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断捨離の果て

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 清水刑事は、一度大学を卒業してから住まいを変えた時、大学でのテキストをまとめて古本本屋に売ったが、思っていたよりも金にならなくて、
「これじゃあ、二束三文がいいところではないか」
 と、見積もってもらった以上、売るしかないと思っていたので、その時はそのまま売り飛ばしたが、それ以降は、
「本はコレクションしているのと同じだ」
 と、それからは、廃棄も売却も考えられない。
 それでは断捨離ができないかも知れないと思えば、刑事仲間や昔からの友達にほしいと思っているやつがいれば、譲ってもいいと思っていた。
 せっかく縁があって購入したのだから、清水刑事としては。大事な息子の感覚である。最後まで見届けるのは必要なことだと思っていたのだ。
 断捨離というほどの大したことではないが、清水刑事も定期的に不要なものは捨てたりして減らしていた。
「どうして、こんなものを後生大事にしまっていたのだろう?」
 と感じるものも少なくはない。
 普段から、整理整頓をしているつもりでも、どこか抜けているような気がするのは、そんなものが捨てられない性格を無意識のうちに形成してしまっているからなのではないだろうか。
 モノを捨てられない性格なのは、どちらかというと辰巳刑事の方だった。
「考え事をしている時に目の前にあるものをふいに捨ててしまうことがある」
 と、集中力の高さゆえ、それ以外のことは無意識にしてしまうところがある辰巳刑事にとって。、断捨離という言葉は、何となく点滴のように思えた。
 子供の頃から、整理整頓を口酸っぱく言われ続けたおかげで、何も考えられなくなり、汚い状態であっても、それはそれで、許容範囲の広い感覚だった。だから、少々部屋が汚くても気にならない。むしろ、片付いていると落ち着かない自分がいたりした。それはあくまでも自分だけのことであり、他人が介在するようなことではなかったのだ。
 整理整頓という言葉は実際に好きではなかった。小学生の頃も、先生から言われ続け、先生が親に告げ口することで、学校での素行までバレてしあったということから、学校の先生も親も嫌いになった過去がある辰巳刑事は、そのことが頭の中から離れないことが、彼の中にある勧善懲悪の感情を呼び起こしたのではないかと自分で思っている。
 普通ならそんな感覚になるはずなどないにも関わらず、そう感じるのは、そもそも刑事になろうと思ったのが、勧善懲悪の性格からだという、一番分かりやすいところからだった。
 辰巳刑事は誰から見ても分かりやすい性格だった。それは、実は知られたくない性格を隠したいという一種の知恵から生まれた性格であり、今でこそ、その隠したいことの本質が何だったのかは忘れてしまったが。
「整理整頓ができないこと」
 という意識と結びついているというのは、分かる気がした。
 辰巳刑事は、この断捨離にも似た部屋を見た時、一見何も考えていないように見える部屋の雰囲気に、何か芸術的なものを感じた。
 それは、自分の感性に似たものであり、話を訊いただけの鳥飼から自分の感性と似たものを持っているとまでは感じれるはずはないと思っているだけに、違った意味での感性という発想から、
「芸術的」
 という言葉が頭の中で浮かんできたのだった。
 清水刑事は辰巳刑事の感性は分かるつもりだったが、この部屋から、その感性を見抜くことはできなかった。
――どこか、芸術的なものがある――
 という発想は、むしろ辰巳刑事よりも早く感じ、、さらに育って行っている感覚のように思えたが、辰巳刑事とは明らかに違っているように感じたのは、何が原因だったのだろうか。
 ただ、最初に入った時、
「なかなか整った部屋だ」
 と、言葉について出てきたのに、芸術的という言葉が出てこなかったのは。
「辰巳刑事も同じことを感じているからだ」
 と、感じたからに違いなかった。
 ただ、この部屋を見た時、
「何か一つの事実を隠滅したいと思い、整理ができない性格なので、纏めて処分をすることにした」
 ということもあるかも知れないということを、その時、清水刑事も辰巳刑事も忘れていたのだった。

               二重人格の苦悩

 結局、鳥飼の部屋からは、彼が殺されることへの何かのヒントであったり、裏付けのようなものは発見されなかった。彼が誰かに恨みを買っていたという話は今のところでていないので、恨みを抱いている人がいるとすれば、それを探すのは結構骨が折れるような気がした。
 会社で彼は人気がないというよりも、まわりから意識すらされていないと言った方がいいかも知れない。
 何しろ自分が興味を持ったもの以外は本当にあっさりしていたということなので、会社のように、脅威を持つところではなく、やむ負えず仕事をするところで、彼が興味を示すことはなかった。そのため、仕事は一生懸命にしているのかも知れないが、それ以上に興味がないので、ほとんどが上の空だ。
 そのとばっちりがまわりに行くのも分からなくはない。とばっちろを受けた方はたまったものではない。せっかく自分のところではうまくいっていたのに、鳥飼が一人で潰してしまうと、下手をすれば、連帯責任にも見えかねない。
 そんな状況で、まわりが鳥飼を助けてくれるはずもなく、見えているだけで苛立ってきてしまう。そうなるとまわりは彼の存在を認めたくないという思いから、自分の中でやつの存在が残っていることは許せなかった。そのため、やつを無視するというやり方よりも、もっというと、完全に意識しないようにするにはどうすればいいかを考えるおうになり、その結論が。
「石ころのように感じる」
 ということであった。
 道に落ちている石は、皆の視界の中にいるにはいるが、まったく意識されることはない。まさに、その他大勢と言ってもいいだろう。
 ただ、鳥飼からは意識するべく見えているのに、まわりは完全に無視していることで、視界に入るだけで苛立ってしまう思いは、もうたくさんだった。
「無視も通り過ぎれば、存在自体を否定することだってできなくもない」
 というのが、石ころという発想であった。
「見えているのに、意識していない感覚」
 普通相手が人間であれば、そんな感覚を持つのは難しいはずだ。
 しかし、鳥飼に対してだけはできるのだ。しかも、それは一人だけではなく、皆が感じていることだった。そう思うと、
「あいつの方でも、自分を石ころのように保護色で包んでいるんじゃないだろうか?」
 と思うようになり、こちらがイライラせずに済むのはいいのだが、やつの意識を実践しているかと思うと、イライラしてくる。
 見えていようが見えまいが、結局苛立ちは変わらない。そうなると鳥飼という男はいるだけで害であり、排除するのがいいのか、無視するのがいいのか、皆それぞれに戸惑っているようだった。
 排除するのは無理としても、無視することはできると思っていると、たつの術中にはまってしまったのではないかと思い、実に癪に障るというものだ。
 それを示すような日記が鳥飼の部屋から見つかったが、最初は誰もそんな日記を真剣に見ようとは思わなかった。
作品名:断捨離の果て 作家名:森本晃次