短編集113(過去作品)
だが、時期がよかったのかも知れない。彼女は思ったよりも喜んでくれた。
「懐かしくて溜まりません」
というメールの返事。もちろんその時、平山以外の世界、あとの二人の間でメールが盛り上がっていたという話は知らなかった。すべて、彼女と再会した時に彼女の口から聞いた話だった。
友達にしてみれば、そろそろメールにも飽きた頃だったようで、それまでの頻繁なメールが来なくなった時期だった。彼女の方はやっと相手に全幅の信頼をおけるくらいに盛り上がった気持ちを棚上げされた状況だったに違いない。
彼女から電話が掛かってきたのは、それから一週間経ってのことだった。電話の声は思っていたよりも明るく、
「今度そちらに遊びに行くんですが、どこか観光案内してください」
という内容の話だった。さすがに電話だったので詳しいことが聞けるはずもなかったが、声が元気だったので、安心していた。
顔を見ると懐かしさの中に、想像よりも大人っぽくなっている彼女を見つけた。やはり田舎の高校生が卒業してからの数年は、想像以上のものである。
だが、懐かしさを思い出させてくれるだけ嬉しかった。彼女には素朴さと、最初に気に入ったあどけなさはしっかり残っていたからだ。元気な笑顔は初めに出会った時のものだった。
――苦労はしたんだろうが、大切なものを失ってはいないんだ――
駅で待ち合わせて喫茶店でコーヒーを飲みながら、世間話をしていると、以前からずっと知り合いで、時々会って話をしていたように思えるくらいだった。
考えてみれば最初に出会った時も、数分の出会いだった。あとは、想像だけの世界だったはずが、情が移ってしまったのか、最初からずっと意識していたからなのか、寛恕へ気持ちが陶酔していくのを感じていた。
笑顔は変わりない。会話の間、ずっと平山の顔を見ている。
「尚子ちゃん」
彼女の名前を初めて面と向っていうのが照れ臭かったが、言ってしまうと違和感はなかった。
「はい」
彼女も違和感なく受け止めてくれているようだ。
「行きたいところはあるの?」
「私、いろいろ調べてきたんですよ」
と言って、カバンの中からガイドブックを出す。
彼女の行ってみたいというところは、この駅周辺ではなかった。電車で数駅掛かるところがほとんどで、電車での移動となる、考えてみれば知り合ったのも電車の中、これも縁だと思えば面白い。
時期としては、観光にはもってこいだった。彼岸もすぎ、秋の気配が静かに歩み寄ってくる時期、昼間暑い時間帯もあるが、影に入れば涼しい。学生時代の夏休みに観光していたことを思えば涼しいものだった。
観光地では子供のようにはしゃいでいる。
――無理に元気を出しているんじゃないか――
と思えるほどで、それもまんざら勘違いでもない気がしていた。
昼間は彼女の笑顔は眩しくて、太陽が似合う女の子として、見ているだけで楽しくなってくる。だが、日が暮れてくるにしたがって、笑顔が少しずつ消えてくる。
「はしゃぎ疲れたんじゃないのかい?」
「大丈夫です」
とは言うが、明らかに疲れているのは目に見えて分かる。
「私、夕方って前は好きだったんだけど、今は寂しさだけしかないので、あまり好きじゃないわ」
「寂しさだけしかないなんて、悲しい言い方だね」
「そうでしょう。それだけじゃないと思うんだけど、他のイメージを思い浮かべようとすると、居たたまれない気分になるのよ」
言っている意味がよく分からなかった。
夕方はあっという間に夜になる。夕方という時間を意識すればするほど時間が経つのは早いものだ。
西日の眩しさは夕方ではない。風がなくなる時間帯がちょうど夕方の中間だと思っていたが、それも日によって違っている。そのことにやっと最近気付き始めた平山だった。
夕方の時間帯に秋という季節を思い浮かべるのは彼女との時間を過ごしてからだった。秋が短い期間だということは分かっていたが、秋に夕方を連想させるという容易に感じられるイメージを今まで感じなかった自分が不思議だった。
――最初から違うものだという意識が、心のどこかにあったのかも知れない――
そうでなければ、容易に感じることのできるものをまるで避けているように意識しなかったことへの理屈が合わない。
平山の意識の中に同じようなものもたくさんあるだろう。
意識をすることがあっても、すぐに否定してしまったり、容易に結び付けられることでもまったく違うもののように感じていることもあるだろう。
――それが俺の性格なのかも知れないな――
子供の頃からいろいろな意識をしたりする。
意識が過ぎると、急に何も考えられない時期を迎えて、誰にも相談できず、一人でこもってしまうこともあった。
「鬱状態なのかな」
人から聞かされる「鬱状態」というのとどこかが違っているように感じる。だから自分で鬱状態だと認めないのだろうが、まわりはきっと鬱状態だと思っていることだろう。
――知らぬは自分ばかりなり――
という言葉があるが、まさしくその通りである。
尚子が夕方を意識していることで、尚子の横顔に自分を見ていた。どこか不思議な雰囲気を醸し出している表情を、他の人も不思議に感じていただろう。
自分を見つめる他の人の心境にもなってみたりする。そんな意識で尚子を見ていると、まるで自分を見ているようで、いじらしさを感じていた。
それに気付いているのか、尚子はしばらく動こうとしない。平山の視線を感じていないはずはない。感じていてそれをどう思っているのだろうか。
「今日はどこに泊まる予定なの?」
その言葉を聞いた尚子の目元がピクッと動いた。それでも正面を見つめたまま、平山を見ることなく、
「予定はないの。どこか一緒に泊まりません?」
尚子の口から出てくる言葉とは思えなかった。
いくら気心が知れるようになったからといって、男と女が一つ部屋に泊まろうというのだから、それなりの覚悟があるのだろう。
「いいのかい?」
「いいのよ」
少し捨て鉢にも見えるが、平山は自分を紳士だと思っているので、自分さえしっかりしていれば間違いなど起こるはずはないと思っている。
「よし、じゃあ付き合うよ」
腰を上げた時、西の空に太陽はすっかり沈んでいて、夜の帳が下りていた。遠くに見えるネオンサインが、淫靡に感じられたのは平山だけだろうか。
ちょうど駅前に昔ながらの旅館があった。
「ここがいいわ」
なぜ、尚子が昔ながらの旅館を選んだのか分からなかったが、
「「私、布団で寝るのが一番落ち着くの」
これが最大の理由だろう。平山もベッドよりも布団が好きだったので、元から断る理由などなかったのである。
夕食を済ませて、コンビニでお菓子とお茶を買い込んで宿に入る。
「まるで遠足気分ね」
彼女は時折はしゃいでいる。はしゃいだ時の笑顔は、駅で最初に会った時そのものなのは、覚悟がある程度できているからなのか、それとも、あどけなさの中に淫靡な部分を隠しているからなのか、その時はまったく分からなかった。
しばらくテレビを見ながら静かにしている。
風呂は別室にあって、家族風呂のような狭い風呂しかないということなので、先に彼女が入り、後から平山が入った。
作品名:短編集113(過去作品) 作家名:森本晃次