断捨離の果て
「なるほど、そういう分類ですね。じゃあ、私は、組み合わせで考えてみましょうかね? まずは、アリバイトリックと、密室は併用できる気がするな。また顔のない死体のトリックと、一人二役の併合の小説は読んだことがあります。つまりは、犯人と被害者が入れ替わっているわけではなく。同一人物だったというトリックですね」
「ああ、それなら私も読んだことがある。ところで、一つ興味のあるトリックがこの七にあるんだが」
「それは何ですか?」
「密室トリックなんだけどね。密室トリックというのは、謎を深めるという意味では、捜査のかく乱に使えるかも知れないけど、純粋な犯罪としては向かないものだよね。誰かを殺す必要があり、誰かに罪を擦り付けるとすれば、まず考えられるのは、被害者を殺す動機を持っている人、そしてその人のアリバイがないようにしておいて、次第にその人が犯人であるかのように見せかける。これがある意味完全犯罪に一番近いんじゃないかな? 下手に密室などを作ると、せっかく犯人を仕立て上げたのに、意味がなくなってしまうような気がする」
「なるほど、そういう意味では、密室殺人というのは、本当の犯罪では難しいでしょうね。しょせんは、機械トリックでしか、密室は作れないんだから」
「そうでもないよ。密室というのは、いろいろできる。例えば、まわりから監視されている状況であれば、その人が表に出ることも、誰かが侵入することもできないという心理的な密室であったり、道は一本しかない田舎道で、その道が台風か何かで切断され、他の土地に行けなくなったなどの自然災害による密室なんてのもあるから、ただ、そういう場足は、最初からトリックを考えるという計画殺人は難しいだろうな。そう考えていくと、探偵小説談義は、夜を徹してでもいくらでもできるというものだよね」
と、清水刑事は熱弁している。
「どうやら、ここの住人である、鳥飼さんも、そういう話が好きだったようですよ」
と言って、一冊のノートを辰巳刑事が広げたが、そこにはいろいろなトリックのことを細かくイラストのように描いてあり、鳥飼という男が、犯罪や探偵小説に対して。心理的に興味を持っていたことは間違いないようだ。
「ここに彼が考えたトリックや、小説のプロットになりそうなことがいくつか書いてあって、その中に好きなトリックについても書かれていますよ」
と辰巳刑事が続けた。
鳥飼の好きなトリックというか、犯罪方法は、
「交換殺人」
と書かれていた。
交換殺人というのは、自分が誰かを殺したいと思うが、まともに殺すと、自分に一番その人を殺す動機が強いため、当然のごとく第一の重要容疑者ということになる。
「一番の容疑者が、そのまま犯罪を犯せば、判で押したように、あっという間の逮捕劇になるに決まっている。アリバイや、他に犯人がいるかのようなカモフラージュでもなければ、警察の捜査はそれほど甘くない。だからこそ治安が守れるというものであり、それくらいできなくて、税金で作られている警察組織は却って、税金泥棒になってしまう」
と言えるのではないだろうか。
鳥飼のノートの最初には、自分が昔、ミステリー作家を目指していたようなことが書かれていた。その中の一環として、トリックについて書いていると、そこには記されている。
書いていたのは、今から三年前くらいである。ノートの表紙に年代が書かれていた。
その最初に取り組みたいトリックとして書かれているのが交換殺人であった。
それを辰巳刑事は、自分で読んでみた。一人で、
「うんうん」
と頷きながら読んでいるのだが、納得しながら読んでいる証拠で、本人とすれば、自分がそののーーとに集中していて、清水刑事が自分をずっと見ているということを忘れてしまうほどであった。
「そんなに面白いかい?」
と、辰巳刑事が少し我に返ったかと思えた瞬間、清水刑事は声をかけた。
「ええ、なかなか興味がありますね」
「何が書かれているんだい?」
と清水刑事に訊かれて、
「実際に書いた本人ではないので、本当のところは分かりませんが、どうやら鳥飼という男は、真剣にミステリー作家を夢見ていたようですね」
と辰巳刑事は答えた。
「それは最近のことなのかい?」
「いいえ、最近のことではないようです。このノートを見る限り、三年前と記されています。ただ、もっとも、今がどうなのかは分かりませんがね」
と辰巳刑事がいうと、
「それで最初に書かれている内容が交換殺人にいうものなのかい?」
「ええ、交換殺人に少なくとも他のトリックとは違った思い入れがあったのは事実のようですね」
と辰巳刑事は言った。
「なるほど、私も交換殺人という言葉は知っているし、ミステリーのドラマのようなものでは見たことがあるが、実際に小説で読んだり、本当の事件として扱ったことはなかったな」
と清水刑事がいうと、
「ええ、まさにその通りです。私もまったく同じで、小説で読んだこともなければ、実際に犯罪でも携わったことはありません。でもですね。犯人が何か事件の中で偽装工作であったり、捜査員に対して何かの欺瞞を演じようという意図を感じた時、頭をよぎるのは交換殺人なんです。ただ。よほどのことがなければ、そこまでハッキリと交換殺人は意識しませんけどね」
と辰巳刑事は言った。
「というのは、どういうことだい?」
清水刑事はニッコリ笑って聴いた。
清水刑事も彼なりに意見を持っているが、それを抑えて、まず相手に発現させる。だから、いつもこういう会話になるのだった。
「交換殺人というのは、他のトリックや殺害方法とは異質なものがあると私は思っています。その一番は、たくさんの偶然やタイミングが合わなければ成立しないということですね」
「たとえば?」
「ええ、まず例えば、交換殺人というのは、まず、自分が殺してほしいと思う相手を殺してくれる実行犯になる人が必要であるということ。その相手には、自分と同じで、誰かを殺したいという動機と覚悟があり、その動機も、頃さなれば、自分の立場や命が危ないであったり、今殺さないと、目の前にぶら下がっている巨万の利益を逃すことになってしまうなどの、確固たる殺人の理由を持った人が必要だということですね。しかも、その人と自分とは、表向きな接点があってはいけない。それも大切なことだと言えるでしょう」
「なるほど、交換殺人というのは、表に見えていることが少なければ少ないほどいいわけだからな」
と清水刑事が言った。
「そしてもう一つは、お互いが相手の一番殺したい相手を殺すのだから、一種の連続殺人なんだが、それを見破られてはいけない。まったく別の殺人と見えていなければいけないということ」
「それは当たり前のことだね」