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未解決のわけ

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「世の中には、畜生道という言葉があるが、そういう状態もあったかも知れない。要するに、近親相姦のことだよ。彼らがお互いに自分たちの出生を知っていて、そのことで自分が孤独だと分かり、まわりの血の繋がっていない人を信じられないということもあり得ないとはいえないよね。特に彼らのような人たちは、他の人であれば、少々の仕打ちを受けても、それは愛のムチのようなものではないかって完全には思えなくても思おうとする努力くらいはするはずだよ。でも、、自分たちの出生がよく分からずに、教授がその時の感情で産ませた子供が自分だと知っていれば、決してまわりの人が自分たちにしている仕打ちを愛のムチだなどとは思わない。絶対に苛めであり、そこからは逃れられないと思い込むんだろうね。そうなると、人は信じられない。信じられるのは血の繋がった人たちだけだということになる。彼らには世間の冷たさに比べれば、畜生道の方が、よほど暖かく感じられるんだろうね」
 と清水刑事は言った。
「でもさ、近親相姦って、いったい何が悪いというんだろう?」
 と勧善懲悪な辰巳刑事が言った。
「それは、病弱な子供ができたり、障碍者ができる可能性が遺伝子的に高いという遺伝的な発想から来ているんじゃないのかな?」
 と清水刑事が話した。
「でもですね。歴史的に近親相姦が普通だった時代だってあるんじゃないですか? あの天皇家だって、過去の歴史で皇位継承や系譜図などを見ると、結構近親相姦って多くないですか? それが、戦前までは、万世一系の日本国の君主ですよ」
 という。
「確かにそうだね。でも、選世界的に近親相姦には、忌まわしいという呪われたというような意味もある。一種のタブーだよね?」
「私はそれがおかしいと思うんですよ。小説などを読んでいると、近親相姦をして生まれた子供が知らずに、また近親相姦を重ねてしまうということで、自害したりその復讐のために殺人を犯したりというのがネタになっているはないですか。ただのタブーで、まだ障害のある子が生まれてきたわけではないのに、知らなかったこととはいえ、近親相姦のために身籠ったことを苦にして、自分の子供を道連れに自殺をするなどというのは、あまりにも悲しすぎはしないんですかね? 皆、その自殺をしょうがないと言って、許すことができるんですか? キリスト教などの自殺を認めない宗教の中では、自殺をすることと、近親相姦で身籠った子供を産むことと、どっちが罪深いことになるんでしょうね? 私が本当に疑問です」
 と、辰巳刑事は憤りをどう爆発させていいのか、戸惑っているようだった。
 清水刑事は今の辰巳刑事を見ていて。
――辰巳君らしいな――
 と感じた。
 勧善懲悪の辰巳刑事だけに、自分が納得のいかない悲劇を、いくら世の中のタブーだからといって、簡単に認めてもいいのだろうか?
 もし、近親相姦が悪いことだとしても、それは行為を行う前の自制の意味に使われるまでのことであり、起きてしまったことを、
「タブーを犯した」
 ということで罰するところまでは、本当はなかったのではないか。
 もし、それをタブーとして定着させたのであれば、それは過去の人たちの思惑が重なり合ってのことではないかと思うのだった。
 人間は嫉妬という忌まわしい感情がある。自分の好きな人を他の人に取られた。それが実は好きな人の兄弟で、しかも二人はまぐ遭ってしまう。そういう自分にとっての悲劇を、取られた側から考えると、どうにもたまらなくなってしまい、タブーだという話を広げるだろう。そんな人がたくさん増えれば増えるほど、近親相姦に対して忌まわしい思いを植え付けようとする。
 そう考えると、人類の歴史に、近親相姦はかなりの確率で深まるのではないだろうか。同じ遺伝子の間で結び付け合うというのは、近親相姦がタブーではないという世界であれば、逆に当然のこととなり、もし遺伝子が濃くなることをよしとする世界であれば、今とはまったく違った世界が出来上がっているかも知れない。辰巳刑事はそんな考え方を持つようになったのだ。
「少し話は違っているかも知れませんが。衆道というものもあるじゃないですか。これに関しては、近親相姦よりも厳しくはない。むしろ、女性というものを蔑視していた時代があったからこそ発達した時代だったと思うと、衆道の方が、近親相姦よりも、一般的にも思える。実際に最近では、小説のジャンルの中に、ボーイズラブなどという名前で、美徳かされたものもあって、今は美学に近いものがある。僕などは、悪いですが、気持ち悪いとしか思いませんが、一体人間の感覚ってどうなっているんでしょうね?」
 と吐き捨てるように辰巳刑事は言った。
「とすると、辰巳刑事はこの事件の裏に潜んでいる謎があるとすれば、それは畜生道であったり、衆道であったりという考えがあるんですか?」
「それに違いモノがあるとは思います。そこから、何らかの殺意のようなものが生まれていると思うと、今まで分からなかったことも見えてくるような気がするんですよ。もちろん、ハッキリとはしていないんですけどね」
「ところで、この間から少し問題にしていることとして、実際の実行はと、教唆があるような話をしていたと思うのだが、それについてはどう感じるね?」
 と聞かれた辰巳刑事は、
「そうですね。いろいろ分からない部分は、教唆している人がいると思うと、納得のいく部分はあると思います。例えば。扉をあけておくというような意味や、明かりを明るくしておくというのも、主犯の意識していないところで行われていると思うと、考えられなくもないんですよ。ここが教唆と共犯の違いであって、同じ目的をお互いに話し合って、最初から役割を決めておくのが共犯なんですね。でも、ここでいう教唆というのは、実行犯はひょっとすると犯行をごまかそうといういう意識はなく、もっとシンプルに場当たり的な殺人を犯していて、犯人が望んでもいないことを教唆する人が忖度して行っているということですね。つまり、犯人にとっては思ってもいなかった一種の天の助けとでもいえばいいんでしょうかね」
 というと、少し頭を捻りながら、
「そんなにうまくいくものなのかな? 相手が何を思って殺人を犯しているかというところまでその教唆を行っている人には分かっているのかということだよね? 例えば、誰かを殺したとして、どうしてその人を殺さなければいけなかったのか、つまり動機が分かっているかどうかもあるよね? 相手を殺すことで単純に自分が利益を得られるだとか。その人がいなくなってくれたおかげで、自分が死ぬ思いをしなくてもよくなったというような苛めや迫害を受けていた場合もある。または、その人が死んでくれれば、自分に莫大な遺産が転がり込んでくるなどの理由があった場合は、少なくとも自分が捕まってしまうとせっかくの計画が水の泡なので、教唆の必要はないかも知れないけどね。それにお互いの立場や状況を考えると、ただ教唆というものが実行犯にとっての天の助けなのかどうか。分からないよね? ひょっとすると、ありがた迷惑だと思われるかも知れないということもあるんじゃないかな?」
 と、清水刑事は答えた。
作品名:未解決のわけ 作家名:森本晃次