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短編集113(過去作品)

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 まわりからそんな目で見られていて、話題に昇っても、決して否定したりはせず、まんざらでもない表情を浮かべ、まわりを欺いてきた。
 だが、二人に欺いているという意識はない。もっともまわりが似合いのカップルであることで、勝手に将来のことまで決め付けようとしているだけだからだ。
 もちろん、似合いのカップルであることに違いはない。自他共に認めていることだ。だが、似合いのカップルだからこそ、まわりには分からないことが埋もれている。
 かといって、自分たちですべてが分かるというわけではない。
「将来のことが見えなければ、結婚というのは早いんじゃないかな」
 という冷静さがあるだけだった。
 確かに結婚を意識した時期はあった。結婚を意識するのはどんな時だろう。その時々で心理状態も違うだろうが、木下が意識したのは、就職活動に入る前だった。
 これから自分の人生を選択するという大事な時期。大事な時期だからこそ、意識したのだった。
「就職が決まれば、結婚というのも視野に入れてもいい」
 就職活動という見えない圧力に立ち向かう気持ちの強さの反動だったのかも知れない。就職が決まってホッとすれば、心境はまた変っていた。結婚を意識しなくなったのだ。
 木下は、文江がどう感じているかを考えるよりも、まず自分の考えを優先した。
 文江には、どこか考えの及ばないところもあって、時々突飛な行動に出る時もあった。それを見ていて怖くなることもあってか、彼女と少しずつ距離を置くようになっていた。
 就職が決まると、その立場は決定的なものになった。文江はなかなか就職が決まらない。焦っているのも、見ていれば日に日に分かってくるようだった。
 話しかけるのも控えなければならなくなった。次第に距離を置きたくなかったとしても、態度にぎこちなさを感じれば、自然と離れていくのも必至だったに違いない。
 身体に自信がなかったのも原因ではないだろうか。
 貧血に悩まされるのは学生時代からで、特に夏の間の就職活動は、体調との戦いでもあった。何とか乗り越えることができたが、もしまた同じような立場に陥れば、今度は耐えることができるかどうか、怪しいものだ。
 春になると、すっかりお互いの立場は変ってしまった。すでに就職してから連絡を取ることさえなくなってしまったが、結局、春までに文江の方は就職が決まらなかった。
 木下も就職してから、すぐに研修期間に入り、住んでいる街から離れたところで、少なくとも半年は生活しなければならなかった。
 最初の一ヶ月は研修センターでの研修となり、それから秋までは、工場や、出先の営業所での実地研修が待っている。その間はある意味缶詰状態と言ってもいいだろう。
 一つのことに集中し始めると、まわりのことが目に入らなくなるのは、木下の悪いくせである。
 だが、木下はそれを悪いくせだとは思っていない。
「まわりを気にするあまり集中できずに、何事も中途半端に終わってしまうことを思えば、まわりが見えなくとも一つに集中し、確実に物事をこなしていく方が、幾分かいいに決まっている」
 と信じて疑わなかった。
 それが木下の性格でもあった。
 まわりから、あまりいい性格ではないと思われていることでも、自分にとって都合のいい性格に置き換えてしまうところがあったのだ。
「考えが逆行していて、逃げの姿勢が見える」
 と言われそうだが、本人は、
「姿勢が却って前向きなのでは? すべてを否定したがる性格よりもよほどいいと俺は思うんだが」
 と嘯いていた。
 だが、ここが木下の悪いところでもあり、まわりを気にしていないと言いながら、結局比較対象をまわりに求めてしまい、意見に一貫性を持たないところがある。そこを見てまわりが、
「あまりいい性格ではない」
 と言っているのかも知れない。
 だが、それでも、
「長所と短所は紙一重」
 という言葉通りに、一つのことを一箇所から見つめようとするから全体が見えないと思っている。だが、それは一つの矛盾を秘めていた。
 まわりが見えなくなるくせに、冷静に自分のことを見つめることはできるのだ。自分だから贔屓目に見てしまうこともあるだろうが、冷静に見る目を持っていることだけはまわりも認めているので、ここは長所と短所をそれぞれ持っているということで落着させてもいい考えではないだろうか。考えていると、袋小路に入り込んでしまいそうだ。
 研修期間の最初は、なかなか時間が過ぎてくれなくて、少しイライラしていた。
 研修センターでの一ヶ月間は、完全に缶詰だった。仕事を知らないのに、まるで大学の講義のように朝から晩まで授業を受けた。
 学校の延長のようだったが、内容はまったく違う。まるで政治・経済という学問を、ずっと一日中受けているのと同じだからだ。
 それでも途中からは、話が繋がってくる。同じ講義を続けていると、必ずどこかで以前に話したことが繰り返されるものだ。どこを切り抜いたとしても、それを当て嵌める場所はいくつもある。学問とはかくいう面白く摩訶不思議なものだと苦笑しながら講義を聞いていた。
 話が繋がると、そこから少しずつ分かってくる。もっとも講義に集中していなければ、以前に出てきた話であるということも気付かずに、そのまま漠然と聞いているだけである。
 漠然と話を聞いているほど退屈で、苦痛を感じることはない。
 話を聞くということだけではなく、退屈な立場に陥れば、それは苦痛を伴うことになる。どうしてなのか、学生時代には分からなかったが、実際に毎日講義を受けている環境から学生時代を思い出すと、退屈だった日々が、今から思えば苦痛を伴っていたことに気付き始めた。
 毎日が何か変化を求めていたので、退屈でも苦痛ではなかったが、それを忘れてしまうと、きっと苦痛が襲い掛かっていたに違いない。
 研修で缶詰になった最初は辛かったが、少し乗り切れるのを感じてくると、先が楽しみになってくる。
 それは学生時代のような漠然としたものではない。何しろ社会人としてのレールの上に乗っているからだ。研修期間中は、レールに従って進めばいいだけで、ある意味、一番まわりを気にしなくてもいい期間でもある。
 しかし、学生時代は違っていた。
 レールがあるわけではなく、まわりが見えているつもりでいたからである。いくらでも道を模索することができると思う気持ちと、学生というぬるま湯でも生活を味わっていると、先が見えていないようでも見えてくるように思えるものだった。それが大学時代の特権でもあったのだ。
 学生時代には、目に見えないものへの想像力が芽生えていた。しかも楽しいことへの想像で、想像するだけの時間も気持ちの余裕もふんだんにあった。それがありがたかったのだ。
 だが、ふと我に返り、退屈な自分を思い浮かべてみると、苦痛が頭をよぎる。何が苦痛なのかを想像してみると、そこにはいつも何かを考えている自分がいることに気がついていた。
 余計なことばかりを考えているのだ。考えなくてもいいことばかり考えていると、なかなか前には進めない。
 前に進めないと、見えない壁が見えてくる。
「知らぬが仏」
作品名:短編集113(過去作品) 作家名:森本晃次