短編集113(過去作品)
車窓
車窓
あてのない旅は、夜行列車で出かけたいと平山修司はずっと思っていた。学生の頃に見た映画で、駆け落ちのシーンがあったが、写っていた夜行列車が頭から離れなかった。
また、有名な漫画家が描いたSFアニメの中に出てくる電車も夜行列車だった。男と女の寂しい旅、まわりは星が煌く宇宙だったり、漆黒の闇に目が慣れてくれば、星がちらほらと輝いているような夜が似合っている。
機関車は蒸気機関車、警笛もそれなりにうるさいものだ。だが、機動力の力強い音は、旅を楽しむには最高かも知れない。
平山は子供の頃は鉄道マニアだった。SLにももちろん乗車したことがあり、山口県と島根県の日本海側を結ぶSL「やまぐち号」にも乗り込んだものだ。
鈍行の旅が懐かしい。
一枚二千円が五枚つづりで、一枚が一日限りとはいえ、鈍行であれば、その日の間は載り放題などという切符があった。もちろん今でもあるが、多少は値段が上がっていたりする。
「旅の醍醐味は、着の身着のまま、時刻表片手にいけるところまで行く旅なのかも知れない」
と考えていた。
確か切符のコンセプトは「青春」。だが、年齢は無制限だった。気持ちだけ青春であれば、小学生であっても、還暦を過ぎた人であっても問題ない。それが切符の持つ「青春」という意義だった。
大学時代に何度利用したことだろう。
着替えもそこそこに、カバンの中には文庫本と時刻表、気分を盛り上げるためにヘッドホンステレオも入れていた。
ヘッドホンステレオを聞きながら景色を見ると、いろいろな思い出が浮かんでくる。ロックを聴いていると、思い出というよりも、目先の楽しみに浸れることができる。
たとえば、女性と知り合って、一緒に観光しているというような実に目先だけの願望である。欲がないとも言えるだろうが、旅行自体に目的がないのだから、目先のことを考えるのが、差し当たって一番の楽しみではないだろうか。
じっとしている時に聴く音楽と、動いているものを見ながら聴く音楽とでは明らかにジャンルが違う。
静かに聴いているのが好きなのはジャズやクラシックである。
ジャズもクラシックも馴染みの喫茶店で聴くのが楽しみだった。喫茶店には誰かと行くのではなく、一人で行く。大学時代から馴染みにしている喫茶店に、社会人になってからも通ったものだ。
転勤になってから通わなくなったが、時々懐かしく思い出す。家でジャズやクラシックを聴いているが、どうしても店の雰囲気に近づけない。電機を消して集中して聴いている時が一番近い感覚なのだろう。仕事が終わってから部屋を暗くしてクラシックやジャズに勤しむことも多かった。
ステレオのイコライザーだけが伸縮する。真っ暗な部屋はまた夜行列車を思い起こさせるのだ。
――やっぱり旅っていいな――
と、音楽を聴くたびに思い出してしまう。
景色を思い出すわけではない。夜行列車に乗っているのを想像していた頃の自分を思い出すのだ。列車の中には客はいない。じっと見えるはずのない窓の外を見つめていると、写っているのは窓に反射した車内の景色だった。
それでも何も見えないよりもよかった。
反射しない車内を見ているよりもよほどいい。列車の揺れを感じながら、外の景色を見ることができないのは苦痛だった。それでも窓に映った車内は虚像を見せてくれているようで、幾分か落ち着きを取り戻すことができるだろう。
眩しいからといってブラインドを下ろすのは好きではない。揺れに伴って見えない景色に怖さを感じるのは、閉所恐怖症が招いていることかも知れない。ただ、閉所恐怖症だとはそれまでに感じたことはなかった。揺れるものに対してだけ、特殊な感覚があるに違いない。
学生時代にはあてのない旅をよくしたものだった。
「青春」がモチーフの切符を使って、最初だけ時刻表を見て乗る電車を前の日に決めておく。どこまでその電車で行くかは、電車の中で見た時刻表で決めるのだ。
同じように青春切符を使っての旅だろうと思う人を見かけることもある。話をしてみたいと思うのだが、自分から話しかけることは絶対になかった。相手から話しかけてくれるのをじっと待っているだけだった。
待っていると結構話しかけてくれるもので、相手も話しかけるきっかけを探していたというのも何度かあった。
「俺は話しかけにくいタイプなのかな?」
と聞くと、
「そんなことはないですよ。でもついつい相手の都合を考えてしまいますからね」
と言っていた。
平山が話しかけないのは相手の都合を考えているからではない。どちらかというと、自分のことしか考えていないからだ。
――話しかけても会話が続かなかったらどうしよう――
話しかけたのだから会話を継続しなければならない義務感を感じるのだ。
話しかけられれば、相手に対して優位な気持ちになるのも、話しかけてもらうのを待っている理由である。話しかけられて話題さえ振ってもらえれば、会話を続けていく自信はあった。
もし話題が自分に合わないものでも相手が戸惑っている間に、うまく変えていけばいい。最初に話しかけたのであれば、それも叶わないだろう。
もっとも一日中電車に乗っていれば、誰かが話しかけてくれるはずである。最初の一人だけというのも寂しいもので、話しかけてきた人の人数も旅の醍醐味だと思うようになっていた。
大学時代に何度となく青春切符を利用したが、同じ場所に行ってみることも少なくはなかった。
大学一年の時に訪れた場所に三年生になってから再度訪れる。そんなこともあった。
だが、ルートが違っていた。まったく違った路線から入ることもあったし、以前と反対のルートをたどることもあった。
同じ場所に行くのは、最初に訪れた時に印象に残って、旅から帰ってその時のことを勉強したから、再度行ってみたくなるというのが本音だった。
歴史的なものへの造詣が深いのも平山の性格である。城下町や武家屋敷には特に興味があり、天守閣の残った城がある街を目指して出かけたことが何度もあった。
だが、歴史は戦国時代や武士の時代だけではない。明治以降の時代にも思いを馳せていた。学校ではカリキュラムの関係で、なかなかそこまで進まなかったが、興味を持つ友達がいて、いろいろ話をしていても、こちらが勉強不足では相槌を打つしか仕方がない。
本屋に行けば、明治からこちらの時代の本は、事件、人物、いろいろな角度から描いているものだ。
――教科書に載っていない歴史の事実――
などというタイトルには興味をそそられる。
社会人になっても、旅行だけは行くつもりでいた。大学を卒業し会社に入ってから最初のゴールデンウイークには、学生時代に訪れた場所にやってきた。
さすがに鈍行の旅というわけには行かず、途中までは新幹線、そこからは在来線の鈍行だったが、懐かしさよりも、安堵感があったというのが最初の印象だった。
――まだ自分を迎えてくれた――
別に逃げるわけがないのは分かっているつもりだったが、その場所に行くまでは自分の目に同じように写るかどうか不安だった。想像していたとおりの光景に安心感を感じるのも不思議ではないだろう。
作品名:短編集113(過去作品) 作家名:森本晃次