ウラバンナ(朱夏紀ー1)
ウラバンナ(朱夏紀…1)
信教の自由
矢納孝夫は台湾事務所で三年間の勤務を終えて丸の内の本社に復帰した。
以前から話のあったR銀行の寺本光太郎の仲立ちで、三十二歳の時に銀行員の女性と結婚した。
予てより結婚の相手には自分との同質性を条件にしていたが、それは家庭の安寧を第一に考えていたからである。
彼女の父親は鉄道会社に勤務する実直な人間であり、矢納家と同じ宗旨の檀家でもあった。また、彼女の兄弟二人もそれぞれ一流大学の工学部を卒業して大手企業に勤務しており、俗に言う優等生の家系であった。
彼女はそういう家庭環境の中で育ち、社会人としても銀行で基礎的な素養を身に付けて、思想的にもバランスのとれた女性だった。
私は四年前に秋津柊に見切りをつけて海外に赴任した。その後の柊の動静は知らなかったが、吉川氏と故郷に帰ったものと思っていた。
毎年、盆の連休前には帰省のために有給休暇を申請していたが、その年の盆は妻を連れての最初の里帰りを計画していた。
盆の連休前の経営管理本部は大きなプロジェクトもなく、連休中の過ごし方が話題になって空気も和らいでいた。サラリーマンにとって珠玉の週末になったが、定時後は麻雀や居酒屋に繰り出すのが通例だった。
その日は虫の知らせというのか、麻雀仲間の誘いを断って珍しく早目に社宅に帰った。五階の我が家の窓は明かりが消えていた。不審に思ってドアを開けると、部屋は昼間の猛暑で火照りが充満していた。食台には夕食を準備した形跡もなく、妻の実家以外に行先に心当たりがなかった。
ソファーに腰を下ろして妻の行き先を思案していたが、出社後の妻の日常は何も知らなかった。妻が持参したステレオのアンプの上にトケイソウの鉢があったが、それさえ初めて見る居間の情景だった。仕事や仲間との付き合いで帰りはいつも遅くなり、家庭は寝に帰る空間でしかなかった。
結婚して三カ月余りになるが、こういう無断外出は初めてのことだった。それにしても電話やメモで連絡がなかったのは、私に知られたくない理由があったとしか思えなかった。
鉢の横に与謝野晶子の短歌集“乱れ髪”が読みかけのまま置いてあった。その下に新興宗教の勧誘用の小冊子が積まれていた。本来であれば直ぐにゴミ箱に捨てられる無用の長物だった。それを何気なくめくっていると夜十一時前になってやっと妻が帰ってきた。
その行き先を糾弾したところ、小冊子の発行元であるキリスト教系の新興宗教の集会に参加していた。
几帳面な妻が夕食の準備をしていなかったのは、予定外に集会が長引いたからであった。話を聞いていると、これまでも私の目を盗んで集会に参加していた。図らずも私の不安が的中していた。
妻の親元が私の実家と同じ宗旨の浄土真宗であっただけに、新興宗教は寝耳に水の背信だった。社宅の噂では、その宗教団体は定期的に社宅を訪問していた。妻はその話しを聞くうちに、興味をもつようになったという。私は妻の背信にも気付かないで、のうのうと仕事に出かけていたのである。
妻は私が出社した後の時間を見計らって教団の集会に参加して、何気ない顔で帰宅した私を迎えていた。
私は妻の日常に無関心だったことを悔いたが、会社の仲間は誰も似たような会社生活をしていた。社宅で妻だけが入信していたが、私は仏教も含めて宗教には無関心で懐疑的だった。所詮死後は灰になり無になるものと考えていた。死後の世界を極楽だの地獄だと煽り立てて、それに左右される者の気が知れなかった。
妻も私の宗教観を知っていたので、私に黙って入信したのであろう……。誰が何と言っても、妻の背信を認めるわけにはいかなかった。
「お前の実家もそうだと思うが、仏教の家に勝手に異教を持ち込むことは認められない。だからこそ同じ宗旨のお前と結婚したのだ。それが結婚直後に事前相談もなく宗旨替えされたのでは一家の秩序は保たれない。そうだろう?」
私の人生に日本国憲法第二十条(信教の自由)が立ちはだかるとは思いもしなかった。私に決して仏教への強い信心があったわけではなかった。だが、入籍したばかりの妻が、わざわざ異教を持ち込むことは断じて許せなかった。
「…………」
妻は下を向いて無言だったが、決して私の考えに追随にする雰囲気はなかった。
「そこに置いてある冊子に目を通したが、この世の終末を過激に煽っているだけだろう……、会社から苦情がくる前に、今後一切かかわることを止めてくれ」
内心では妻の興味本位であり、賢い妻のことだから直ぐに気付くものと安易に考えていた。
宗教問題はこの話し合いで、妻の熱も冷めるものと楽観視していた。妻だって、新婚家庭を破綻させるほどの覚悟はないものと踏んでいた。
ところが、性懲りもなく私の目を盗んで新興宗教の集会に参加している節があった。それどころか、私の予想を超えるスピードで妻は洗脳されていった。過激な終末思想や仏教の否定などは社宅生活にも支障が生じていた。
途方に暮れた私は妻の親兄弟にも説得を懇願したが、妻は周囲の説得には頑固に耳を貸さなかった。人間の信心が外圧によって屈しないばかりか、ますます強固になることは頭の中では分かっていた。
だが、現実に我身にふりかかってくると、私は愚かな迫害者に堕ちていった。
私にことが発覚すれば夫婦関係が破綻することは妻も分かっており、彼女からはその艱難に向かう強い決意が感じられた。
「私に何か不満があって入信したのか? そうなら出来ることは改めるので言って欲しい……」
私としては家庭の平穏を取り戻すために、最大限の譲歩をしたつもりであった。妻の心にはそういう話し合いの余地はなかった。
「いえ、あなたに不満があって入信したのではありません」
家庭の平和が揺さぶられているにも関わらず、平然としている妻の態度に不気味さを覚えた。私には日々仕事があり、妻を監視するにも限界があった。
「いずれにしても、この世には終りが来ます……」
妻は達観したように氷のような笑みさえ浮かべていた。夫婦とはいえ、価値観が違う者同士の話し合いは空転して事態の解決にはならなかった。
「君が生活できているのも、この人間社会の恩恵だろう……。反社会的な布教活動をしてこの世を否定するのはどうかと思う……、そこまで言うのであれば信者だけで自立して生きるべきだろう……」
これまで妻と対峙して何度も議論してきた。最早私の浅薄な知恵では妻の心を取り戻すことはできなかった。この時、私は初めて暗に離婚を仄めかせた。
「その宗教観を結婚前に言って欲しかった……。我が家には君の実家と同じ仏教があり、家の内に異教を持ち込むことは断じて認められない……」
私のような不心得者から見れば、妻の態度は狂信としか言いようがなかった。
誰も自分の信ずる教義が絶対であり、他の宗教を排除するのはどの宗派も同じであった。結局、その年の盆は妻の体調を理由にして帰省を中止した。
翌年には別居したので妻が私の実家の敷居を跨ぐことはなかった。
別居・離婚
その後妻は仏壇へのお参りや葬儀にも参列しなくなった。妻の一切の妥協を許さない態度によって、ついに夫婦間の協議も暗礁に乗り上げた。
信教の自由
矢納孝夫は台湾事務所で三年間の勤務を終えて丸の内の本社に復帰した。
以前から話のあったR銀行の寺本光太郎の仲立ちで、三十二歳の時に銀行員の女性と結婚した。
予てより結婚の相手には自分との同質性を条件にしていたが、それは家庭の安寧を第一に考えていたからである。
彼女の父親は鉄道会社に勤務する実直な人間であり、矢納家と同じ宗旨の檀家でもあった。また、彼女の兄弟二人もそれぞれ一流大学の工学部を卒業して大手企業に勤務しており、俗に言う優等生の家系であった。
彼女はそういう家庭環境の中で育ち、社会人としても銀行で基礎的な素養を身に付けて、思想的にもバランスのとれた女性だった。
私は四年前に秋津柊に見切りをつけて海外に赴任した。その後の柊の動静は知らなかったが、吉川氏と故郷に帰ったものと思っていた。
毎年、盆の連休前には帰省のために有給休暇を申請していたが、その年の盆は妻を連れての最初の里帰りを計画していた。
盆の連休前の経営管理本部は大きなプロジェクトもなく、連休中の過ごし方が話題になって空気も和らいでいた。サラリーマンにとって珠玉の週末になったが、定時後は麻雀や居酒屋に繰り出すのが通例だった。
その日は虫の知らせというのか、麻雀仲間の誘いを断って珍しく早目に社宅に帰った。五階の我が家の窓は明かりが消えていた。不審に思ってドアを開けると、部屋は昼間の猛暑で火照りが充満していた。食台には夕食を準備した形跡もなく、妻の実家以外に行先に心当たりがなかった。
ソファーに腰を下ろして妻の行き先を思案していたが、出社後の妻の日常は何も知らなかった。妻が持参したステレオのアンプの上にトケイソウの鉢があったが、それさえ初めて見る居間の情景だった。仕事や仲間との付き合いで帰りはいつも遅くなり、家庭は寝に帰る空間でしかなかった。
結婚して三カ月余りになるが、こういう無断外出は初めてのことだった。それにしても電話やメモで連絡がなかったのは、私に知られたくない理由があったとしか思えなかった。
鉢の横に与謝野晶子の短歌集“乱れ髪”が読みかけのまま置いてあった。その下に新興宗教の勧誘用の小冊子が積まれていた。本来であれば直ぐにゴミ箱に捨てられる無用の長物だった。それを何気なくめくっていると夜十一時前になってやっと妻が帰ってきた。
その行き先を糾弾したところ、小冊子の発行元であるキリスト教系の新興宗教の集会に参加していた。
几帳面な妻が夕食の準備をしていなかったのは、予定外に集会が長引いたからであった。話を聞いていると、これまでも私の目を盗んで集会に参加していた。図らずも私の不安が的中していた。
妻の親元が私の実家と同じ宗旨の浄土真宗であっただけに、新興宗教は寝耳に水の背信だった。社宅の噂では、その宗教団体は定期的に社宅を訪問していた。妻はその話しを聞くうちに、興味をもつようになったという。私は妻の背信にも気付かないで、のうのうと仕事に出かけていたのである。
妻は私が出社した後の時間を見計らって教団の集会に参加して、何気ない顔で帰宅した私を迎えていた。
私は妻の日常に無関心だったことを悔いたが、会社の仲間は誰も似たような会社生活をしていた。社宅で妻だけが入信していたが、私は仏教も含めて宗教には無関心で懐疑的だった。所詮死後は灰になり無になるものと考えていた。死後の世界を極楽だの地獄だと煽り立てて、それに左右される者の気が知れなかった。
妻も私の宗教観を知っていたので、私に黙って入信したのであろう……。誰が何と言っても、妻の背信を認めるわけにはいかなかった。
「お前の実家もそうだと思うが、仏教の家に勝手に異教を持ち込むことは認められない。だからこそ同じ宗旨のお前と結婚したのだ。それが結婚直後に事前相談もなく宗旨替えされたのでは一家の秩序は保たれない。そうだろう?」
私の人生に日本国憲法第二十条(信教の自由)が立ちはだかるとは思いもしなかった。私に決して仏教への強い信心があったわけではなかった。だが、入籍したばかりの妻が、わざわざ異教を持ち込むことは断じて許せなかった。
「…………」
妻は下を向いて無言だったが、決して私の考えに追随にする雰囲気はなかった。
「そこに置いてある冊子に目を通したが、この世の終末を過激に煽っているだけだろう……、会社から苦情がくる前に、今後一切かかわることを止めてくれ」
内心では妻の興味本位であり、賢い妻のことだから直ぐに気付くものと安易に考えていた。
宗教問題はこの話し合いで、妻の熱も冷めるものと楽観視していた。妻だって、新婚家庭を破綻させるほどの覚悟はないものと踏んでいた。
ところが、性懲りもなく私の目を盗んで新興宗教の集会に参加している節があった。それどころか、私の予想を超えるスピードで妻は洗脳されていった。過激な終末思想や仏教の否定などは社宅生活にも支障が生じていた。
途方に暮れた私は妻の親兄弟にも説得を懇願したが、妻は周囲の説得には頑固に耳を貸さなかった。人間の信心が外圧によって屈しないばかりか、ますます強固になることは頭の中では分かっていた。
だが、現実に我身にふりかかってくると、私は愚かな迫害者に堕ちていった。
私にことが発覚すれば夫婦関係が破綻することは妻も分かっており、彼女からはその艱難に向かう強い決意が感じられた。
「私に何か不満があって入信したのか? そうなら出来ることは改めるので言って欲しい……」
私としては家庭の平穏を取り戻すために、最大限の譲歩をしたつもりであった。妻の心にはそういう話し合いの余地はなかった。
「いえ、あなたに不満があって入信したのではありません」
家庭の平和が揺さぶられているにも関わらず、平然としている妻の態度に不気味さを覚えた。私には日々仕事があり、妻を監視するにも限界があった。
「いずれにしても、この世には終りが来ます……」
妻は達観したように氷のような笑みさえ浮かべていた。夫婦とはいえ、価値観が違う者同士の話し合いは空転して事態の解決にはならなかった。
「君が生活できているのも、この人間社会の恩恵だろう……。反社会的な布教活動をしてこの世を否定するのはどうかと思う……、そこまで言うのであれば信者だけで自立して生きるべきだろう……」
これまで妻と対峙して何度も議論してきた。最早私の浅薄な知恵では妻の心を取り戻すことはできなかった。この時、私は初めて暗に離婚を仄めかせた。
「その宗教観を結婚前に言って欲しかった……。我が家には君の実家と同じ仏教があり、家の内に異教を持ち込むことは断じて認められない……」
私のような不心得者から見れば、妻の態度は狂信としか言いようがなかった。
誰も自分の信ずる教義が絶対であり、他の宗教を排除するのはどの宗派も同じであった。結局、その年の盆は妻の体調を理由にして帰省を中止した。
翌年には別居したので妻が私の実家の敷居を跨ぐことはなかった。
別居・離婚
その後妻は仏壇へのお参りや葬儀にも参列しなくなった。妻の一切の妥協を許さない態度によって、ついに夫婦間の協議も暗礁に乗り上げた。
作品名:ウラバンナ(朱夏紀ー1) 作家名:田中よしみ