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断捨離の果て

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「彼が自殺をしたというのは考えにくいんですよ。真正面からナイフで抉られているのが見えるからですね」
 というと、
「彼はそれ、できますよ」
「えっ?」
「真正面から両手で自分の胸を突き刺すということは彼の器用さからいけばできます。一度シミュレーションで見せてくれたことがあったんですよ。私は、変なことしないでって怒ったんですけどね。その時は彼の性格を理解していなかったので、彼の行動を戒めたつもりだったですがね」
 と彼女は悪びれた様子もなく言った。
「彼はその時、どんな感じだったんですか?」
「別にいつもと変わりのない笑顔だったんです。だからその時は本当に腹が立ちました。人の心配を仇で返したような態度を見せれば、誰だって怒りますよね。でも、彼はそれを怒られているという感じで捉えていなかったような気がするんです。彼に対して考え方を改めた瞬間があったとすれば、その時だったような気がするんですよ」
「なるほど」
「でも、彼が自殺ではなかったというのは、本当かも知れない。彼がいくら左右で同じ力を自分に向けることができるとしても、自分の命を奪うまでの強い力を維持できたとは思えませんからね。自殺だとすれば、次第に手の力も抜けていくのに、力を均衡に保つなどできるわけもなく、非現実的だと思いました」
 と、彼女は冷静になって考えているようだった。
「それでも、あなたは彼のことだから、人から殺されたというよりも、自殺だったと感じるんですね?」
「ええ、少なくとも自分から死のうと思ったのは間違いないと思います。もし、自分に死ぬ意思がなくて人に殺されそうになったのだとすれば、かなりの抵抗をしたはずですからね。たとえ、予期せぬ人にいきなりやられたのだとしても、彼のことだから、少しは抵抗をしたと思います。抵抗の痕が見受けられないのだとすると、それはよほどの顔見知りだったということでしょうが、彼は顔見知りにでも油断をすることはなかったので、そう簡単に殺されたとは思えないんです」
「じゃあ、相手があなただとしても?」
 と清水刑事は彼の傷口のように、真正面から切り込んできた。
「ええ、私だとしてもです。特に相手が女性だとすると、油断することはあの人にはないと思うんです。女性というものに対しては、猜疑心を強く持っていましたからね。それは嫉妬を伴うものではなかったんです。猜疑心だけがそこに存在していることから、嫉妬など挟まる余地のないほど、相手を信じていない性格だったということなんです」
 と彼女が言った。
 ここにきて、急に自殺の線が出てくるというのは、ビックリであったが、そのあたりも含めて捜査する必要があると、二人の刑事は考えていた。
 鳥飼という男は、確かに調べれば調べるほど、誰かに殺されるというほど、誰も動機を持っていないような気がしてきた。人に恨まれるということはなく、ただ、彼に対してのまわりの人の感情としては、
「とにかく寂しい人であり、彼は自分から人に関わることを決してしない人であり、その気持ちがあの部屋に現れている。自分の興味のあることには一生懸命になるくせに、そんな人間に今まで出会ったことがなかったのが、彼ではなかったのか?」
 というのが彼女の話だった。
 その話を訊いていると、彼は自殺以外に考えられないような気がしてきた。そんな暗示に彼を調べれば調べるほどかかってくるような気がしてくるのだ。
「こうなったら、一刻も早く、松本先生に遭ってみる方がいいのかも知れないな」
 とは思っていたが、肝心の松本先生は、ちょうど先日、沖縄で学会があるということで、こちらを留守にしていた。
 病院はちょうど一週間ほどを休診日とするつもりだったが、それはさすがにまずいということで、近くの大学病院から、数日間、応援が貰えるということで、現在は、別の先生が診察に当たっているということだった。
 松本先生の診療所について調べていると、興味深い話が訊かれた。その話をしてくれたのは松本先生の病院で看護師をしている人で、その人はすでにベテランになっていたのだった。
「松本先生の診療所は、街の区画整理の範囲に入っているそうなんです。立ち退き要求なんかもあり、それでも何とか頑張ろうという意思を持っているんですよ。隣にペットを預かるようになったのは、ひょっとすると先生の買収に対しての、ささやかな抵抗の意味もあったのかも知れないですね、ああ、鳥飼さんのことですか? はい、鳥飼さんとは知り合いでしたよ。たぶん、立ち退き反対の集会によく出ておられたので、その時に知り合ったんだと思います。趣味も合っているようなことを言っていましたので、結構仲が良かったと思います。先生は、最初はさほど鳥飼さんとそんなに仲がいいというわけではなかったんですが、一度一緒に飲んで、そのまま、鳥飼さんのところに泊めてもらったことがあるそうなんです。その時に完全に意気投合し、先生はまるで鳥飼さんの崇拝者のようになっていくようでした。先生が隣にペットの収容所のようなものを作ろうと思ったのは、どうやら鳥飼さんの考え方に感化されたからだと私は思っています。でも、その鳥飼さんも殺されたんですよね? 先生は大丈夫かしら?」
 というではないか。
「まさかとは思いますが、後追い自殺などをすると思われているんですか?」
「ええ、嫌な予感がするんです。虫の知らせのようなものがあるとでもいうんでしょうかね。でも、不思議と私は先生が後追い自殺をしていたとしても不思議には感じないんですよ。先生だったら、ありえると思っている自分が怖いとは思うんですけどね」
「鳥飼さんは、自殺というより殺された可能性が高いと思われるんですが?」
 というと、
「そうですか」
 と言って、それ以上口を噤んでしまった。
 松本先生は予定の日になっても、病院に現れることはなかった。看護師の話を訊いていたこともあってか、帰ってこないことで、松本先生に何かがあったという可能性が高くなった。
 病院からは看護師の名前で捜索願が出されたが、警察が真剣に探すことをしないと思ったのか、それとも、探すとしても、それは捜索願に基づくものではなく、あくまでも鳥飼氏殺害の容疑者としての捜索になってしまうであろうことは分かっていた。きっと、
「実に皮肉なことだ」
 と思っているに違いない。
 その予感は一週間後に的中した。
 自殺の名所の樹海の近くで、一人の男性が死んでいるのが発見された。
 毒を煽っていて、そこには遺書が残されていた。その遺書には、自分が松本という医者で、人を殺してしまったと書かれていた。
 その内容は、彼が自殺を試みたのだが、一人では死にきれずに苦しんでいた。それを見るに見かねてとどめを刺してあげたのだが、そのうちにm自分が精神を病んでいくことに気づいたのだった。
 自分にも以前から自殺願望があり、ジレンマと戦ってきたが、それも鳥飼を殺したことで緊張の糸がぷっつりと切れ、区画整理の問題もあったことで、自殺をすることにしたという。
 さらに、この自殺の意識は、鳥飼を殺してしまったことで、鳥飼から移った伝染病のようなものだと先生は書いている。
作品名:断捨離の果て 作家名:森本晃次