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田中よしみ
田中よしみ
novelistID. 69379
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ウラバンナ(朱夏紀ー1)

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妻の親兄弟の度重なる説諭にも鉄の心を開くことはなく、私は頑なな妻の態度に憎悪を抱き鬱々とした毎日を送っていた。
会社の仲間は仕事が終われば平穏で安らぎの家庭が待っていた。私の家庭は異教の妻との虚しい家庭内別居が続いていた。
そのうちに妻の何もかもに不平と不信感を抱くようになった。その鬱屈した感情が遂に集会に行く妻に暴力をふるった。
秋津柊に出会った時に、人はここまで愛に一途になれるものかと思ったことがあった。今は妻に対して憎しみの連鎖に陥っていた。
オバマ元大統領が語ったことがある。“人は生まれた時から肌の色や育ち、宗教で他人を憎む人などいない、人は憎むことを学ぶのだ“と。
私は新興宗教に心を奪われた妻を通して、底なしの憎悪があることを学んだ。
私が働いている間に妻が公然と宗教活動に出かけるのを見て、遂に結婚一周年を前に別居した。
その後、調停にかけて七年後にやっと協議離婚が成立した。

人生で最も充実しているはずの三十歳代は結婚、宗教、別居、離婚と予想もしなかった暗黒の十年となった。別居後は家庭の束縛から解放されて仕事に専念できたが、私生活の暗部は私の精神を病めていた。
庭先の犬がキチンとお座りをして、吠えることも忘れて何かをジーっと一心に見つめている瞬間がある。自宅で独りになると、深い暗い闇の中を覗いて無為の時間を過ごすことがあった。その反動が私を仕事に向かわせたが、会社の騒然とした中にいる時だけが安らぎとなった。
四十歳になって離婚が成立した時には長いトンネルから抜け出たような解放感を覚えた。それでも清々した気分になれずに、その傷跡は四十歳代にも陰を落とした。
この間、故郷から遠ざかっていたが、そういう不遇の時も変わらずに私を支えてくれたのは幼馴染みの池澤捷一だった。

私は実家の仏教にも然程の信仰心はなかったが、前妻の宗教観が事前に分かっておれば結婚することもなかった。
秋津柊の家庭環境や生き方などは私との異質性が際立っており、相対的にみれば前妻の方に私との同質性を見出していた。
高校時代に秋津柊と交際が始まったが、それから十年は横浜と東京で運命的な出会いを何度か繰り返していた。その空白の時に、柊は人妻になっていた。
自分との同質性が見出せないにも関わらず、いつまでも柊に恋慕を持ち続けたのは、初恋心が熾火(おきび)になって燃え続けていたからであった。
時の移ろいは辛いことを忘却の彼方に連れていくというが、秋津柊を忘れたことなど一度もなかった。私は秋津柊の異質性に不安定な揺らぎを感じながらも青春期は翻弄されていた。

妻への改心の強制は信教の自由を犯す行為だった。それは私が毛嫌いしていたはずの人種差別や学歴差別と同根の宗教差別であった。
「今でも家庭を捨ててその宗教団体に入ったことが信じられない……。私には盲信としか思えないが、今でも後悔していませんか?」
協議離婚がまとまった最後の日に、レストランで妻に糾したことがあった。周囲から聡明といわれてきた彼女が、新興宗教の勧誘ごときに心を動かされたことがずっと解せなかったからである。
「聖書は高校時代から興味がありましたので……、人間の世が滅びて神の世が到来することに心を動かされたのです。後悔はありません……」
彼女は小柄で地味な風貌であり、山登りと文学好きの古風な女性だった。その妻が聖書にこれ程までにのめり込むとは思いもよらなかった。

前妻は高校時代から恋焦がれてきた秋津柊とは正反対の女性だった。
柊は中学時代から背も高く男性の目をひく華やかさがあった。少し不良的だったが卓球一筋に青春を謳歌していた。学業や校則などに捉われない大らかさがあった、私にはない柊の異質性に憧れを抱いていたのかもしれなかった。
そういう柊との関係はホテルで別れて以来消息が知れなかった。伴侶としては地味で安全な女性を妻に選んだつもりであった。

妻の家は私の実家と同じ仏教の宗旨であっただけに、結婚後の一方的な宗旨替えは想定外の出来事だった。
憲法では何人も信教の自由が保障されており、仏教徒が異教に宗旨替えすることは普通にあり得ることであった。だが、宗旨替えのタイミングが結婚直後で、しかも夫に無断の背信となれば波風が立つのは止むを得なかった。
「今直ぐにもこの世が終末を迎えるようなことを言っていたが、今でもその宗教を信じているのですか?」
彼女が新興宗教に入信した頃に過激な終末論を説いていた。それから八年を経た現在も人の世は存続しており、その矛盾を糾したつもりであった。
「神の一年は人間の感覚とは違います……」
彼女が入信した当時も同じようなことを言っていたことを思い出した。その時は激高して妻に暴力をふるったこともあった。今になって改心したと言われても冷めた気持ちは戻らなかった。
ただ、私の心の奥底には結婚後も秋津柊への未練があったことも事実であり、それが妻との生活に微妙に陰を落としていたのかもしれなかった。
「こういう結果になって申しわけなかった。今でも私は宗教に興味がないし、その宗教観は一貫しています……」
「あなたが一緒に入信してくれればよかったのですが……」
私への不満もあったはずだが、そのことは口にせずに最後まで私が入信することを希望していた。

私たちは見合いによって知り合った仲だった。お互いを理解し合ってラブ(愛)を育んだ上での結婚でなかった。どちらかというと、相手に同質のものを見いだしたライク(好き)の安心感から結婚に踏み切っていた。少なくとも私は……。
ラブは異質なものを求め不安定な揺らぎがあるそうだが、私は柊への思いを断ち切るために結婚したのかも知れなかった。
ライクは同質なものを求める心の作用だというが、妻との結婚はそういう結びつきだった。ライクには自分と同じものを相手に強いる同調圧力が強まり、異質なものを排除する危険があるという……。私たち夫婦は結婚によって相手の異質な部分に少しずつ気付き始めたのかもしれなかった
私は異教に走った妻を排除したのである。妻はそういう私こそ不幸だと思っているようであり、彼女自身は幸せな人生を歩いているのであろう。
チャールズ・チャップリンの独裁者の最後の一節を思い出しながら、複雑な気持ちで妻の後ろ姿を見送っていた。

私たちは皆、助け合いたいのだ。人間とはそういうものなのだ。
私たちは皆、他人の不幸ではなく、お互いの幸福と寄り添って生きたいのだ。
私たちは憎しみ合ったり、見下し合ったりなどしたくないのだ。¦¦

ノストラダムスの予言がなくても、この世は核戦争や環境破壊などの人間の悪行によって、いつかはハルマゲドン(終末)を迎えるのかもしれない……。
特定の宗教を信仰しない私には、仏教を否定して神の世が到来するという思想を受け入れることはできなかった。
宗教観をもつべきだと主張する人もいるが、私は家の仏教においても敬虔な信者ではない。死後は無になるという考え方を変えようとは思わなかった……。
私と関わった人々は死後も私の記憶の中で生き続ける。その記憶の中の彼らも私の死によって無になっていくのである。
前妻の言うように神の支配する世を認めるとすれば、この世こそ神の支配する世界かもしれなかった……。