば、休講になっていたんだっけ」
ということを思い出したのだ。コーヒーの香りを感じることがなければ、思い出すこともなかっただろう。
「ちょうどいいから、コーヒーを飲んでいこう」
と思い立って、喫茶店の扉を開けた。喫茶店の存在を意識し始めた時期とほぼ変わっていなかったように思うのは、後から思い出すからだろうか。
カランカランと渇いた鐘の音が聞こえた。店内は、湿気に覆われていたが、音だけは渇いていた。
店内は思ったよりも客が多かった。短大生ばかりではなく、サラリーマンも結構いて、テーブルの席は十個くらいあるのに、残りが二つほどであった。ちょうど窓際の席が開いていたので、律子はそこに座ることにした。そこが今後も律子の指定席になるのだが、それは皆常連で、自分の席が決まっているからだと気付いたのは、何度目に店に来てからだっただろうか。
コーヒーの香りに混じって、トーストやバターの香ばしい匂い。それは今までに感じたことのない香りだった。
――朝食といえば、ご飯に味噌汁――
というイメージが強く、それが嫌だった律子にとって、この香ばしい香りは実に新鮮でありがたかった。
モーニングセットには、コーヒー、トースト以外にも、ゆでたまご、サラダ、ソーセージと、少しずつ乗っていた。和食よりも一つ一つのボリュームは大したことはないが、見た目は実に贅沢に見える。そんな雰囲気をすぐに好きになった律子だった。
トーストの焼具合も、ほんのりと焦げ目が浮かんでいて、バターが内部まで沁み込んでいる。
芳醇な香りと、さくっとした歯ごたえが何ともいえず、トーストの後口で、コーヒーの味がさらに引き立つような気がした。
コーヒーにはカフェインが入っているので、朝、コーヒーを飲んでおくと、眠くならないのもありがたかった。実際には眠くならないわけではないが、
「コーヒーを飲んでいるのだから大丈夫だ」
と言い聞かせることで、眠くなることはなかった。これも自己暗示に掛かりやすい律子ならではというべきであろう。
喫茶店に朝寄るようになってから、本を読むようになった。
今までは眠くなるから、朝本を読むなど考えられなかったが、コーヒーの魔力を信じていたので、本を読んでも睡魔に襲われることはない。
最初は、店の中に置いてある雑誌を読んでいたが、すぐに読み終わってしまう。それに雑誌だといつも同じようなことを書いているようで、飽きてしまった。
短大の頃は、飽きっぽい性格だったかも知れない。OLになってからの方が飽きっぽくなくなったのは、毎日が同じような仕事をしているのに、どこか毎日が違っていて、日々必ず何かを覚えていくようで、それが成長に繋がっていると思えるようになったからである。
時間の感覚も変わってきた。あっという間に過ぎてしまう短大時代の毎日だったが、一週間が長く感じられたように思える。もっとも、短大を卒業するまでは比較対象がなかったので分からなかった。だが、喫茶店での朝の始まりが、同じ短大時代でも特殊な時間帯だったように思えてならない。
「時間の感覚が麻痺していたようで、一番意識していたんだな」
と勝手に思い込んでいた。社会人になってから、なかなかモーニングサービスを食べる時間がなくなったことも影響しているかも知れない。
読んでいる本は、最初小説が多かった。
小説もミステリーのようなノンフィクションが多く、ストーリー性よりも、トリッキーで、早い展開に一気に読むことが多かった。
描写を頭に思い浮かべるよりも、先々を読みたくてウズウズしてしまい、ほとんどセリフだけを拾い読みするような斜め読みになってしまっていた。
――これではいけないんだわ――
と思いながら、なかなか先を読みたい気持ちが治まらない。
小説を読む意味で反則なのかも知れないが、中には、ラストを先に読んでしまう人もいるらしい。
「ミステリーファンとしては、反則ですよ」
ラストから読むと、そう言って詰られるが、律子はそうは思わない。
「確かにそうなのかも知れないけど、それは順序立てて作家が書いていることに敬意を表して読むだけなのかも知れない」
と感じるからだ。誰もが謎解きを中心にミステリーを読んでいるだろうという考え、そして、トリッキーで、リズミカルな展開で、作品に引き込まれてしまうことを予期して作品を完成させていくだろうから、読み手もその考えに敬意を表するという発想に思えてならない。
だが、どこか律子は天邪鬼なところがあり、確かに最初はトリッキーでリズミカルな展開に引き込まれていたが、最近では、作者の発想を逆に遡ることで作者の発想に触れてみたいと考えるようにもなっていた。
だが、やはりラスとから読むとミステリーの醍醐味はなく、面白さは半減する。作風が想像していたものとは違ったものになってしまっているが、慣れてくると少し違う発想が生まれてくる。
元々、先々を読んでいく上で、セリフの拾い読みをしていたものが、ラストを読むことで、落ち着いて読めるようになった。描写も楽しめるようになり、そうなると、セリフ部分よりも描写で背景を想像することが楽しくなってくる。
「小説って。いろいろな楽しみ方があるんだな」
と感じたほどだった。
ミステリーしか読んでいなかった律子だったが、しばらくすると、違った作品も楽しみようになっていった。SF小説や、昔のミステリー、ストーリー性が豊かで、発想が非現実的なものへと変化していった。
時間や、架空の世界を描いたSFも、今ではいろいろな発想が出尽くしているだろう。昔の小説を読むことで、原点に触れることができる。それはミステリーを読み進むことによって、時代を遡るようになっていった。時代を遡ると、そこに見えてくるのは、ジャンルの原点である。発展していったものから原点を探ることは、新鮮味を感じることができ、ジャンルを制覇できたように思えた。
SFに関しては、逆に昔のものから現代に向って読み進むが、だんだんと興味が薄れてくる。
「やっぱり昔の新鮮な作品の方がいいみたい」
と感じるようになったからだ。新鮮な気持ちを最初に感じてしまっては、後はなかなか楽しむことができないのも、天邪鬼な性格のせいかも知れない。
本当は、発想やトリックなどというのは、時代が進むにつれて出し切ってしまう。それだけに後は作者の力量とバリエーションで、いかにストーリー性豊かな作品に仕上げるかという手腕が問われるだろう。
そういう意味では時代に順応して読み込んでくるのも小説を味わう醍醐味なのだろうが、なかなかそこまで読み込めないのは、最初に感じた新鮮さが、イメージとしてこびりついているからかも知れない。
恋愛小説も読んでみようと思った。
恋愛に関しては、甘く切ないものをイメージしていたので、小説に、そんなイメージを期待していると、少し肩透かしを食らった感じであった。
恋愛小説というものは、切ないものであるが、甘いというよりも、もっと大人の発想を感じてしまう。
作品名:短編集114(過去作品) 作家名:森本晃次