未解決のわけ
一流大学で有名な東阪大学は京都にある。団体の本部が大阪なので、京都から大阪などそれほど遠い距離というわけではない。大学の講義もなくなって、内に血をすることもなく過ごすよりも、最初はボランティアを考えていたが、なかなか気に入ったのもなかった。そういう意味で、この団体が一種のボランティアにでも見えたのか、若狭教授がこの団体のどこに興味を持ったのか分からない。少なくとも、シルバー人材にも、役所にも募集の広告を入れたわけでもない。教授がどこでこの団体を知ったのか、それも興味深いことである。
俳句をゆっくりやるのも、ボランティアというのも同じレベルで考えていたのだろう。
今の若狭教授は五十歳代くらいまでの、相手を威圧するような態度はなくなった。しかし、雰囲気は相変わらずで、しかも経歴がその雰囲気を象徴していることで、どんなに大人しくなったとしても、人は魅了されてしまう。そんな若狭教授は、最近、市が行っている、
「俳句教室」
に講師として招かれた。
いや、実際には、
「私がやりましょうか?」
と言って始めたのだが、ビックリしたのは、市の文化振興課の人たちだった。
「えっ、あの若狭教授が我々のような素人相手の教室で、講師などをしていただけるんですか?」
と、あらたまって聞いたほどだ。
「ええ、いいですよ。私はもう年も年だし、隠居のような年齢だ。黙って教室にいてもいいんだけど、一度、こういう市が行っている文化事業に関わって見たかったのも事実なんですよ」
ということで、若狭教授は、しばらく講師としても講義を行うことになった。
市の俳句教室は週に二回催される。火曜日と金曜日の夜七時からの講義なのだが、二回とも同じ講義である。基本は生徒は週に一度、二回するのは、仕事の関係でどうしてもその曜日がダメだという人もいるだろうから、どちらかの曜日でもこれればいいという感じでの設定だった。講義を開いている以上、別に週に二回来て、金曜日にもう一度同じ講義を受けても構わない。基本的に、メンバーの参加は自由となっていた。
講義は、半年コースと一年コースがあり、基本は半年となっている、一年する人は、半年過ぎると、そこからは、講義の時間よりも、実践が多くなり、吟行会などの催しが基本となるのだ。
一年コースになると、また曜日が増えるので、その時は、別の曜日に、今度はもう一つどこかの曜日は増えることになるのだった。
まだ始めたばかりなので、火曜日と金曜日だけの講義だった。
教室は、市役所に隣接された文化振興センターという建物の中にある、教室の一つを使っている。中学校の教室とほぼ同じくらいの広さで、はい育教室への参加人数は最初は、七人からのスタートだった。最初から参加できない人もいるということで、後三人は増える予定だったので、ちょうど十人になる予定である。
定員を二十名までということにして、
「募集が三名を切ったら、今回の講義は中止」
という条件もあった。
さすがにこの年で一度入れたスイッチを切ってしまうのはショックが大きかっただろうが、無事に開催することができ、人数的にも想像していたほどの人数だったので、市の文化振興課の人も、若狭教授も、ホッと胸をなでおろした心境だった。
「皆さん、初めまして、本日より俳句教室を始めさせていただきます。私が講師を強めさせていただく若狭です。皆さんよろしくお願いします。そして、この教室に参加いただき、本当にありがとうございます。気楽な気持ちで、皆さん楽しんでいきましょう」
と声をかけた。
最後の言葉が、
「楽しんでくださいね」
でもよかったのだろうが、
「楽しんでいきましょう」
だったことが、生徒の皆を気楽にさせたようだ。
教授の方では、意識して言っているつもりだったが、それを誰が気付いたというのだろう。痩せても枯れても曲がりなりにもずっと大学教授をしてきた教授である。人心掌握術は心得ているつもりだった。
しかも、その言葉を相手に自分がわざと言ったということを気付かせないのも、教授のテクニックの一つだとう。中途半端な経験しかない講師であれば、教授のように意識して言ったのだとすれば、その思いはどうしても表に出てしまうことだろう。
下手をすると、自分に酔ってしまうかも知れない。そんな思いが、若かったり経験不足の人には隠し切れないところだのだろう。
逆にそれを隠せるというのは、やはり教授は只者ではない。さすが俳句の権威でもある大学教授だ。講義を受けに来た人の中には。
「えっ、講師の若狭教授って、あの?」
と思った人も多いかも知れない。
俳句に興味を持てば、まずは独学でやってみるものだ。
そんな時、本屋や図書館に行って、テキストを探すだろう。
「やさしい俳句の作り方」
というようなハウツー本が書かれている文芸コーナーには、小説の書き方などと並んで俳句の書き方の本が置かれている。
若狭教授の本もその中に、所せましと並べられている。
今回の教室に来る人は、少なくとも一冊か二冊は俳句のハウツー本を持っていた李、一冊を読破するくらいの気概を持った人が多いようだ。生徒はそれぞれバラバラで、二十代から七十歳という教授と同じくらいの人もいて、いかにも、
「定年退職後の趣味」
を楽しもうとしている人だった。
家で何をしていても面白くない。さらには、一人でいるのが寂しいと思っている人にはうってつけの教室であった。下手をすれば、昼間から家に一人でいると、すぐにボケてしまうと思っている人もいるようで、人が思っているような、
「気楽な余生」
というだけではない。
「自分にとっては死活問題だ」
と、そう思っている人は世の中にたくさんいるに違いない。
要するに、行動するかしないかだけの違いなのだ。探せばいくらでも自分にあった趣味ややることが見つかるはずなのに、本人が探しているつもりで見つからないのであれば、それは一生懸命に探していない証拠なのかも知れない。
俳句教室の席の配置は、前の方から年齢が高くなっているようで、若い人は後ろの列が多かった。
前列数人が、定年後の余生、中列くらいが、三十代、四十代のサラリーマン化主婦がいて、最後列に大学生くらいの青年がいる。一応皆の入会申請書は目を通してきたので、少しは把握しているつもりだった。服装で目立つのはサラリーマンのスーツ姿の人が結構多いということだった。これも一つの特徴なのかも知れない。
この市が催しているカルチャースクール関係で人気があるのは、
「料理教室」
であった。
パスタを作ったり、洋菓子を作ったりと、こちらも、地元のテレビ局が制作している情報番組などの中のコーナーで料理コーナーがあるが、それに先生として参加している先生が講師として来てくれているのだから、それは人気もあるというものだ。
「さすがにマスコミに露出していれば、人気があるのも当然だよな」
と誰かがいえば、一緒にポスターを見た連れの男が、
「マスコミに露出って言い方が、面白いよな」
と言って二人で笑っているのを見たことがあった。