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短編集112(過去作品)

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あの角の前



                あの角の前

 富松誠は最近イライラしていた。
 仕事のことで上司ともめることが多く、
「お前のようなやつは、とっととやめちまえ」
 というのが口癖の課長の顔がちらつくと、歯軋りしたくなってくる。
 中には富松自身が悪いこともあるが、半分は道理の通らない話である。課長を見ていると、自分の立場ばかりを考えていて、少しでも危ない橋は渡りたくないのだ。
 会社で仕事をしていて、しかも営業職であれば、たまには冒険も辞さない覚悟でなければ勤まらない。実際に同じ課員の連中も課長のやり方に不満を持っている。
「あれじゃあ、何にもできやしない。ノルマ達成なんて夢のまた夢だ」
 課員同士で呑みに行くと、課長の悪口も自然に出てくる。むしろ、課長の悪口を言いたいために呑み会を開くようなものだった。
「そうだよな、損して得取れって言葉、知らないのかな」
 完全なルート営業で、飛び込みではない分、まだいいのかも知れない。まったく実績がまったくゼロになることはないだろうが、競合他社の営業としのぎを削ることが多い。むしろ、しのぎを削ることが営業の仕事で、じっとしていては相手からどんどん自分たちの分を取られてしまう。
 価格競争がもちろん一番の作戦で、相手よりも少しでも安く見積もりを出す。損をしない程度のところを見計らって、相手よりも一円でも安く出せるかどうかが、まず一つの鍵だ。
 だが、今は単品単位の価格競争だけではない。営業だけで解決できないことを相手は求めてくる。
――確実に納品ができること――
 これが一番の問題だ。
 富松の会社は商社である。商社と言っても、実際に現場の営業所には在庫を持っていて、自分の倉庫での在庫を回転させる運用をしている。
――メーカーから仕入れて、小売に卸す――
 これが基本である。
 仕入れて卸すまでは、自分の会社の在庫である。モノによっては、商品価値の下がるものもある。在庫回転の悪いものを持ちすぎていると、不良在庫を抱えてしまうことになるが、逆によく売れるものを確実に在庫として持っていなければ、欠品に繋がってしまう。
 どちらも卸業者としては、罪悪なのだ。
 しかも営業は一人ではない。
 たくさんの小売を数人の営業で受け持っている。量販店もあれば、個人経営のお店もある。コンビニもあれば、業務用の店もある。
 多種多様な店を数人で分けている。すべての店で同じものがたくさん売れるとも限らない。中には特売として売れるものもあるが、あまりたくさんは売れないが、必ずどこのお店にも、少しずつはある商品というのも存在する。
 同業他社も同じような商品を在庫として持っている。同じお店の中にある陳列棚の争奪戦を繰り広げているというのが、営業の仕事でもあるのだ。そのために、店が違えば当然同じ商品でも納入業者が違ってくる。小売店側から見た視点である。
 だからこそ、在庫の持ち方が難しいのだ。
 営業所内の在庫管理は、また違う人がやっている。販売実績から適正在庫を割り出して、在庫が膨れ上がらないようにしながら、欠品を出さず、しかも不良在庫を作らないようにしなければならないという、一見理不尽にも見える難しさを含んだ仕事であった。
 だが、それが営業の冒険によって、計画が狂ってしまうことがある。
 営業からしてみれば、
「冒険もしないと、自分たちの売上を作ることができないんだよ。皆俺たちの売上の総数が実績になっているって分からないのかな」
 と言いたくなる。
 だが、営業が勝手に動けば、困るのは仕入担当者である。売上実績から地道に計算して、今までの経験と知恵から、少しでも適正在庫に持っていこうと考えているからである。売上を作るわけではないが、決して侮ってはいけない仕事である。むしろ売上が少し伸びても適正在庫が狂ってしまう方が、見た目には大きい。それを嫌う人は少なくないだろう。
 まず間違いなく仕入れ担当者には恨まれる。そして恨みの矛先が向くのは課長であるのも分かっている。
 だが、課長も元々は平の営業だったはずである。
「自分が平の営業だった時はどうだったのか」
 聞いてみたいところだが、ここで課長に逆らうのは得策ではない。会社の方針として、どちらかというと上司に逆らうと、逆らった人間が悪者になってしまうという風潮が流れているからであった。
 課長も、我々に文句をいうよりも、上司からの文句の方が数段厳しいものであった。怒鳴り声が課内全体に響き渡っている。
「一体、これはどういうことだね? 全然成績が上がってないじゃないか、そのくせ、君のところのツケが仕入に回っているって、仕入担当からも言われてしまって、私の立場もないんだよ」
 部長は情け容赦のない人で有名だった。
「申し訳ございません」
 ただ、平謝りをする課長の姿は、この時だけはさすがにかわいそうに見える。
――どうして、こんな会社に入ったんだ――
 と思わないでもないが、実際に商社というものに興味があったのだ。大学に入った時から、就職するなら商社だと決めていた。それも、実際に在庫を扱うところで、帳合だけで利潤を取っているような会社には興味はなかった。
「でも、商社って、目指すならそっちだろう」
 と大学時代の友達に言われたが、あまり商売のでかいことには興味がない。地道で派手なことが嫌いな性格だったからである。
 元々、一人で何でもこなすことが好きだったので、あまり大きな会社だと身動きができないことが分かっていた。やりたいこともできずに身動きが取れないのは、精神的に悪いことが分かっていたからだ。奇しくも今課長に対してイライラした気分でいるのは、一番自分が望んでいないことのはずである。しかも、呑み屋で課長の悪口を言っているような姿、大学の頃に考えていた数年後の自分からは考えられない姿だった。
 だが、社会人になって、人間らしくなったのかも知れない。
 営業が相手をしているのは人間である。相手も自分を人間として相手をしてくる。分かっていて、無理なことを聞いてきたりするのも人間を相手にしているからだ。無理なことを言われた時に相手が示すリアクション。そこに何かを見つけるのも商談の醍醐味であった。
 仕事というのは、あまり楽なものではないが、気を張ってやる時と、息を抜く時と、それぞれを持ち合わせていかないと、続くものではない。人間らしくなったというのは、そのあたりを含めてのことで、営業の楽しさ、苦しさが分かってくる。もちろん、どんな仕事でも同じであろうが、特に最近の富松は、そんな人間らしさを自分に感じていた。
 富松は、毎日同じペースの暮らしをしていた。
 ジンクスを信じる方でもある彼は、あまり突飛なことはしない。仕事においては冒険も辞さない時もあるが、こと自分の人生に関しては堅実だった。
 それは富松に限ったことではない。誰もが自分の世界を持っていて、自分の世界を他の人には見せたくないものだ。よほど自信のあることであれば別だが、中途半端な自信は、喪失した時のショックも大きい。
 彼は絵を描くことが好きだった。
 学生時代から絵を描けることに関して、
「他の人にはない才能を持っているんだ」
作品名:短編集112(過去作品) 作家名:森本晃次