未解決のわけ
それでも、予定では明日雨が降って、そこから先は一気に冬に逆戻りということで、今度は急な寒さに注意が必要だということだった。
とりあえずは、まだ寒くなる前だったのと、明日雨が降ると分かっていることで、余計に風が生暖かく感じられるのだ。
「こんな日は、何かが出たりしないだろうな」
と思いながらも、足はいつものマンションの工事中の中に向いている。
「こんな時間に誰もいるはずないんだ。通りたい放題だ」
と思っているのは、仕事でかなり疲れていて、もう遠回りするなど考えれないほど、頭の回らなくなっていた。
一応、お情け程度に引っ張られているロープをまたぐように建設現場に侵入すると、革靴に気持ち悪い感触があった。どうやら、中で水を流したみたいなのか、足元が舗装されていない道なので、べたべたしていた。
「やめとけばよかった」
と一瞬考えたが、もう入ってしまったのだからしょうがない。行くしかなかった。
少し歩くと、光が見えた。この中でいつもはお情け程度の街灯がついていることがあるが、あの明るさは普段のものではない。まわりが今まで暗かっただけに、眩しいくらいの明かりは、
「工事関係者が消し忘れていったのかな?」
と思って余計な気遣いをしても、別にどうなるものでもない、そのまま進むしかなかった。
進んで行くと、すぐに曲がるところがあり、そのすぐ先がこのマンションエリアの抜け道になっていた。歩いて二分ほどのこの道だけど、これだけを表で遠回りをすれば、五分以上のロスになってしまう。ここでの五分、十分は睡眠時間を考えると、結構大きなものなのだ。
いつものように最後の角を曲がると、
「あっ」
と思わず声を出さずにはいられなかった。
そこには一人の男がこちらに足を向けるようにして、うつぶせになって倒れている。左の頬を地面につけて。右を向くような恰好で倒れている。まったく動く様子もなく、目が瞬きをしていないのを見ると、死んでいるとしか思えなかった。
状況から考えても、このあたりは数時間前から誰もいない状態である。誰にも発見冴えなかったと言っても無理もないことだ。しかも彼がこれを発見したのも、進入禁止の道を無断で入ったからではないか。どれくらいの時間個々に死体があるのか分からなかったが、しばらく、彼は金縛りにあったように動けなかった。
「どうしよう」
と決まっているはずなのに、すぐに行動できない。
落ち着くとやっと警察に連絡し来てもらえることになったが、今度は連絡をしてしまったことで却って心細くなった。警察が来るのは絶対なのに、来てくれるまでの数分か数十分の間、一人でいなければならないことをいまさらながらにかんじさせられたのだ。それを思うと、身体の震えが止まらなくなっているのに気付いた。
男の顔をもう一度覗き込むと、口から何か流れているのを感じた。
「毒殺だ」
と分かった。
ということは事故ではなく、殺害されたか自殺だろう。状況から自殺は考えにくい気がする。やはり殺害されたのだろう。
彼は、この時間が長かったのか短かったのか、言えることとしては、パトカーのサイレンが聞こえてきた時、我に返ったという感覚と、我に返ってから、それ以前のことを思い出そうとすると、瞬間的に一部の記憶を喪失してしまっている気持ちになっているということであった。
パトカーのサイレンというのは、
「俺のように殺人事件を目撃した人が警察に通報し、その時の放心状態を元に戻すために、あのようなけたたましい真っ赤な放射状の光と、乾いた空気を突き刺すような甲高い音をならすのではないか?」
と思ったほどだ。
警察が次々に入ってきて、このあたりはくっきりと明かりに照らされた。
「第一発見者の方ですね?」
と言われて、彼はもう一度我に返った。
目の前にいるのは制服警官で、その人は、
「どうぞ、こちらに」
と言って、明るくなった別の場所に連れていってくれた。
テキパキと動いている人間の影を見ながら、彼は何事が起こったのか、いまさらながらに自分がなぜここにいるのか、まだよく理解できていないようだった。
背広にコートを着た。いかにも刑事という人が近寄ってくる。
「少し、お話を伺えますか?」
と言われて、
「はい」
と答えた。いや答えるしかなかった。
「あなたが、第一発見者で、通報していただいた方ですね?」
「ええ、そうです。鮫島といいます」
「ああ、どうも、私は辰巳というものです。よろしくお願いします」
と挨拶をしておいて、
「さっそくですが、あなたは、ここで死んでいるあの方をご存じですか?」
「いいえ、初めて見ます」
「今日はお仕事の帰りですか?」
と聞かれ、立入禁止の場所に入ったことを言おうか言うまいか考えていたか、遅かれ早かれ分けること、先にいっておく方がいいと思った。
「はい、最近、年末にかけて、いつもこのくらいの時間なんです。それでいけないことだとは思っていたんですが、この道を通れば近道になるので、最近はずっとここを通って帰っています。その時、いつもこのあたりは照明がついていても、暗い正面なんですが、今日はいつになく明るさを感じたんです。それで気になって曲がってみたら、あの通りだったんです。ビックリしました」
と鮫島が供述すると、
「そうですか、じゃあ、いつもはあんなに明るくないんですね?」
辰巳という刑事は、彼がここに踏み込んだことを責めるわけでもなく、話を進めてきたことにホッとしながら、
「ええ、だから気にはなっていたんです。で、曲がってみたら、そこに何かがあるでしょう? 最初はまさか人が転がっているなんて思ってもいないので、唖然として見ていたんです。普段より明るいので、倒れているところに影ができて、最初は大きすぎるように感じたので、人間だとは思いませんでした。しかも、足をこちらに向けていたので、余計にピンとこなかったんです。声も出なかったのではないかと今から思えばそう感じました」
声が出なかったというのは、思い違いであった。明らかに最初鮫島は、悲鳴をとどろかせるかのように、
「あっ」
と叫んだのだ。
だが、それを誰かが近くにいて聞こえただろうか?
声は一瞬で飲み込んでしまい。何か他に音がしたとすればかき消されるレベルだった。しかし、こんな深夜のこんな場面でほかに音がするわけもなく。やはりかき消されるようなことはなかったはずだ。
「なるほどですね。あなたは、死体を発見して、すぐに死んでいると判断して、警察に電話した。どうして死んでると思ったんですか?」
と辰巳刑事は訊いた。
「このあたりは、ずっと真っ暗なで静寂な時間が続くので、ずっとこのままでいたのなら、もう息が絶えていると思ったのと、顔を見ると目が開きっぱなしだったんです。そしてもう一つは唇の端から流れていた。いや、すでに固まっていて真っ黒にしか見えなかった何かが口元に残っていたのを見て、それで死んでいると確信しました」
と言った。
「毒殺だと思われたんですか?」
「ええ、毒殺か、可能性は低いかも知れないけど、自殺もあるかも知れないと感じていました」
と鮫島は答えた。
「被害者を知らないのに、自殺はないと思われたんですか?」