未解決のわけ
「私は、少し身を隠すことにする。このままでいれば、自分の命はおろか、家族にまで迷惑をかけることになりそうなので、一時身を隠すことにする。心配しないでくれ、私がいない間に何もかも解決するかも知れないので、私はそれを待つことにする」
というようなことが書かれていた。
文字は本当に殴り書きと言ってもいいだろう。清水刑事もやっとの思いで読んだくらいだった。
「ところでご主人はおいくつで、どのようなお仕事をされているんですか?」
と辰巳刑事が聞くと、
「年齢は三十五歳です。仕事はK市に今回できた、『スポーツ大会運営代行業』というところです。二年後をめどに、中学生を中心としたスポーツの全国大会を開催しようという話が盛り上がっていて、ほぼ決まりではないかと言われているんですが、その時に運営を代行してくれる団体がありまして、そこが招致先で、臨時の社員を雇うのですが、主人はその団体に参加していたのです。運営をうまくやれば、過去の実績から言って、大会が終わった市町村の体育健康関係の業種に推薦してもらえるかも知れないということで、主人は張り切っていました。元々大企業の営業にいたのですが、いつの間にか子会社に出向になっていて、そこがブラックだったもので、主人は辞めることになったんです。私は親会社に辞めさせられたという気持ちが強く、今では大企業に対して偏見を持つようになったくらいです。本当に世の中の企業というのは、信用してはいけないとことが多いんだなと思うようになりました」
と、奥さんを名乗る人が言った。
「奥さんは、旦那さんからの手紙を見て、旦那さんが何かの事件に巻き込まれたかも知れないということが怖くなって、警察に出頭したということですね?」
「ええ、そうです」
「旦那さんを最後に見たのはいつですか?」
「もう三日も前になります」
「じゃあ、この手貝をいつ、どこで発見されたんですか?」
と清水刑事が聞くと、
「主人が一日くらい何も言わずに帰ってこないということは今までにもあったんです。同僚と呑み潰れて、そのままビジネスホテルかサウナに泊ったという話は今までにも聞いたことがありましたからね。でも、二日も帰ってこないということは結婚してから七年になりますが、一度もありませんでした。それで不思議に思って、普段は入らない主人の部屋に入ってみると、机の上にこの手紙があったんです」
と奥さんはいった。
「旦那さんの部屋に入らないというのは。何か旦那さんが隠し事をしているか何かなんですか?」
と辰巳刑事がいうと、
「そんなことはないと思い出す。ただ、以前、旦那がいる時に、部屋に入ろうとすると、普段見せない怒りをあらわにして怒り出したので、それからは、いてもなるべく入らないようにしているんです。でも、別に部屋にカギを取り付けるというようなこともしていないし、入るなら入っても怪しいものは何もないと思っているからではないかと思っています」
と奥さんが答えた。
「なるほど、では旦那さんが机の上に分かるようにそれを置いていたということは、いずれ奥さんがそれを見るということは分かっていたとして、奥さんならどうするとお考えだったんでしょうね?」
と今度は清水刑事が聞くと、
「さあ、どうなんでしょう? あの人のことだから、警察にはすぐには届けないと思っているのではないかと思います。ただ、彼の言葉は衝撃的でしたが、見方によっては、時間が解決してくれるとも取れないこともない。だから、私はそれほど慌てるようなことはないと思ったんじゃないでしょうか?」
と奥さんが言った。
「でも、旦那さんは奥さんに見つかるように置いていて、最初の方で脅かしておいて、後の方で大丈夫だということを強調する。旦那さんという人はそういう書き方をする人なんですか?」
と清水が聞くと、
「そんなことはないですね。もっとも、あまり書置きなどする人でもないですが。もしするとしても、前で脅かして後で宥めるような書き方をするよりも、むしろ最初安心させておいて、その後で少し釘を刺すようなタイプではないでしょうか?」
と奥さんが言った。
「でも普通の人なら、そういうやり方をされると、後からの方がきつく感じるので、嫌なものではないかと思えるんですが、どうなんでしょうね? 私などはそんな文章が残っていると、相手の神経を疑うくらいですけども?」
と今度は辰巳刑事が言った。
「ええ、でも彼は人に気を遣うことがうまい人なので、私に対してもちゃんと考えてくれています。私の場合は、やはり最初に宥めてくれて、釘を刺される方がどちらかというと気が楽なんですよ。刑事さんは、信憑性を考えられているのかも知れませんが、私は直感的に楽な方を選ぶので、きっと彼も分かってくれていると思っています」
というと、
「なるほど」
と、辰巳刑事としては、どうにも納得できないという顔で頷いた。
「じゃあ、旦那さんがいなくなったのは三日前ということですね?」
「ええ」
じゃあ。旦那さんの写真か何かありますか?」
と清水刑事が訊ねると、
「ええ、今日は持参しております」
と言って、二人の刑事の前に差し出した。
その写真は夫婦でどこか遊園地か植物園にでも行ったのか、綺麗な花が後ろで咲いていて、芝生の上に座っている二人が映っていた。実に楽しそうなその姿は、どこにでもある幸せそうな夫婦を描き出している。
その写真を見た二人の刑事はお互いに顔をみ合わせていたが、その様子はどちらかというと、苦み走ったような顔だった。その表情を見た奥さんは何かを言おうとしたが、あまりにもその形相が異様だったので、声をかけるタイミングを失ってしまった。誰にもであることだが、人に声をかける時というのはタイミングがあって。声を掛けられなかった時には、どう対処していいものか分からずに、結局何も言えずに、自分の中で気持ちが堂々巡りを繰り返すだけになってしまうものであった。
「いや、ありがとうございます」
と言って、写真を奥さんに返した。
もし、何か検証が必要であれば、写真を預かるなどするのだろうが、それがないということは奥さんとしても、今この街で起こっている事件で、少なくとも旦那が表に出てきてはいないということだろう。それを思うとホッとはしたが、逆にいうと、夫が被害者ではなく、加害者の可能性もあるわけで、そちらの方が気になって仕方がなかった。
「分かりました。まずは捜索願の方を出していただくことになります。そしてその時に、さっきの写真をご提示いただければ、こちらで捜査に使用する資料を作成いたしますので、ご協力をお願いします」
という形式的な話で清水刑事は最後結んだ。
奥さんが、捜索願を出すのに退室してから、
「どう思うかね?」
と清水刑事が聞いた。
「そうですね。てっきり同じ人間だと思ったんですが、まったく違っていましたね」
と辰巳刑事は少しショックだった。