短編集113(過去作品)
「私、実は高校卒業の時に彼氏ができたの。それで、少し自分の人生が変わると思ったのね」
「彼氏ができたの?」
意外な告白に思わず言葉を挟んだ。
「ええ、その彼とはもう別れたんだけど、その時は、私は一人ではないんだって思ったものなのよ」
分からなくもない。自分もそれまで彼女がいなかっただけに、
――誰か一人でもそばにいてくれる女性がいればな――
と感じたものだ。
一人がいいのに、
――一人でも――
と感じるのは、おかしな心理状態だった。
「彼氏にいろいろ相談していたんだけど、最初は親身になって聞いてくれていると思っていたのね。相槌も打ってくれたしね。でも、途中から返事も曖昧になっちゃって、この人は真面目に私の話を聞いてくれていないと感じると、勝手に私の方で気持ちが冷めてきたの」
聞いていると、ある意味勝手な話である。話を聞かされる身になっての話ではないからである。
――もし、自分が相手の男だったら――
と考える。自分に包容力があると感じている男性であれば、ある程度話を聞いていても自分を抑えることもできるだろうが、相手主導の話にいつまで自分を抑えられるかと言われれば、よほど相手を理解してあげていないと難しいだろう。それなのに、相手が勝手に冷めてしまうなんていうことは、精神的な裏切りに値するかも知れない。
「男女がぎこちなくなると、後は早いものだ」
そんなことを話していた友達もいた。
尚子は続ける。
「私って何でも正直に話すタイプなの。相手が何を感じるかということよりも、先に相手に何もかも話さなければならないって考えてしまう。そんな自分を好きな私もいるし、嫌な私もいるのよ。不思議でしょう?」
その気持ちは分からなくもない。
「ねえ、あなたのことをもっと知りたいわ」
と言った最初の彼女の言葉、そこに最後は返ってくるのだった。
平山も自分の話をした。だが、尚子がする話に比べれば大したことがないと思うのは、今までに自分の話をしながら人の話を聞いたことがないからだ。正直に話すことが先決だと考える二人だからこその会話での気持ちである。
「相手の男性のことが好きだったら何でもできると思った。彼がいないと何もできないように思えたからかも知れないわ。そして実際に彼がいないと何もできないと感じた。依存症が大きかったのかもね」
彼女は虚空を見つめた。
「私、高校を卒業して都会の会社に就職したの。彼は卒業すると、私の会社の近くにある大学に進学したのね。就職したのはいいんだけど、思ったよりも田舎出身者は肩身が狭く、同じように田舎から就職した人たちも、都会の人の中に入っていけなかった。でもね、同じように田舎出身者の女の子たちは自分たちの間でグループを作ったの。だからそれなりにうまくいっていたみたい。でも、私はつるむのが嫌いなので、そのグループに入らないでいると、都会の人たちからだけでなく、同じ田舎出身者の人たちからも無視されたり、嫌がらせを受けたりしたの」
「それじゃあ、八方ふさがりじゃないか」
「ええ、そうなの。でも私はどうしても集団に入ることができなかったのよ。最初は分からなかったけど、田舎出身者の彼女たちが都会で生きていくには、私をターゲットにするしかなかったのかも知れないわね。私をターゲットにすることで、都会の人たちへのアピールにもなるし、自分たちも田舎の人間じゃないって気持ちになることができると思っていたに違いないわ」
「それって、ものすごく悲しいことだね」
「私もそう思うの。そんな時、私はふっと我に返ったの。客観的に自分を見ることができるようになったというか。自分にのしかかったものが取れたような軽い気持ちになれたのね」
「それで?」
「その時を期に、会社を辞めたわ。辞めて田舎に帰ってきたの」
「じゃあ、その時に彼とも別れたの?」
「いいえ、彼とはまだその時は続いていたわ。会社での悩み事も彼に時々相談していたの。彼はちゃんと聞いてくれていたみたいだったけど、真剣に聞いてくれていたかどうかは、分からない」
今、思い出して、
「分からない」
と思っているのなら、きっとまともに聞いてくれていなかったのではないだろうか。それを認めたくない彼女がいるのだ。
「話を聞いてくれていると思ってはいたけど、せっかく一緒にいる時に気分を害するわけにはいかないので、それほど深くは話をしていないつもり。ただ、話を聞いてくれている時の彼はいつも無表情だったわ」
男が無表情で、彼女の辛い話を聞いているというのは、両極端のどちらかではないだろうか。
本来なら怒りがこみ上げてくるのを、堪えながら冷静に聞いているためにそんな表情になっているという肯定的なパターン。なるべくなら聞きたくない話なので、なるべく早くやめてほしいという無言の訴えをしているという否定的なパターン。どちらにしても、男としては聞くに堪えないものを聞かされているのは間違いのないことである。そういう意味ではその時、布団の中で辛い立場だった尚子の話を聞いているのも、あまり気持ちのいいものではない。
尚子のその時の心境を思い計ることは不可能だ。なぜならそこまで二人は仲がよくはない。知り合ってからメール交換などをしていたが、普通に会話するだけで、彼女がどのような心境でいたかなど知る由もなく、すべてが初めての中で、相手のことを聞くにしては衝撃的な内容になっていたことだろう。
尚子の口は留まるところを知らない。元々会いたかったと感じた時に、ここまで話すつもりだったのかどうか分からない。その日一日一緒にいて平山のことを信用しているのか、それとも、男というものをもう一度確認したいという気持ちが働いているのか。平山にとって大きなことになるのだろうが、その時は尚子の話をきくことで精一杯な気持ちになっていた。
「彼は私のことを好きだと思っていたのだけど、今から思うと彼の心境の変化なんてまったく考えていなかったわ。心変わりがあるなんて、彼に限ってありえないなんて勝手に思っていただけなのかも知れない」
「でも、人を好きになると、それも仕方がないさ。相手を信じる気持ちがなければ、恋愛なんて成立しないんじゃないかな?」
「相手を信じるというのも、自然だからいいんですよね。信じなければいけないなんて思ったりすると、精神的にも苦痛になってくる。私の場合は、相手をそんな気持ちにさせたくないし、自分もなりたくない。きっと相手がそんな気持ちになっていると思うと絶対に顔に出るわ。そして、お付き合いしていてもぎこちなくなってくるものなのでしょうね」
「彼の心変わりが分かったの?」
「彼が私に求めていたものが次第になくなってくるのは感じていたの。きっと彼も田舎から出てきたくてたまらなかったと思うのね。都会に憧れて出てくる人の典型的な例だったのかも知れないわ」
「就職していれば、どうだったんだろうね」
「そうね。私は会社を辞めて田舎に帰ってきて、田舎の企業に勤めたわ。何とか職があったからよかったんだけど、先輩たちの中には都会で就職した経験のある人も多いみたいで、私のような人を受け入れる伝統のようなものがある企業だったようなのね」
「よかったじゃないか」
作品名:短編集113(過去作品) 作家名:森本晃次