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短編集112(過去作品)

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 と自惚れていたものだが、実際にコンクールに出しても入選はおろか、佳作にも引っかからない。それでも描けることが自信に繋がっていたので、絵を描く趣味があることを、ことあるごとに宣伝していた。
「へえ、絵をお描きになるんですね。素晴らしい趣味ですわ」
 合コンなどに行くと、女の子と二人だけになって話す会話の最初は趣味の話題だった。
最初こそ、女の子も興味を持ってくれるが、如何せん、合コンにはいろいろな趣味を持った男性もいて、彼らも、なかなかのつわものぞろいである。
「入選とかされたんですか?」
 と聞かれて、
「お恥ずかしながら、まだそこまでは……」
 と言葉を濁すと、女の子の表情が一変する。それまでの興味深い表情が、一気に覚めてしまって、ドン引きされてしまう。上から見下ろされるのは、今までにも何度もあって、慣れているので、すぐに分かる。
 その時に感じる劣等感は、それまでに何度も感じてきたものだ。
――またか――
 と感じると、自分の世界を作ってしまっていることに気付く。まわりがたくさん人がいても、自分のまわりは何もない。
 突飛なことをしなくなったのは、そんな思いをしたくないからだ。
 絵を描くのもあまり人に話すこともなく、自己満足だけのためでもいいとさえ思えるようになった。
――自己満足の何が悪いんだ――
 と言い聞かせる。
「自己満足もできない人は、満足感について語るのはおかしい」
 と思うようになった。
 大学卒業前くらいから、自己満足が自分の世界と同じであることに気付き始めた。自己満足が悪いと感じたことはないので、それでもよかったのだ。
 考えてみれば学生時代の方が、ストレスが溜まっていたかも知れない。
 大学時代というのは、
「所詮、大学生だから」
 ということで、社会から守られているところがあった。だが、大学を卒業してしまえば、自分も社会人である。もうビギナーズラックは通用しない。それだけに先のことを考えると不安なのだ。
「所詮、大学生だから」
 ということは、
「社会人と学生には大きな隔たりがある」
 ということである。社会人には学生の気持ちが分かっても、学生には社会人のことは分からない。どんなに努力しても学生である間は分かるはずがないのだ。
 これほど不安なことはない。目の前に見えていることなのに、絶対に分かるはずないということは、大げさだが、目隠しをされて銃を向けられているような心境だ。
 富松は、電車の中でどんなに眩しくてもブラインドを下ろそうとはしない。ブラインドを下ろしても、ブラインドにシルエットのように写っている影は、電車が動いているだけに不気味なものだ。それならば、眩しくてもかまわないから、窓の外が見えている方がいいと考えるのだ。
 閉所恐怖症と、暗所恐怖症の人の気持ちが分かる。きっとまわりに何かがあることを分かっているから、狭い場所や暗い場所だと、その向こうにあるものを余計に意識してしまうことで恐怖が倍増してしまう。それが怖いのだ。
 将来に対しての不安と恐怖、そのどちらも、同じ心境である。
――まわりの環境がまったく違ってしまうことで、自分がどれだけ順応できるか――
 それを考えるのが怖いのだ。
 いつも、奇麗事ばかりを言っている人が同じ課にいる。彼も課長にいつも怒られているが、何が課長の気分を害するのか分からない。
 奇麗事を言っているというのを意識するということは、自分も以前奇麗事を言う性格だったということを示している。
 子供の頃、クラスに障害者の友達がいて、障害者を擁護する活動が進められていたが、自分では何もできないくせに、富松は友達といつも一緒にいた。そのことで友達に対して自分が優越感を持っていることなどその時には分からなかった。
 友達には分かっていたのかも知れない。障害者が相手の考えていることには敏感であるということに気付いたのは、かなり大きくなってからだ。
「俺がついているからな」
 口癖からして、今から思えば奇麗事である。
 大人になってくると、狭い世界しか見ていなかった自分が恥ずかしくなり、奇麗事を言っている人に対して敏感になる。まるで昔の自分を見ているようで、なるべく近寄りたくないのだ。
 だが、そんな連中に限って近づいてくる。何か同じ匂いでも感じるのだろうか。どうも馴れ馴れしさが溢れている。
 昔の自分を見ているように感じるところが弱みで、なかなか遠ざけることができない自分がいる。かまいたくないにもかかわらず、近寄ってくるとついつい話をしてしまうのだ。自分の中での戒めもあるのかも知れない。
「世の中、奇麗事ばかりじゃないんだ」
 そう叫んでしまいたくなる自分がじれったい。
 奇麗事に対してのイライラが最近では一番辛い。課長へのイライラよりも厳しいかも知れない。何しろ、
――あの課長がイライラするくらいだからな――
 と思えてならない。
 しかし、最近のイライラが奇麗事をいうやつに感じられるようになって、自分も奇麗事ばかり見ているのを感じる。
――課長はそのことを分かっているのかも知れない――
 自分のことが分からなくなっていると、イライラしてくる。富松は自分が狭い範囲でしかモノを見ていないことに気付いている。奇麗事ばかりいうやつを見ていて感じたことだ。
 何もかも、自分中心に回っているという考えは、自分を狭くすると思っているが、自分の意見を持っていない人も、さらに狭い世界しか見ることができないのだ。
 いつも同じ道ばかり歩いていると、見えていたものが見えなくなる。まるで、石ころのように、あって当たり前という世界を自分で作り上げてしまうのだ。
 ある日、普段通らない道から帰ってみることにした。その道は、以前から興味のあった道ではあったが、遠回りになることで、意識しないようにしていたのだ。
 夏も過ぎようとしていて、帰る頃にはすでに日は暮れている。街灯の明かりが極端に暗く感じられるその通りは、人通りも少なく、民家が点々としているだけではないだろうか。
 そんな発想を思い浮かべていると、やはり子供の頃の思い出にぶち当たってしまう。
 小学生も高学年になると、塾に通い始めた富松少年は、暗い道を歩くことにはあまり怖さを感じなかった。
 暗闇に慣れていたわけではないが、怖い話を聞いてもあまり意識として残っていなかったのがいいのかも知れない。要するに怖いもの知らずだったのだ。ある意味、今の方が幽霊や妖怪の存在を信じているかも知れない。
 だが、
「一番怖いのは何か」
 と聞かれれば、
「それは人間だ」
 と答えるだろう。
 人間の心の奥に潜むものが一番見えているようで見えていない。それが怖いのだ。
 暗所恐怖症、閉所恐怖症は、そんなところに潜んでいるのかも知れない。
 会社にいる時は、現実的なことしか意識していないのに、会社を一歩離れると、非現実的な超常現象が見えてくる。きっと、何かに集中していない時にだけ、妖怪や幽霊の類は現れるのかも知れない。
作品名:短編集112(過去作品) 作家名:森本晃次