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短編集113(過去作品)

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「せっかく社会人になって営業として頑張れるようになったのだから、自分がこの会社の営業をしていたという証拠を残したい」
 と思うようになっていた。普通に先輩の敷いてくれたレールをただの兵隊として時間に流されながら任されているだけの立場が嫌だったのである。
 少しいろいろやってみた。相手のバイヤーと親しくなって、
「自分は今までの人とは違うんだ」
 ということをアピールするくらいの気概になっていた。
 だが、一歩間違えれば、押し付けにもなりかねない。相手をしっかり見定めないと、
「鬱陶しいやつだな」
 と思われないとも限らない。度が過ぎると、相手のバイヤーから会社の方に、
「営業担当を替えてくれないか」
 といわれかねない。それだけならまだいいが、
「おたくとの取引、考えさせてもらおう」
 などと、強迫まがいのことを言われては元も子もない。それだけはさせてはいけないことだった。
 だからこそ、相手と親密になることは冒険なのだ。親密になるためには、結構相手の要求も呑まなければならないだろう。その見返りを求めようというのだから、虫がいいといってしまえばそれまでだ。だが、それが営業という仕事であることも、経験を重ねるごとに分かってきた。
 営業の仕事をしていると、感覚が麻痺してくることもある。それまで感受性が豊か過ぎることはないと思っていたが、あまり喜怒哀楽を表に出さなくなっていた。
 毎日の仕事もマンネリ化しかかっている時期もあった。
「同じことの繰り返しばかりだ」
 と一度感じてしまうと、なかなかその感覚を打破することができない。
 昨日のことだったのか一昨日のことだったのか、さらには今日のことだったのかということまで分からなくなることもある。
 そんな時になって思い出すのは、研修センターでの日々であった。
 研修センターでは毎日が同じことの繰り返しであったが、先を見ての繰り返しだったので、後から考えれば、それほど苦痛でもなかった。
 ただ、一日が果てしなく続いてしまうのではないかと思えるほどの時期があったのも事実で、あとで思い返すとあっという間だったということで、苦痛に感じないのかも知れない。
 そんな時期だった。少し体調を崩した。
 その年の夏は異常気象で、ずっと暑かった。九月も終わりかけ、そろそろ十月だというのに、気温が三十度を下回ることもなかった。
 夏ばてと一口で言ってしまっていいものだろうか。食欲が極端に落ち、表にいる時よりも、クーラーの効いた部屋に長時間いる方が、却って疲れてしまう。
 それもだるさから来るものではなく、表にいる時の暑さを身体が覚えているからなのだ。暑さをクーラーの中にいても思い出すということは、想像によるものなので、実際にいる時のような風を感じることはない。ただジリジリと照りつける太陽を、まともに浴びてしまっている感覚だけが残っている。冷えた身体と、表をイメージした大脳との葛藤がずっと繰り返される。気がつけば食欲もなくなっていた。
 部屋に帰ると、閉めきった部屋が待っている。昼間たっぷりと熱を帯びた部屋である。クーラーをつけても、すぐに冷えるわけではない。クーラーが効いてくるまで待っている時間というのは、どれほどの苦痛なのか、学生時代には分かっていたはずなのに、最近ではそれも感じなくなっていた。
 学生時代には楽しいことも苦しいことも、もっと感じることができたはずだ。感受性の問題なのだろうが、どうして社会人になってから、これほど感受性がなくなってしまったのだろう?
 腹を割って話せる相手がいなくなったのが一番の原因だと思っている。学生時代にいた友達は、利害関係が相反する人はいなかった。そういう人とは付き合わなければよかっただけなのだが、社会人になればそうはいかない。
「あいつは嫌いだ」
 営業相手にそう感じたとしても、無下にできない。それでは職場放棄になってしまうからだ。それだけは絶対に許せない。何よりも自分自身が許せないのだ。
――嫌いな人とでもうまくやっていく――
 ある意味、その考えが、自分を追い込んでしまっているのかも知れない。
 一人でいることが多くなり、一人が孤独だということを意識し始めた時期でもあった。
 不思議なことに、一人でいることを孤独だと感じない時もあるのに、孤独だと思うと、
――俺はいつも一人なのだ――
 と考えてしまう。
 電車に乗って旅行に行くことが好きだった学生時代。だが、今は電車に乗るというと、通勤に使っている時しかない。電車に乗るのも億劫になってしまい、電車の中が孤独の始まりに思える。
 電車の中で見かける人は誰もがいい加減に見えてくる。
 学生を筆頭に、入り口付近に座り込んで話をしている連中、携帯電話を弄っているだけでは飽き足らず、通話をしている連中。これは学生に限らない。仕事での電話なのかも知れないが、それを堂々とされてしまっては、列車内でのルールも何もあったものではない。
 そんな連中を見ていると、腹が立ってくる。しかも車掌はそんな連中に注意を促すことをしない。
「お前たちが決めたルールだろう」
 何度車掌に言い寄ってやろうかと考えたか分からないほどだ。列車に乗っているだけでまさかこれほどイライラするとは思わなかった。
「放っておけばいいじゃないか。お前には関係のないことなんだから」
 と言われるかも知れないが、放っておけない性格なので仕方がない。悪を許せない性格というわけでもない。ちゃんと守っている連中がいるのに、ルールを守れない人間が一人でもいると、次第に増えてくるのが嫌なのだ。同じように思っている人もいるとは思うが、自分では誰とも同じ考えではないと思っている。
 ついつい電車の中を見るのが嫌で、ずっと表の景色ばかりを見るようになる。元々旅行好きで電車を使っている時もずっと表を見ていた。だが、今表を見ている心境は違っている。毎日同じ光景であり、変わり映えのしないものだ。だが、一日一日何かが変わっているはずだ。それを見つける楽しみも最近は持ち合わせていた。
 そんなある日、仕事の帰り、電車を降りてから家へと向っている途中のことだった。すでに夕日は西の空に沈んでいて、夜の帳が降りていた。歩いていても足元から伸びる影は街灯によるもので、歩くたびに自分の足を中心に放射状にいくつも写っているのが、少し気持ち悪かった。
 人通りは、駅を降りてから最初の角を曲がるまでは多いが、角を曲がってしまってからはそれほどいない。駅から大通りをまともに歩いていけば家に辿り着くまでに十五分は掛かる。
 だが、途中の細い道を歩いていけば五分は時間を短縮できる。これは大きかった。
 時間短縮だけが目的ではなかった。たくさんの人と同じように歩くのが好きではなかったからである。電車を降りる時も一番出口に近いところに最初から乗車していて、電車がホームになだれ込み、扉が開いた瞬間に、一気に自動改札を駆け抜ける。そうすれば、他の人たちと一緒になることはないはずだった。
作品名:短編集113(過去作品) 作家名:森本晃次