断捨離の果て
なぜなら彼は補欠入学で、彼が正式に入学できるためには、他の大学の発表が終わり、その人が自分が行きたい大学入学を辞退してくれる必要がある。それが分かるのは、入学金の振り込み完了期間なり、振り込みがなければ、そこで正式に繰り上げ入学となる。その頃になると、ある程度の部屋は埋まっていることだろう。
まったく部屋がなかったわけではなかったが、残った部屋を考えると、大学の近くにある親戚の家に厄介になる方がよかった。そのうちに、ゆっくりとまた部屋を探せばいいと思っていたのだ。
何しろ、基本は一人暮らしがしたかったのだが仕方がない。親戚の家から大学に通うことにしたのだ。
家賃は破格の値段にしてくれたのだが、その見返りとして、ペットで飼っている犬の朝の散歩を仰せ仕ることになったのだ。
イヌ好きの彼にとって、早朝というのは少しきついと思ったが、犬の散歩であれば、嫌な理由はどこにもない。
最初こそ、いろいろなコースを地図を見ながら模索していたが、どのコースを通っても、この公園を外すことはできなかった。しかも、イヌ自体がこの公園が好きになったようで、近くまでくると、その引率力には半端ないくらいの力が働いていた。
イヌはラブラドールで、比較的大きい。大人しいが、それなりに力があり、顔からは想像できないような力で引っ張られると、彼は苦笑いをするしかなかった。
「こんなところで殺人事件だなんて。本当に物騒だな」
と、早朝なだけに、気持ち悪かった。
通り魔が出るという話は聞いたことがないし、大きな事件はこの殺人だけだったので、通り魔殺人に関しては、彼の考えとしてはありえないと思っていた。
しかも警察が厳重に現状を保存しようというのは、通り魔による殺人よりも、身内か誰かの怨恨による殺害の方が、確率は高いと思っていることだろう。
それが分かっているだけに、気持ち悪いとは思ったが、通り魔ではないという思いから、怖いという感覚は薄れて行った。
「怨恨だとして、何もこんなところを選ばなくても」
と言って、幕の張られた殺害現場を横目に見ながら、今日も犬の散歩をさせていた。
さすがにここ数日は朝の寒さは冬本番となっていた。
雨が降る様子はまったくなく。昼間は日陰に入れば、さすがに肌寒いが、日が照っている場所では、ポカポカ陽気と言っていいだろう。
そんな天気のいい日、早朝などの最低気温に違い時間は、地面の温度が下がり、気温が急激に下がることを、気象用語としての放射冷却と言われるが、さらにそこに木枯らしなどが絡むと、身体の損から寒さが感じられるユニなる。
特に風の強い日などは、その傾向は顕著で、車の窓ガラスなど、完全に霜が降りたような状態になっていることだろう。
ただ、夜が明けるにしたがって天気が晴れであることが分かると、その寒さが余計にしみじみ感じられ、人間には耐えがたいものになっている。
しかし、イヌはどうだろう?
「イヌは喜び庭駆けまわり、猫はこたつで丸くなる」
などという童謡もあるが、まさにその通りだ。
「お前は寒いなんて感じないのか?」
震えている様子もない。毛は生えているが、人間の衣服とは比較にならないほどお情け程度の気で、よくこの寒さに耐えられると思う。
逆に夏は苦しそうに口を開けて、
「ハアハア」
と舌を出して苦しそうな姿が痛々しいのを思い出していた。
イヌは基本的に寒さには強くできているのだろう。
そんなことを感じながら一緒に散歩していると、いつの間にか、どっちが飼い主でどっちが飼われているのか分からなくなる。イヌと一緒にいるだけで楽しいと思うほどかわいいのだが、朝の散歩の時だけは、どうもおかしな気分にさせられる。
今まではよく道で出会っていた他の犬の散歩も、最近は少なくなってきた。
それもこれも、今年の春くらいにあった、
「外出禁止令」
なるものの影響ではないだろうか。
あれから世の中の生活は一変してしまった。
「用心するに越したことはない」
と言われるが、その用心も、あの外出禁止令があってからというもの、人それぞれで感じ方が違っているのか、個人差が見えてきた。
「あの時は、皆一致団結していたよな」
と、一部の不心得者に対しての誹謗中傷はあったが、いろいろな問題を抱えながら、最初の危機は乗り越えた。
しかし、一度危機が去ってしまうと、世の中は、
「たるみ」
というものが出てきてしまう。
一度解除されると、引き締めたものがすべて解決したかのように皆が受け取り、その時にあった問題が、すべてが過去になってしまったのだ。
これが一番恐れていることであった。
「オオカミがきた」
と言ってウソをつき続けると、最後には本当にオオカミが来ても、誰も相手にせず、全滅してしまうということだってあるのだ。いや、その可能性は非常に高いということもこの世の七不思議のひとつなのかも知れない。
そんな「オオカミ少年」の話をいまさら思い出してもなのだろうが、教訓としては、一番分かりやすい部類のものだ。何しろ、ほとんどの人が大なり小なり経験があるのが、この「オオカミ少年」の話に出てくる少年であろう。
人間誰しも、オオカミ少年でもあり、群衆でもある。その時とで自分がどちらに入るかで運命は決まってくる。ひどい言い方をすれば、オオカミ少年にも、群衆にも、どちらにもなれるのが人間である。その時のタイミングでどちらかに分類されるとすれば、自分はどっちなんだろう。いや、どっちに行きたいと考えるだろうか。
しょせん、オオカミに狙われてしまったら、どちらになったとしても、命が奪われることは決まったようなものだ。
「どうせ死ぬなら、どっちで死にたいか?」
などという発想は、実にナンセンスだが、その時がくれば、きっと考えてしまうに違いない。
世の中というもの、人間死に際が肝心だという人もいたが、本当であれば、
「死んで花実が咲くものか」
なのではないだろうか。
外出禁止令が出た痕、少し禁止令の効果が表れてきた時、政府の方から、それまでの病院や買い物などの絶対に必要な外出以外の、不要不急の用事以外は家から出てはいけないというものから、
「人と接触しないようにしての、軽い散歩や運動くらいは大丈夫だろう」
という話が出たことで、早朝の散歩などが増えてきた。
ペットの散歩などにもちょうどよく、人間がじっと家にいるのと同じで、ペットの散歩にもちょうどよかった。意外とペットも人間と同じでストレスを抱えるもののようで、家の中で、溜まったストレスを発散させるにはちょうどよかった。
余談であるが、実はこの事態が発令されるちょっと前くらいに、そのような事態を予期して、一人で家に籠っていればストレスがたまることを危惧し、ペット購入者が増えたという。
特に室内でのペット、ネコであったりイヌであったりである。
だが、外出禁止令も一月ほどで解消し、また表に出られるようになると、今度はペットを持てあます飼い主が増えてきた。それまでは自分のストレス解消という目的のためだけにペットを飼っていただけであり、それはそれで悪いことではないのだが、外出できるようになると、今度はペットを飼うのが億劫になってきた。